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私(ダルマ)の仏教理論

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私(筆者)の考え等に関する記事を主にまとめたものです。
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#仏教

仏教認識論

仏教認識論

上座部仏教・大乗仏教における認識論的立場は、主に「無形象知識論」「有形象知識論」「有形象唯識論」「無形象唯識論」に分けられます。前半二つは内界・外界ともに実在として存在するという立場で、後半二つは外界は存在せずに内界だけが実在として存在するという立場です。それぞれの立場において、「我々の意識体験」がどのように作られているのかを、「今、私がリンゴの木を見ている」体験を例にお話ししていきたいと思います

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【魂の科学】の哲学

【魂の科学】の哲学

今回は『魂の科学』(たま出版)という著書を参考に、サーンキヤ哲学を見ていきたいと思います。

スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ氏は長年のヨーガ修行による経験と独自の視点からヨーガ哲学・サーンキヤ哲学・ウパニシャッド哲学等を統合して、一つの哲学を作り上げている、筆者は素晴らしい本であると考えています。『魂の科学』の話に入る前に、簡単に純粋な?サーンキヤ哲学に触れておきたいと思います。

○サーンキヤ哲学

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識の三層と照明・形象の関係

識の三層と照明・形象の関係

唯識思想において、識(心)の「阿頼耶識・末那識・六識」の三層表記はよく知られていると思いますが、識(心)を「照明や形象」で表す表記はあまり知られていない部分なので、簡単にまとめておきたいと思います。

【阿頼耶識】(照明+形象)○阿頼耶識の深層(照明)
阿頼耶識の中心部であり、如来蔵、空性、光り(浄く)輝く心、真如、仏性、自性清浄心、法身、法性、清浄法界など様々な異名があります。主観と客観、即ち末

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一即一切・一切即一

一即一切・一切即一

『おくのほそ道』で有名な俳人、松尾芭蕉は立石寺を訪れた際に、次の俳句を残しています。

蝉時雨!なぜ、それが閑かであるのか?
真逆ではないのかと普通考えてしまいますよね(笑)
これについて、仏教学者の木村清孝氏は自身の著書である「華厳経入門」で次のように解釈しています。

立石寺で鳴く蝉の声、それは同時刻において世界中で鳴っている音のほんの一部に過ぎません。しかし、この時の松尾芭蕉にとっては、まさ

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一即一切・一切即一②

一即一切・一切即一②

上の記事の続きになります。今回、中国天台宗の性具説(一多相即論)と中国華厳宗の性起説(一即多・多即一)をそれぞれかなり大雑把にではありますが、少しお話ししたいと思います。中国天台宗と中国華厳宗の両宗は論争を通じ、互いの思想に大きな影響を与え合ってきたと言われています。

それぞれの哲学において用いられる用語を使用すると、ややこしくなるため、天台と華厳の両思想とも普遍なる「一」を「理」、三界階層(欲

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一即一切・一切即一③

一即一切・一切即一③

上の記事の続きになります。
前回は西田幾多郎の絶対矛盾的自己同一により、中国天台宗の性具説と中国華厳宗の性起説における相違点を見て行きました。今回はまた急ですが、量子論の多世界解釈を少し見ていきたいと思います。

「電子のダブルスリット通過実験」を例に見ていきたいと思います。

そもそも、ダブルスリット通過実験は、19世紀初めにイギリスの物理学者ヤングが光の干渉という現象を発見した実験方法でもあり

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一即一切・一切即一④

一即一切・一切即一④

一応、上の記事の続きになります。ここまで、華厳経(重々無尽縁起)→天台哲学(性具説)・華厳哲学(性起説)・西田哲学(絶対矛盾的自己同一)→量子論(多世界解釈)と、バラバラの内容を一即一切・一切即一の思想繋がりで大雑把に見てきました。今回は晩年の西田幾多郎(1870-1945)の哲学に大きな影響を与えたライプニッツのモナドを簡単に見ていきたいと思います。

イングランドの数学者・物理学者・神学者であ

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一即一切・一切即一⑤

一即一切・一切即一⑤

上の記事で「モナド(単子)」を取り上げましたので、今回はウパニシャッド哲学の哲人、ウッダーラカ・アールニとヤージュニャ・ヴァルキヤの「アートマン」思想を簡単に見ていきたいと思います。アートマンについては以前から何度も記事に登場していますが…。

釈尊が活躍する以前、即ち紀元前5世紀頃までに「ブリハドアーラニヤカ」、「チャーンドーギヤ」などのウパニシャドが成立していました。ウパニシャドに至って祭式の

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【輪廻】一切衆生悉有仏性

【輪廻】一切衆生悉有仏性

古代インドでは、人間は神々と動物の中間的存在と考えられていたようですね。人間は神々になりたいと常に願い、目指しながらも地上の動物的欲望に束縛されて、それが実現できないでいるような存在と認識されていたように思えます。

しかし、仏教では神々と人間の扱いが上記のような考え方と異なります。仏教では、生きとし生けるもの(衆生)の輪廻する範囲(趣)を五種(六種)あるとし、人間より優れた上位の生命体として天界

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【輪廻】生物とは…?

【輪廻】生物とは…?

上の記事で、動物と植物を生命の代表的存在のような形で触れましたが、生物学の歴史的な経緯としても、昔の生物学は動物学と植物学に大きく分けられていました。そして、1969年、生物学者のロバート・ホイタッカー(1920-1980)が、ここに「菌」「原生生物」「原核生物(モネラ)」が加え、生物を五つの界に分ける五界説が提唱されました。(注意:菌界には酵母菌、カビ、キノコなどが含まれ、細胞核を有する真核細胞

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【輪廻】四生

【輪廻】四生

生物とは何か?命とは何か?と要素を分解して、その定義を考えてみても迷宮に入ってしまいます。

今回は釈尊が活躍した時代前後の古代インドにおける生物観を見ていきたいと思います。即ち、衆生の「四生」の思想ですね。この点に的を絞って細かく解説してあるものに巡り合えずにいましたが、インターネットで次の論集を見つけましたので、一部を参考にさせて頂きます。
「四生について―yoniとjara(-)yujaの解

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【輪廻】原始的な神経系

【輪廻】原始的な神経系

仏教における「四生」では、昆虫類のような節足動物が、意識を持つ畜生道の衆生(畜生道の有情)の中で最も原始的?な「湿生」に含まれています。ここで、仮に「意識(情)を有する」=「神経系を有する」動物とすると、最も原始的な神経系を有する動物はどんな動物なのか?

動物の中でごく原始的な海綿動物は神経系を持っていません。最も原始的な神経系がみられるのは海綿動物より少し進化した腔腸動物(ヒドラ・クラゲ・イソ

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大乗起信論①

大乗起信論①

しばらくインド密教を見てきました。即身成仏の思想や修行の実践方法など、大乗仏教と異なる点も多く見られますが、哲学的な理論についてはほぼ同じ、即ち、大乗仏教が「空」と消極的に表現した真理を密教は「法身大日如来」と積極的に表現しているだけの違いのように思われます。

さて、今回からまた大乗仏教の思想へ移ります。おさらいになりますが、中期大乗仏教に含まれる唯識思想と如来蔵思想は、どちらも初期大乗仏教の経

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