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Chiang mai- Chiang dao 音楽は鳴りやまない

音楽は鳴りやまない!! 今日もどこかで、絶対に鳴ってる。

むちゃくちゃ濃くて短いタイでの日々を綴ってます。

いいタイトルだ!! がんばれ!!

今日は本編だけで、11,155文字。僕のnoteでは長い記事になります。

半月の本日は編集後記で思いっきり僕の電子書籍の案内もさせていただきます。今日みたいな濃いストーリーも載ってますから、ぜひ読んで頂きたい。

noteでは全部無料で公開してますし、こちらには写真も付いてる。

電子書籍の方はシンプルに文字だけ。

前説も、編集後記もないので、すらすらと読めちゃいます。

それでも読んで応援してやると言う方は、僕にとってはVIPですのでご一報ください。昼下がりの東京でコーヒーを奢りたい。

チェンダオはこちらです。地図をペタ。

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旅の青年はラオスから再びタイへやってきた。

よし!! 今日はもう本編にいっちゃいます。

貴重なお時間頂き誠にありがとうございます。


「こんな旅がしてみたかった」を叶えてる青年ここにいます!!

いってらっしゃい。

The Kingdom of Thailand タイ王国

Chiang mai- Chiang dao 音楽は鳴りやまない

それからというもの、まだその夢は覚めないでいる。
北海道への一週間の旅はあっという間に終わった。それはもうこれを書いている暇なんてないほど、濃い時間だった。そういえば、あんなに家族と一緒に時間を過ごすことってなかった。兄ちゃんはだいぶ前から東京で暮らしているし、俺は海外に行ってたんだもんな。
旅行中は新しいことだらけだったし、パソコンかたかたやっている場合じゃないってのはもうわかっている。ばあちゃんが元気でまだ生きていたのが良かったのと、御先祖様のお墓参り。今回僕が一番嬉しかったのはじいちゃんが眠る羊蹄山に行けたことだった。この旅で僕は2,600キロ以上も運転したみたいだ。函館でスピードオーバーで捕まったりしたけど、人生で一番車を運転した週だった。
あれから何日か経って今千葉にいる。
このタイに入っていくところで書く事じゃないんだけど、何かが繋がっていくんじゃないかなって前向きな気持ちは常に持っている。
最近は楽しいことだらけだ。これで誰かを幸せにできないものか。僕だけの中に留めておくのは贅沢すぎて、シェアしたくなる。
今は、親父との付き添いで昭和の森でこれを書いている。これを書き終えたいんだ。

タイの北部、チェンマイとチェンダオに行った時のことを話すね。

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ラオスから国境を渡ってタイに入国した。もう手続きにも慣れたもんですんなりと入る。国境からチェンマイまで行く乗り合いバスの連絡が取れていなかった。あの山道での事故が影響しているらしい。

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僕とコリアンガイは一緒に近くの店まで歩いて行ってご飯を食べることにした。あぁあいつの名前は忘れてしまったし、バスがいつ来るかもわからない状態でバス停をよく離れたものだと感心している。

今になって、あれもこれも冒険だったんだなって思う。

僕は今、これを僕が旅先で撮った「フェイスブック」にアップしてある写真を見ながら書いている。想い出が蘇ってくる。
昭和の森の東屋には涼しい風が吹く。あの日と同じくらいの気温なんだろうか。もうわからないことに思いを馳せてみる。

昼ご飯を食べている間にも、同じバスに乗り合いになった多くの旅人と会話をしながら乾いたご飯を食べた。そのうちの一人っていうか、旅人には多いんだけど、英語の先生っていう人たちによく会う。彼らはラッキーなんだ。もし逆に、日本語が世界でもっとたくさんの人に使われている言語だとしたら、俺は喜んで先生やるよきっと。そして旅に出て暮らす。そんなことはどうでもよくて、ご飯を食べ終えた僕等は国境に戻りバスを待った。

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バスには運転手と、もう一人日本人のチェンマイで働いているという人が乗っていて、僕はその人の隣に座りチェンマイの事を移動しながら聞いていた。

バスは走る。車中何をその人と話したかってのは全く覚えてない。今、やっと思い出しただけだ。僕はビザの事を聞いていた。

「タイでの滞在にはアライバルビザというものが必要で、そのルールが変わっていっているから、それは私には少しやっかいなことなんだ」みたいな事を彼は言っていた。

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長い時間がかかって車はチェンマイの繁華街に着いた。

辺りはもう暗くて、夜に包まれていた。

そういえば、ラオスのバスの中で携帯の電源が落ちたままで、WIFIもないから地図も何もホテルさえ取ってなくてわからない。さて、どうしたものかな、という生活をずっと続けている。

結局、僕のスマホは二度と電源がオンになることはなかった。それでもそんなに落ち込みはしなかった。だって他にいい事たくさん入ってくるって気がしていたんだ。

チェンマイの中心地はなにかお祭りでもやっていたかのようにキラキラとイルミネーションが木の枝で光っていて幻想的だった。

バスを降りた後、バックパッカー街の方に歩いてゆくわけだけど、一人じゃわからなすぎるから、同じバスに乗っていたドイツから旅しに来ている旅人に声をかけた。

「ハロー今日はどこのホテルを取ってんだ?」って聞いたら。

「僕もわからない、でも探そう」ってことになって、僕ら二人でバッパー目指して歩き出したんだ。確か彼は『ロンリープラネット』って本を持っていて、それで宿を探し当てたんだと思う。

ロンリープラネットって知ってる? 日本で言う『地球の歩き方』みたいな本だよ。絵とか写真とか少ない分情報がたくさん載っている。海外の旅人はだいたい持っているんじゃないかなってくらい人気の本だよ。

夜のチェンマイを僕等は歩く。

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何件か交渉してみたりしても一人じゃないし、ちょっと楽しい。

結局街の中心地から程近くのこ洒落た宿にたどり着いた。ここには一泊して、翌日直ぐにチェンダオって山の麓で開かれているミュージックフェスティバルに行こうとしてたんだ。パースで出会ったげんじろう君やフローが演奏するのを見たかったし、サニーもそこで店を出すからなんだ。俺はいかなくてもよかったんだけどさ、行って心底良かったと思ってる。

そのバッパーのドミトリーがどんな部屋だったかなんて全く思い出せない。記憶の奥の方に沈んでいったきり浮かんでこない。あんまりインパクトがなかったか、もう夜で暗くて覚えてないかか。

チェンマイの夜は涼しくて、バッパーの外にある庭に木製のイスとかテーブルがあって、そこでは旅人がそれぞれ酒飲んだり、たばこを吸ったりして気楽にやっていた。
僕とドイツの青年とでゆっくり話していると、同じテーブルに座ってたばこを吸っていたフレンチのオラとも話が弾んだ。なんでも彼女は明日ミュージックフェスティバルに行きたいんだってことだった。

「おいおいそれ、俺も行くやつだよ」って伝えると、話が早くて、「じゃ一緒に行こうよ」ってなった。楽しくなりそうだ、絶対一人で行くより楽しいし、バスに乗り間違えたりしないだろうなって思った。だってオラがいてくれるから、英語も上手に話せるし。ヨーロピアンはいいよ、みんな上手に英語話せるよ。

長い一日だった。殆ど寝られなかったラオスの山道のバスの中で起きて、寝る時はタイのチェンマイだもんな。これが旅で、近い過去の話。

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翌朝、ドイツの青年と一緒に観光をすることにしてた。僕等はチェンマイの街中に行き一緒に写真をたくさん撮ったんだ。マーケットにも出かけて行ったりして、仕事中にがっつり居眠りしているおばさんの写真を取ったり、ドリアンの写真を撮ったり、今見ても飽きないような写真を撮っていた。

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タイの寺院を見て回ったりしていると、タイにはタイの文化が根付いているんだと感じるよ。タイの歴史には全然詳しくはないんだけど、タイはどこの植民地にもなってないんだよね。外交がうまかったのか、地理的な関係があるのか。何か理由があるんだろうけどさ、僕はもっと歴史にも文化にも触れていたい。

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お昼過ぎにオラとバッパーで待ち合わせていた。

ドイツのナイスガイとはここでお別れ、僕はオラと一緒にバスステーションまで歩いてチェンダオ行きのバスに乗ったんだ。

40分くらい田舎道を走った。バスの乗客の中には日本人も何人かいて、みんなミュージックフェスに行くみたいだった。

この話はまた少し後で書こうかな。長いこと一回で書けないというか、少し間が欲しいし、文字も寝かせたい。

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まだ昭和の森にいる。50分くらい経った。まだ僕の大事な思い出だからさ。今から本読んで勉強する。じゃあまた。
また書きたくなってる。一日に大体30分くらい書くってことを続けようと思っててさ、今やってんだ。ブルガリアで出会った一人の男ジュリアンがそうしてたから、あいつも本を書いてる。だから俺もそうやってみてる。
そしたら続いてる。それだけの事なんだ。

チェンダオに着いてからも、どうやってフェスティバルがやっている所まで行ったらいいかわからなかった僕等は、近くにあった商店の近くで座って時間を潰していた。近くには同じくどうやってそこまで行ったらいいかわからなそうな日本人のグループもいた。

僕等の前を一人のチャリダ~が通りかかって、どういう訳か僕達と話し始めた。そいつはスペインから来ていて、今はタイを自転車で旅しているとの事。なんだか知らないけど、「ミュージックフェスに遊びに来たら? 寝るところもあるからさ」ってな事を言って軽く誘ってみたら、本当に俺達と一緒に来ることになった。これだから旅ってわからない。

「トゥクトゥク」を捕まえて、日本人のグループのみんなも一緒に乗りあって会場を目指した。

僕はこの時だってまだもちろん英語なんて話せないけど、なんとか全く経験もない人達よりは話せるんだなとは感じていた。

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そのフェスの名は「シャンバラフェスティバル」日本やタイで活躍しているミュージシャンが毎日出演して、音楽を奏でるお祭り。

ピースでイージーな感じが好きだったなぁ。

会場に到着して、俺は一週間いる予定だったから通しのパスを買った、オラは3日くらいで、スペイン人のチャリダーは1日だけのを買った。

みんなそれぞれの旅があるんだ。

会場に入ると早速サニーとげんじろう君と、フローに再会した。彼らは川のそばのテントで一週間を過ごすらしい。俺達はその横の建物、ドミトリーっていうか、大きな何もない二階建てのバンガローっていうのかな、そんな感じの所で薄いシートを引いて寝袋と毛布を掛けて寝ることになった。タイって言っても二月の時期の北部は朝晩はやっぱり冷える。

会場は広くてさ、野原に大きなステージがあって、その周りに音響設備とステージから遠くのテントや木なんかに何本か線が伸びていてそれにピースなレインボーカラーの旗が揺れてんだよ。

夕方、一日目はあっという間に過ぎて、再会と出会いがいくつもあった。

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遠くにチェンダオの山が雄大にそびえてて、川が僕等のすぐ脇を流れてく。

失うものは幾つもあって、もう取り戻せないんだけど、そいつはきっと今頃誰かがハグしてるっていう、なんていうか大きな大地の温もりに包まれた空間でミュージシャン達は音を鳴らすんだ。

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空が暮れてく。僕はここにいたのかぁ。

あのミュージシャン達は今頃どこで何してんだろな。

ステージに照明が当たって、あたりは暗く、闇が山ごと覆う。

チェンダオの山はただじっと、そびえている。

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宴が始まるのは時間の問題で、僕たちは晩御飯を一緒に食べながらビールをあけてた。大好きだったタイのチャングって言う瓶ビール。写真を見返すとやっぱり俺は酔ってんだ。そろそろ呆れるぜ。

夜中も誰かが楽器を持ち出して演奏しだして、それに合わせて歌声が聞こえてきて、また誰かが躍りだしていた。

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翌日も青空が見える。綺麗に澄んだ空を見ていると心まで澄んでいくみたいで、いつまでもここにいたくなる。

毎朝バンガローの入り口でハンモックの中で寝てる子がいて、なんで中で寝ないのか不思議だった。その子も可愛かったのを覚えてる。

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綺麗に澄んだ川が流れているから、『日本昔話』の中に出てくる登場人物みたいに、川に俺の臭くなってきていた服を洗いに行ったんだ。石鹸も何もないから、手洗い、汗だけ流して乾かすだけ。それでも清潔な気になるのはなんでなんだろな。気持ち臭いも取れてくような気になるし。

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音楽が鳴りだすのは夕暮れと共にだから昼間は時間だけがあった。

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スペインから来てるチャリダーは朝早く自分の旅に出て、オラと俺は一緒に近くにあるっていう洞窟までヒッチハイクで出かけることにした。
ここはとても田舎なのだけれど、なんにも待たずに田舎道を歩いていて、通りかかったバイクに親指出して手をあげたらいとも簡単に捕まった。こんなことってあるのか、っていうかオラもなかなか度胸あるな。

僕等はバイクをサンケツして洞窟まで向かった。今日もいい日みたいだ。

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オラが行きたいと言っていたチェンダオケイブに到着。俺一人だったら、ここまで来てないかもしれないなぁ。いや、来てないな。こういう一つ一つの出会いが今の俺を形創っていると言っても過言じゃないよな。

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さぁ天然のダンジョン探検すっか! なんか『ドラゴンクエストの冒険』みたいだ。

そうだ、そういえば今日俺、銀座に仕事の面接に行った。それから、花ちゃんとあって、イングリッシュのイベントに参加したら、高田純次に会ったんだ。それはもう、驚いたよ。夢みたいだけど実際にいるんだね。俺は絡めなかったけど、こういうことって現実に起こるんだなと実感したよ。

何だよこの話? 今することか? そっか、それから洞窟の入り口までオラと向かって行ったんだ。そこは観光地なんだけど、すかすかで、その時は僕とオラしかいなかったんだ。

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乾いた竹を紐で結って出来たはしごを、気を付けながら登って眺めたチェンダオの山は素晴らしく澄んでいて、遠くまで見渡せた。

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いざ洞窟の中へ、光は岩に吸い込まれて奥が見えない。

一歩、また一歩と進むうちに静けさに包まれてく。闇に覆われてく、なんで僕たちは進むのだろう。この先の向こうに光があるから、それとも闇だけが広がっているから。

答えはわからないからかもしれない。

経験が全てで、それを知りたくて、僕等は今日も明日も生きるのかもしれない。

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あぁ。旅だってそうだ。必ずと言っていい程、日本、そして家には戻って来るのに。必ず、その日の宿には戻ったり、旅を始めた場所に戻るのに、行ってしまう。進んでしまう。例えば山、登っても必ず降りるってわかっているのに、人は歩んでしまう。不思議じゃないけど、たまにどうしても辛い時もあって、どうしてこんな思いしてまでやらなきゃいけないんだって自分に問うときがある。それでも歩んでる。そう、続けてきた。

僕のままでこのままで生きたかった。

今日東京へ行って、高田純次というコメディアンの人が目の前にいて、いつでも僕が彼と話そうとすれば、あの時なら出来たのに僕の体は動かなくて、今になって話しかけておけば良かったなんて思ってる。
帰りの東京駅、丸ノ内線から京葉線まで「なげぇ道」って一人で呟いた言葉みたいに静かに、僕の描いていた淡い夢だとか信じていることと少し距離を取っていた自分に気づいたんだ。まだ、どこかで信じきれてないんだと思う。今まではもっと信じていたと思っていた。自分の事も周りの事も。
洞窟の事はまた明日書こう、気持ちが落ち着いたら、って寝りゃいいんだけど、明日書くよ。今日はそんな洞窟の中に一人入って行く瞑想のような、睡眠のような。会話のような一人の夜に乾杯。

どこまで話したんだっけ、まだ洞窟入ってないんじゃないか。
俺より、オラの方が先に中に入ってく。そういうところフレンチの子って自信持ってて好き。

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洞窟の中には長い年月をかけて創られたであろう鍾乳洞が至る所にあって、鍾乳洞って言わないか。なんてーのあれ、鍾乳洞によくある、塊。天井から岩の成分がしみ込んで出てきたのがポツンポツンと同じところに落ちていって、少しずつ形を成して積みあがって行き氷柱の逆バージョンになっていくっていうやつ。いろんな形のがナチュラルにあって興奮した。

世の中には不思議なことがよく起こる。ここには生き物の気配はない。蛇も出なかった。僕等が音たてて歩いていたからだろうな。

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洞窟の岩場からチェンダオの山の風景がまた見えた。少し高いところまで登って来てしまっていたようだ。

真っ暗闇の中、洞窟の奥のそのまた奥まで行った。もう歩いてはいけなくなるところまで行くと、そこには胸の高さくらいまであると思われる大きさの壺があって、すこし蓋が空いていた。不思議というより、少し不気味だ。
そこから何かが、出たんだ。蛇か、マムシか。はたまた魔物か、ゴーストだったりして。

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洞窟の一番奥ってボスがいるとこだよね、この時も特に大きな事件ってのは無くてぬるっと時間が過ぎて行った。洞窟の壁におそらくタイ語だと思うんだけど、文字が書いてあってその最後に数字で1524って書いてあった。

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僕は思う、西暦1524年からこの文字が残っているわけじゃあないだろう、だってはっきりと読めるくらいきれいに残っているんだから、これは一体なんだ、わからないままだ。

洞窟からの帰り道、足元を気にしながら歩く。

出口の近くにあるお土産屋さんも全く商売っ気がない。売ろうっていう気が全くなくて、接客も何もない。それがやけにおかしくてわらけてくる。

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お昼ごはんを食べてコーラを飲んだ。オラといるのは楽しかった。
別の洞窟の入り口にまでかかる橋の下には池があって、そこの水も澄んでいた。鯉のような魚が泳いでいる。

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あっ。ここでわかったことがある。今まで行っていた洞窟は、俺達が山を登って人気のない所に偶然見つけた生の洞窟だったんだ、そして今度行く所はしっかりと整備されてて、いくらかお金を払って入るところ。

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この日は洞窟の日だ。綺麗に整っていて良かったんだけどさ、やっぱり生の洞窟が一番良かったかな。って書くとなんか変だね。いや、もうずっと変なことを書いているからいいや。だからもうこれでいいんだ。

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帰りも「ヒッチハイク」をした。道で偶然バイクを運転していたジョンが俺達を拾ってくれて、祭りがおこなわれている近くに川が流れてるんだけど、そこでは自然の温泉が出ててさ、自由に入れるからってそこまで送ってくれたんだ。

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そうだよ、ジョンとはこの後、オーストラリアのアデレードでも再開することになるんだ。

本当に人生って面白くてたまらないよなぁ。

山道の中腹にバイクを停めて、歩道と草の所の垣根もなくてさ、石ころだらけになってく川の所まで降りてくと、そこには何個もドカンを縦に置いたようなものがあって、それが風呂で浴槽でって感じで、それぞれに上の方からパイプが刺さっていて、お湯を送っているんだ。
もうそれってすごくコンパクトにまとまっていて、隣に川が流れているし、バイク停めたところも近いしで、気持ち良かったなぁ。

お湯に入っては川に入って体を冷やして、また温まってはの繰り返し。

パンツで入って、帰りはノーパンで帰る。なんだって行けるもんだ、人間だもの。

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鳥の親子も川で水浴びしている。なんでこっちの方のアニマルは人間と距離がとても近いのだろう。共存共栄している。子供もアニマルのすぐ近くで遊んでいる。俺、小さい頃こんな環境ちょっと憧れていたかもって思うことあるよ。
祭りまで帰る時もバイクでサンケツだ。

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お日様傾いてきてらぁ。

ノーヘルでゆっくり風なでて俺達はチェンダオを体いっぱいに感じていた。

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夜が来てステージには明かりが灯る。

今日も又パーティーでタイの缶ビールたくさん空けちゃってこの日も楽しすぎたよ。

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ハルコニーさんとかあついなぁ。あっフローがステージに立ってジョンという相方のカホン奏者と演奏している。彼のセンスの良さは健在。俺はこれを見に来たのさ。フローに合わせてカホン叩くのも気持ちいと思う。

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その後もたくさんのバンドが出てくる。俺は酔っぱらって、缶ビールを空けまくっていた。誰かわかんねー人とも肩組んで写真撮っていたりしてご機嫌だぜ。オラともジョンとも仲良くなっていた。げんじろう君やサニーとも肩くんで一杯やってらぁ。

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俺達のバンドが出演して『シャガールの夜空に』とか演奏したらめっちゃ盛り上がるだろうなって思った。

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ステージの明かりが落ち着くと、離れたところにある食堂にミュージシャンが集まって音楽が始まる。誰ともなく鳴りだす。白熱ランプに集まる虫のよう。カウントもなく回る。歌う。踊る。ここはヘポパな場所。「ヘポパ」ってのは、意味は特に決めてないらしいけど、このシャンバラ祭りの合言葉のようなもんで、盛り上がるとヘポパな状態ってことかな。

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夜はだんだんと深く、山はただじっと僕等を見守っている。

眠りにつく前、笑う。

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翌朝目が覚めてもまだ僕はシャンバラフェスティバルの中にいた。
朝日が芝を照らしている。山は遠くにまだあって、会場に開かれたマーケットでは買い物をする人たちや、朝ご飯を食べる人たちで賑やかだ。
僕も朝からシリアルとフルーツの盛り合わせを食べながら、そんなやわらかな風景を写真に収めていた。

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ってのを思い出しながらこれを書いている僕は実際には家にいて、仕事もまだ見つかってない。これは、ひょっとして置いてけぼりの33歳なんじゃないかと思ってしまいそうになる。これは、これがずっと抱えていた微かな不安って奴なのかもしれない。
この現実はここに書き残して、目を背けないように。受け止めないと、これすら書けなくなる。いつも言っているように、今がすべてなのに。

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この日の朝はそこら中を散歩することにしてた。そんなに広くはないんだ、たぶんようある言葉で言うと、東京ドーム一個分くらいの広さだと思う。

発展途上国ではよく、犬が歩道で寝ている。これは前にも書いたかな。日本じゃ可愛がられているけど、そう豊かな国でもなければ、犬にまで気が回らないってのが確かなところだと思う。

いろんな光景を見た。タトゥーを背中にほるヨーロピアンの女の子。なんでもない木で出来た柵に洗濯物を干している午前。白と青の色したテント。川で食器を洗う女性。そのすべてが組み合わさってこの祭になる。

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なにげなく歩いていたマーケットでポスターをみた。そこには「WARISOVER」と書かれていた。割そばじゃないよ。
「ワー・イズ・オーバー」だよ。

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俺はオラと川沿いにシートを引いて寝そべっている。今日これを書いているのと同じ時間が流れていた。人は自分のいる場所や、環境によって寂しさとか、切なさなんてのは感じたり、感じなかったりする。同じ時間の中にいるのに。何もしてないなんて思わない。

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オラはサングラスをしながら寝ていた。川は静かに流れていた。

タイの自営業をしているという人が店を出していて、楽器を演奏していたから、オラと一緒にその人たちと話していたら仲良くなった。川沿いの小さな店、遠くに水を飲みに来てる牛がいる。鳥も、犬も、ただただ静かに毎日を生きている。この感情を忘れていた。

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この日の夜も、次の日の夜も音楽は鳴った。
ある夜とても上手なパーカッショニストがステージに立つと、やっと一人で歩けるくらいの子が、よちよちとステージの淵まで行って、その人を見ていた。赤ん坊にも伝わるっていう演奏力、素晴らしく思えた。

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満月が昇る。もう俺は前の彼女にここで会っているのか。きっとオラがフェスティバルを離れた日、僕は一人でステージ裏の風通しの良い施設に行って英語の勉強をしていたんだ、そこで昼飯を食べている時、とても可愛いタイの女の子が僕のイスの前に友達と一緒に座ってきたから、話しかけてみたら、タイの女子大生ってことがわかった。それから話し出して仲良くなって、一緒に二人でいる事が多くなった。
プロイっていう。名前の意味はタイ語で、宝石というってのは後から知った話で、その頃は一緒に音楽を見たり、話したり、とても楽しかったんだ。
満月の夜だった、プロイと川辺でキスしていた。

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またある昼間、手作りの結婚式が行われて会場に居合わせたみんながハッピーな気持ちで祝っていたのを思い出した。本当にヘポパな場所にいたんだなぁとつくづく思う。

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今はそんなに幸せになれないって思ってしまう僕がいる。
時間が経った、それでかたす。

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彼らはよく地面にマットを敷いてヨガをやる。ヨガって言っても広い意味があるらしく、僕には何のことだかさっぱりわからないままなんだけど、中国にある太極拳と少々似ているらしい。それもよくわからないのだけれど。

たまに焚火をして旅人と語り合う夜もあった。

バンコクで一緒に旅したアンドレアとの再会もあった。そうだ、あいつもここに流れてきたんだ。

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もう三日、四日と時間は流れていた。サニーから買ったブラックタイガーの石を首から下げだしたのはこの頃からで、以来ずっと付けてる。

プロイとも一緒にアイスを食べたりしていい仲だ。

祭りはフィナーレを迎えようとしてる。

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陽が昇って、陽が落ちて。僕は何度、温泉に入りに行っただろうか。川で簡単に頭を洗った日もあった、飲み明かした夜もあった。新しい出会いと、再会、そして別れ。この一週間だけでも濃密な日々を送っていたんだ。

海外を何年も旅するなんて、いかれていて最高じゃんか。

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「たま」の知久さんがステージで歌っていた。小さい頃から「バンド」をやっている時まで、「たま」の唄はよく聞いていた。実際に目の前にいるってのが現実で、そこを生きていた。みんながみんな自分の表現方法を知っているんだ。ここには魅力的な人々が集まる。僕も仲間に入れて欲しいよ。

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最終日、げんじろう君と、フローと、フローの友達のジョンがステージに立って演奏をしている。そうそう僕はこれを見に来たの。

その後に谷さんという凄腕アーティストの演奏、しびれたぜ。シゲオさんとかとも一緒にやったりしそうなグルーブを感じたよ。

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最後は知る人ぞ知る髪の毛散らかしたおじさんが古い歌を唄っていた。けど、みんな盛り上がって最高のうちはノリをかましていた。

いいじゃんシャンバラ。祭りは終わるでしょ。

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なんにでも終わりはあって僕等もここを出ることになった。どうやってバンコクまで行っていいかわからないから、仲良くなった人達と話して車に相乗りさせてもらえる事になったよ。荷物は車の屋根に括り付けて、僕等が座れる場所を確保してくれた。ありがたき幸せ。

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チェンマイに戻ってきて、また一人になってとにかく街を歩いて観光をした。チェンマイの街を歩く。たくさんの神社仏閣、たくさんの仏像がある。

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僕には細い道も裏道も恐れない若さがあった。タイまで行く切符も買った。プロイはバンコクにいる。次の旅が始まるから、それまでに会いたかった。
カンボジアが見えていたんだ。「世界遺産」のアンコールワットに行く。

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その日の夕方、チェンマイまで送ってくれた人の店でミニライブが開かれた。もう一度、フローやげんじろう君の歌を聴けるチャンスだ。
僕はバンコクに夜行バスで向かうから、みんなで写真を撮って別れた。

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歌の余韻と、街の中。フェスティバルはもう夢の中。

夜行バスの窓を通り抜けてくヘッドライト。

真夜中を照らすのは希望の明かり。

明日はもうすぐそこまで来てる。

僕は歩きださなくちゃいけない。

疲れた体を癒すように目を閉じる。バスの中では相変わらず強い冷房が効いていた。

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翌朝バンコクに着くとどこをどう歩いていいかわからなくて、同じバスに乗り合わせたいいかげんな日本人と合流してだいたいの感覚をつかんで駅にたどり着き、即プロイに電話した。

僕たちは街の中心地で会う。バンコクの街を一緒に歩き、ご飯を一緒に食べた。彼女はとても可愛くて、僕は幸せだった。

お酒を飲んだ後、僕のホテルの部屋でプロイを抱きしめた。
あんな夜にはいつになったらまた会えるんだ。バンコク最後の夜。

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プロイをタクシーに乗せて、彼女は雑踏の中に吸い込まれていったまま未だに会えていない。
僕はこの四カ月後、メルボルンの街でフラれたことに気が付く。

カンボジアへと向かうバスは翌朝六時に出る。
夢の中で生きていけるか、夢を生きるか。安定か、安心か。無感情か、熱く燃える魂に従うか。この見えない力を信じるか。何を望むか。やりたいことは何か。ただひたむきに生きる。

僕はタイで過ごした濃い時間を忘れられないでいる。
忘れられないことばかりな人生を送りたい。人生は続くんだ。


編集後記

くぅー!! なんでこんなにこいつは熱くなってんだ!!

皆様におきましては、どうか火傷をしないようにお願い致します。

俺とnote越しの距離があってよかったね。近くにいたら火傷してんぞ。

ってのは冗談でして、ちょっとここで振り返ってみる。

爺ちゃんの羊蹄山に行ったのは、この時も。

良い事書いてんなぁこいつは、褒めてつかわす。

ありがたき御言葉。


あーーー!! これは追記です。

みんなと出会ったパースの物語はこちら。

音楽が鳴っていて欲しい。

たまの『さよなら人類』を聞きながらnoteを読んで頂ける方はいますでしょうか? たまは天才すぎる。

たまのようなバンドが存在してたってのが奇跡だ。

皆様はご存じですか? そしてたまの素晴らしきセンス伝わってますでしょうか?

僕がここでたまの魅力を伝えようとすると、本筋とブレてしまうので、皆様にはどうかご自身でたまについてもっと深くもぐっていただくことをお勧めします。

(自分には伝えられる文章力がないことをうまくごまかす男!!)

今回は長かった、そしてとても濃かった。

ここでは少しだけ本編で書いていたことをなぞってみます。

海外の旅人御用達のガイドブック『ロンリープラネット』

僕も旅中は大変お世話になりました。『地球の歩き方』

それから『日本昔話』!? これってTVで昔やってたやつかな。

「人間っていいな」ほんとに!! あ、まだたまの「さよなら人類」聞いててください。お願いします。

そして、ドラクエって言ったら、これっしょ?

どうしてこんなに高いの? ファミコン持ってないぜ!!


高田純次さんには、さんを付けて書きましょう。頼むぜ!!

TV見れる方はぜひ。かっこいいポーズしてますね!!

それと……ってこんなにリンク貼ってもって感じだよね。

もう少しだけ、貼らせてください。

シャンバラまつりのHPかな。

最高だったなぁ。

毎回飲んでたのがこちら、タイのビールシンハ―!! 

チャングってのもいってたな。

タイでは、缶でよく飲んでたよ。

空港とかで見かけると懐かしくて飲んでみたくなります。


たくさんお勧めしてしまった。

今日はまだまだこれからです!! 本編で、

俺達のバンドが出演して『シャガールの夜空に』とか演奏したらめっちゃ盛り上がるだろうなって思った。

って書いているんですが、それがこの曲です。

バンドのみんなも元気です。ちなみに俺がドラム叩いてます。

はぁはぁ。今日は本当に書きまくってる。

時間を大切にしたい。

ここから俺の『光の中を旅してた』-第二章 東南アジア編-の宣伝をさせてください。

自分で書いた電子書籍ですから、たくさん売れて欲しいのは言うまでもないですが、広まるまで時間がかかるというのも十分わかってます。

ここからなんです。幸い、全く読まれてないわけじゃないんです。

中にはクリックして読んでくれている方もいらっしゃいます。

どこのガイドブックにも載らないような濃い、一人の旅に発熱していた青年の日記のような、ブログを化粧した電子書籍をクリックして頂きまして、どうもありがとうございます。

この先の景色が見たいので、大切な時間をここに捧げています。

放ちまくった後は、どうなるんでしょう。

そして、先月発表したnoteでは引用表示で書いている、電子書籍を書いていた当時の気持ちの葛藤や希望にフォーカスした裏ダイジェスト版。

『光の中を旅してた』-Only Time Will Tell-

はぁはぁ。

こいつがいつかの昔の俺みたいな奴に届くのを、今また自分でケツ叩いて応援してます。

はぁはぁ。

届くよ。俺に任せろ。


今日はもうここまでにします。

終わらない。締め切りに間に合わせたい!!

次回は、カンボジア。アンコールワットを観に行く旅に出るぜ!!

青年の東南アジアの旅はまだ終わらない。

まだまだこれから熱を帯びてくる。


今日はここまで読んで頂きましてありがとうございます。

本当に長かったと思う。ありがとう。

今日はゆっくり休んでくださいね。

スキ、フォロー、「俺/私もシャンバラフェスティバルいったことある」等のコメント頂けると嬉しいです。

また次回お会いしましょう。よろしく!!

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