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エッセイ

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「最低な母親」という烙印-子どもを施設に託すことは、罪か

 「子どもを施設に預けておいて、自分は教育の仕事をするなんて、いったいどういうことだ」

 「子どもを施設に預けていることを公表しているのだから、広報の業務はしない方がいい。会社のイメージが悪くなるから」

 「『子どもが幸せになるためには、まず親が幸せになるべきだ』なんて、詭弁だ」

 これらは、すべてわたしが当時4歳だった息子を児童養護施設に預けていたときにかけられた言葉だ。
 友人から目の前

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わたしの大事な姉と「うみ」のこと

わたしの大事な姉と「うみ」のこと

 海といえば、思い出すことがある。
 わたしがまだ幼かったころ、母が聞かせてくれた話だ。

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完璧主義とずぼらとの間で

 「もえさんは完璧主義なところがありますよね」と友人が言った。わたしの仕事の一つである、定時制高校での授業について話していたときのことだ。先輩教師がスライドを準備してくれるので、さほど準備はいらない、だけれど生徒にとって分かりやすい授業はできていないと思うとわたしが言ったら、「でも授業はできているんでしょう」と冒頭の言葉をかけられた。

 たしかにわたしには完璧主義な側面がある。学生時代、授業の理

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根を張る

根を張る

 夏を前にして、オクラの苗を植えた。地元の市場にあった、まだ丈が5センチくらいのか弱い苗だ。いざ畑へ赴き、植える場所を決めて土を掘り、育苗ポットから出すと、土がサラサラとこぼれ、根がむき出しになってしまった。失敗してみて分かったけれど、土を掘ってその中に育苗ポットを置き、ポットを裂いて取り去ったらよかったのだろう。結局苗をまっすぐ植えることは叶わず、たよりなげに傾いた苗が畑の土に植わっていた。「こ

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分かれ道の先に

分かれ道の先に

 春。出会いと別れの季節を、きみはどんな気持ちで過ごしているだろうか。もしかしたら、別れとまではいかないまでも誰かと物理的に少し距離があいてしまって、心のどこかにすきま風が吹きつづけているような、やるせない思いを抱えているかもしれない。実はわたしも4月の初めごろ、そういった状態にあった。

 昨年から友人たちと共に映画の上映会を行うプロジェクトを進めてきた。友人の一人が「やりたい」と言ったことをき

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風

 さみしい時、人はどうするのだろう。だれか他者と話をすることを願うだろうか。わたしが心の底からさみしい時は、人を求めてもやっぱりさみしい。そういう時は一人で本を読んだり文章を書いたりするしかないと思ってきたけれど、もしかしたらほかの方法もあったのかもしれない。

 あるよく晴れた春先の午後、わたしは両側の窓を開けた車の中で一人ぼんやりとしていた。日差しがフロントガラス越しに暖かく降り注ぎ、外からは

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散歩

散歩

目的地の定まらない散歩が苦手だった。

どこを目指したらいいのか、どの道を歩けばいいのか、見当がつかないと心もとなくなってしまう。そういう自分がつまらなく思えてしまっていた。仮に「ここまで行こう」と自分で設定できればいいのだけれど、それができない日はいつもすぐに引き返して自宅へ戻っていた。だけれど、だからこそ、散歩には憧れていた。

好きな本の著者プロフィールに「念入りな散歩」という言葉があるのを

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母のロングコート

 正月、実家を訪れていた。うちの実家はその造りや立地のせいか、全体がひどく冷える。宮崎はコートなしで過ごせる暖かい日が続いているというのに、実家に入った途端、上着なしでは過ごせないような寒さを感じ、母の上着を借りた。それは、私が幼い頃から母が着ていた茶色の薄手のコートで、当時、母に連れられて誰かと会うと、その裾に隠れてもじもじと人見知りしていたことや、その頃私が母に対して抱いていた気持ちを鮮やかに

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雨の日-2022年5月30日の日記

雨の日-2022年5月30日の日記

目を覚ますと、外は雨だった。雨の日は、眠たい。世界は静かで、空気が湿っていて、私と外の世界の間にある膜が膨張しているように感じる。からだは、水中にあるぬめりを持った岩のようだ。再び目を閉じる。鼻が利かない。音はくぐもって聞こえる。ただ、私を包み守ってくれる繭のような膜と、その内側にある私の精神世界を感じる。

昨夜は22時には眠りのなかにいたから、十分な睡眠を取ったはずだ。だけれど、私のからだを、

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「ごめんあそばせ」

「ごめんあそばせ」

息子の初めての夏休みもいつの間にか終わった。7月30日からまるまる1カ月間休みだったわけだけれど、私たちが小学生の頃は、もっと夏休みが長かった。海の日前後から夏休みで、登校日は2回あったように記憶している。

うちの実家は母がフルタイムで働いていて、父が自宅で仕事をしていたから、私が小学校のころ、夏休みは学校で実施される学童保育に行っていた。小学校の奥の校舎、図書室の手前に位置する図工室で行われて

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「子どもが商いを通してお金と社会を学ぶ」子商いマルシェに参加しました!

「子どもが商いを通してお金と社会を学ぶ」子商いマルシェに参加しました!

「子どもが商いを通してお金と社会を学ぶ」をコンセプトに、7月23日、「アミュプラザみやざき」前で「子商いマルシェ@まつりえれこっちゃみやざき」が開催されました。主催は戸越正路さん。子商いマルシェは2019年からの開催で、今年で4回目でした。

第3回までは主催側としてお手伝いをさせていただいていたのですが、今回初めて出店者として参加。息子に「お面屋さんしたい?」と尋ねると「やりたい!」と即答でした

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わたしと発達障害

わたしと発達障害

 8月21日、遠藤光太著『僕は死なない子育てをする 発達障害と家族の物語』出版記念トークセッションにゲストとして登壇しました。私はこれまで自分を発達障害という側面から語ることはあまりなく、noteにもそういう記事を書いてきませんでした。でもいい機会なので、今日はその切り口から自分を振り返ってみます。

 私がWAISⅢ(成人知能検査)等を受けて診断をもらったのはおよそ10年前、20代前半だったとき

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答えが10を超える足し算

答えが10を超える足し算

夏休みだ。小学1年生の息子には、国語の「読み声」(よみごえ:宮崎の方言および習慣)といって、教科書の音読のほかに、足し算引き算カードに毎日取り組むという宿題が出ている。

息子は、答えが10以内の足し算と引き算は両手を使って解けるし、手を使わなくてもすぐに答えられる場合も増えてきた。しかし、答えが10を超える足し算がなかなか難しいようだ。

私は普段あまり息子の勉強を見てやれない。宿題は放課後デイ

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