黒木萌
「子どもを施設に預けておいて、自分は教育の仕事をするなんて、いったいどういうことだ」 「子どもを施設に預けていることを公表しているのだから、広報の業務はしない方がいい。会社のイメージが悪くなるから」 「『子どもが幸せになるためには、まず親が幸せになるべきだ』なんて、詭弁だ」 これらは、すべてわたしが当時4歳だった息子を児童養護施設に預けていたときにかけられた言葉だ。 友人から目の前で直接言われ、知人からは会社に連絡がいき、顔も覚えていないくらいの関係の大学時代
「居住空間は大事だよ」と友人が言ったとき、かつてわたしは心の中で反発した。当時、わたしは家賃1万円代のとても古い公営団地に住んでいた。風呂はバランス釜と呼ばれる高度経済成長期に普及した古いもので、浴槽が立方体のため足を伸ばすことはできない。壁がコンクリートでできていて冬はひどく冷えるので、発泡スチロールを壁に立てて寒さをしのいでいた。お湯は外気の影響を受けるので、冬は浴槽にお湯が溜まるのに40分かかった。夏は夏で、熱湯が出てくる。トイレもとても狭い。独立洗面台などあるわけがな
自分の立ち位置を把握し、自分が何に心を動かされ、理解を示すのか認識する聡明さを持ち合わせた上で、自分が持ち合わせていないものを「私はそういうものはまったく持ち合わせていない」と言いきる潔さを持ってみたい
ぴったり秋分の日に日本列島には涼しさが到来し、わが家にはこたつがやってきた。あれから3日経った平日の昼下がり、最寄りの庁舎で手続きを済ませた帰りのことだった。秋の風を感じながら都道を自転車で南下していて、別の街道に差しかかることを示す青い標識が見えたとき、ふと「概念について知ることは、地図を手に入れることに似ているな」と思った。 言うならばわたしはこれまで、特定の一地点をひとりスコップで掘り下げるようなことばかりしてきた。掘った先には同じように別の穴を掘っている他者がいたり
朝から息子と大ゲンカ。うちは、朝はご飯(ふりかけをかけても納豆や卵をかけても良い)かパン(同様に、バタートーストにしてもチーズやハムを乗せても良い)と決めていて、麺類は昼。これはわが家のルールだ。しかし息子は、わたしが(8時くらいに)起きる前(たぶん5時とか)に起きていて、「お腹がすいた」と先に冷凍パスタを食べていた。 それはまあ許そう、休みの日とはいえ寝坊したのはわたしだから。しかしさらにカップラーメンを食べるというから、「それはお昼用」「食べるならご飯かパンにして」と伝
9月2度目の三連休初日、息子とふたりきりの3日間がはじまった。特に大きな予定はなく、息子の自転車の練習に付き添うのと、たくさん家事をして、引っ越してそろそろ1カ月が経つわが家を労わろうと考えた。 朝から掃除機をかけて、床を雑巾で拭く。うちの掃除機は昔ながらの丸型なのだけれど、わたしはこれがあまり好きではない。わたしには少し大きすぎて扱いきれないと感じる(そのうち手にまめる素敵な掃除機、あるいはかわいいほうきとちりとりを手に入れたい)。だから掃除機をかけるのはいつも億劫なのだ
内藤礼「生まれておいで 生きておいで」を観に、東京国立博物館へ行った。複数の友人が観に行き、「よかった」というのを聞いていたからだ。わたしにとって初めての内藤礼だった。 はじめに断っておくと、これは内藤礼の作品を礼賛する文章ではない。ただのわたしの備忘録で、しかもとても微妙な、ややもすると否定的な感情も含むものである。それで不快な思いをするのが嫌な人は、この先を読まない方がいいかもしれない。 同展は、会場が3つに分かれ、第1会場である平成館企画展示室、第2会場である本館特
日曜日。息子に「ママ、自転車の練習しようよ」と誘われ、近くの公園へ出かける。 自転車は東京へ来てから数日後に買った。子どもの自転車は高価で、わたしのものより1万円ほど高かった。フォルムがとても愛らしくて、色はわたしとお揃いのカーキ。息子の身長だと24インチでもいいそうで、その方が長く乗れはするのだけれど、今の息子の足の長さにピッタリだった22インチにした。 後ろの荷台を支えながら、「後ろに漕ぐんじゃなくて、前に踏み込むんだよ」と伝える。昨日はその違いがわからないようだった
近頃、日常的に詩を読むようになった。詩はいい。わからないからだ。地元の友人が開いている詩話会で読んだ詩も、東京の友人と読む詩も、ひとりで読む詩も、一つとして「わかった」と腑に落ちたものは、いまだかつてない気がする。先日視聴したイベントでの永井玲衣さんの言葉を借りて言うならば、わからないから、世界に奥行きがあることを感じることができる。 繰り返すけれど、詩はいい。わからないから、何度も読み返すことで、表現を、行間を、じっくりと味わうことができる。だからここ数日は読書というと詩
永井玲衣さんと寺尾紗穂さんのトークイベント「かけがえのない生の断片の保存」をオンラインで視聴した。さまざまなお話の中で、論文という形式ではこぼれ落ちてしまうものを書いたのが『水中の哲学者たち』という話があって、わたしは仕事や社会的な活動と書くことの間にどこか溝のようなものをずっと感じているのだけれど、仕事でこぼれ落ちてしまうものを言葉にしようという試みが文芸なのかもしれないなと思った。 何より永井さんと寺尾さんの「こぼれおちてしまうものをすくいとる」という態度や試みが尊くて
精神科に通院しはじめてもうどのくらい経つだろうか。大学時代、心の相談室に通っていたのがきっかけだったと思うから、かれこれ15年以上になると思う。大学を卒業して地元に戻り、自分に合う薬が見つかるまでわたし自身も大変だったし、周りの人たちにも心配や気苦労、迷惑をかけることもあっただろう。 発症したのは10代後半だったのにもかかわらず、障害受容に至ったのは20代半ばだったと記憶している。その時の主治医が「過去に原因を探すよりも、今できることは何か考えた方がずっと建設的だ」と言って
引っ越して初めて息子が通院する日だった。学校を早退してバスに乗って向かう。降りたところは人情味ある商店街といった感じで、東京へ来る前は「(東京は)人の住むところじゃない」なんて言葉を真に受けたりもしていたけれど、「なんだ、ここにだって人々の生活はあるんだ」という当たり前のことを思う。 住宅街を6分ほど歩くと通院先に到着した。小さなビルの4階にあり、院内は淡いグリーンと白で内装が施されていて、爽やかな気分になる。しかし息子は持ち前の落ち着きのなさを発揮して、椅子をあちこち移動
聴くのが上手な人は相槌をやたら打つのではなく、むしろ沈黙の使い方がうまい。息子のことでとある機関に相談しているのだけれど、担当の方の聴き方がとても素敵で参考になる。沈黙にわたしの不満が吸収されて静まっていくのを感じた。 大学の勉強を再開した。本来ならば8月中に添削課題を1つ提出したかったのだけれど、引っ越しで落ち着かず、途中のままにしてしまっていた。月火木金はサボることなく課題に取り組むようにしたい。 友人に子育てのことを相談していて、「もえさんはまさに今、福祉の勉強中な
1日が日曜日だったから、なんだかそんな気がしないけれど、もう9月で今日から2学期。息子は転校先の小学校に初登校する日だ。「ひさしぶりに晴れたね」と話しながら二人で家の前の道に出たら、同じ学校の生徒たちが揃いの校帽を被って集団登校していて、一瞬息子の動きが止まる。間もなく学校へ着くも、転校生たちが集まる応接室に入るのも及び腰。 転校生とその保護者で全校集会のある体育館へ移動すると、空調が効いていて涼しい。にもかかわらず、集会中に3人もの生徒がバタバタと倒れる。夏休みの間不摂生
引っ越し作業を進めている。今日は午後から荷造り好きな友人と、高校の同級生が来てくれて、大きな家具の解体などを担ってくれた。電動ドライバーを使ってデスクのネジを抜いている友人の背中をふと見たら、さまざまな工具のイラストがプリントされていて、行動との符合につい声を出して笑ってしまった。理由を伝えると、もう一人の友人はすでに気づいていたらしく、それなのにひと言も発さず心の中で突っ込んでいただろう彼女の人柄を愛おしく思った。 実は午前中、とても美しく豊かな時間を過ごしたのだけれど、
大切な人の誕生日は厳かな気持ちになる。青葉市子さんの作品に「おめでとうの唄」という曲があって、これは以前わたしを大切に思ってくれていた人が何かのときに歌ってくれたもので、思い出深い曲だ。もっともわたしはそのときとても眠かったので、なぜ彼がわたしの誕生日でもない日にこの曲を歌ってくれたのかまったく覚えていないのだけれど。短くてシンプルで、それでいて大切な人の健やかな日々を願う祈りが込められたとてもいい曲だから、以来わたしも大切な人の誕生日にはこの曲を聴くようにしている。 一方