黒木萌|物書き
社会的養護、社会でこどもを育てることについての文章を月に1回程度、更新します。
「子どもを施設に預けておいて、自分は教育の仕事をするなんて、いったいどういうことだ」 「子どもを施設に預けていることを公表しているのだから、広報の業務はしない方がいい。会社のイメージが悪くなるから」 「『子どもが幸せになるためには、まず親が幸せになるべきだ』なんて、詭弁だ」 これらは、すべてわたしが当時4歳だった息子を児童養護施設に預けていたときにかけられた言葉だ。 友人から目の前で直接言われ、知人からは会社に連絡がいき、顔も覚えていないくらいの関係の大学時代
12年前、地元に帰ってきたときはとても孤独だった。産後、孤独がピークに達して、2016年に読書会(その名も「のべおか読書会」)をはじめてから少しずつ人とのつながりができていった。2019年に書いた拙い記事が残っているので、よかったらそちらも読んでほしい。 だからもし今、孤独を感じている人がいたら、自分の好きなことややりたいこと、興味のタネを取っかかりにして、自分で会をつくっちゃえばいいと思う。(少々乱暴な物言いだと自覚しつつ、書いている。) 会といってもわたしはもともと4
わーい🙌お読みくださりありがとうございます https://note.com/hirakumoe/n/nf50d878fa4da
東京へ引っ越すことにした。「引っ越すかもしれない」という可能性を携えて調べはじめたら、トントン拍子に事が運んで条件が整い、実際に引っ越すことになった。わたしはいま地元である九州のとある田舎町に暮らして12年になる。ちょうど干支が一周するほどの期間、地元にいたことになる。それ以前は大阪にいた。大学進学と同時に転地して、しかし当時は心身を病んでいて、休学したり留年したりして、6年間在籍した。大阪という土地が性に合わなかったのかもしれない。 そんなわたしがなぜいま東京へと引っ
息子が幼い頃、ひとりで育てることがむずかしくなって、児童養護施設に預けていたことがある。その体験をもとにエッセイを書いたりもして、その過程で同じようにわが子を施設や里親に預ける体験をした人たちのナラティブを集めたいと思うようになった。その背景には、息子を施設に預けることで他人からかけられた心ない言葉からくる傷つきがあった。だから同じような痛みを抱えて苦しんでいる人たちを少しでも減らしたいと思ったし、そうすることで親が癒されれば、まわり回って子どもたちにもいい影響を及ぼすので
「弱さで惹かれ合ったっていいのかな」と問うわたしに、「ぜんぜんいいでしょ」と恋人は言った。 春雨と梅雨の合間の爽やかな季節に交際をはじめた彼は不思議な人で、彼と深い話をするたびにわたしは少しずつこころがほぐれていくのを感じている。湯船に浸かったら血液の流れがよくなるように、マッサージをしてもらったらからだがほぐれていくように、彼以前と彼以後のわたしは、こころのやわらかさが違うのだ。 今わたしは37歳だけれど、もともとは自意識のかたまりで破裂しそうな思春期を送った。中学生の
先日、とある方のXスペースに入ったら、わたしの「祈り」を読んでますよ、すごくいいです!と言ってもらってすごくうれしかったです。生きていく糧になります。ありがとう。Kindle Unlimitedだと無料で読めるのでぜひ https://www.amazon.co.jp/dp/B0CHXVKFT1/
この世に無数にあるはずの世界の捉え方を、私はもっと知りたい。生きてゆくなかで摩耗されなかった、あるいは生きてゆくなかで確立されてきた、その人なりのものの見方に触れて生きてゆきたい。あなたの目に映る世界を私にも見せてほしい https://awai.jp.net/blog/moeseeing
この世に日曜日があってよかった。なんの罪悪感も持たずに二度寝を重ねて朝を迎えることができる。外は雨。わたしは自宅でゆっくり過ごしたい気分だけれど、息子は外出したがっている。 出かける車内で、先日誕生日プレゼントにもらったくまのプーさんの大きなぬいぐるみを抱きかかえて息子が言う。「プーさんはどうしてこんなにかわいいのかなあ。どうして黄色いんだろう。おいしいハチミツ、たくさん食べるからかなあ。ほんもののプーさんに会いたいなあ」。なんて愛おしいんだろう。車を停めたら忘れてしまわな
「縁・在宅クリニック」は、延岡市で在宅医療(訪問診療)を提供するクリニックです。「その人らしい生き方」を叶えたいと、延岡・島野浦出身の岩谷健志医師が2022年に開業しました。 クリニックの一日は、前日夜間から朝までに患者さんにどういう変化があったか、ないかの申し送りや、当日訪問する患者さんの状態を共有する「カンファレンス」からはじまります。ひとりひとりの患者さんのデータをスタッフで共有し、患者さん本人やご家族がいまどのような状態にあるのか確認していきます。 30分ほどのカ
朝ごはんは「カヤバ珈琲」と決めていた。建築士のYちゃんが教えてくれたお店だ。宿から歩いて15分ほど、少し迷って20分ほどで着いた。たまごサンドを頼んだのだけれど、これがとてつもなくおいしかった……!卵は甘めに味つけされていて、何よりパンがふわふわもちもちしていた。調子に乗って、コーヒーとココアを合わせたというルシアンまで頼んだ。これまた甘かった。大満足の2日目のはじまり。 上野公園へ足をのばそうかなとも思ったけれど、前日の疲れが溜まっていたので一旦宿へ戻り、出発の時間までC
旅先で会う人に渡すおみやげを考えることから旅は始まる。今回は、延岡市の放置竹林を解決するために生まれたという延岡の孟宗竹(モウソウチク)を使用した国産100%メンマ「延岡メンマ」、延岡・北浦の塩「月の塩」を使った「月の塩メレンゲ」、宮崎・日南の塩「沖の潮」、大分・「キッチンウスダ」のスコーンなど。渡す人が喜んでくれるといいなと願いながら一つ一つ選ぶ。 移動の時間はだいたい寝ている。もともと旅と本はセットだったけれど、今回は文庫本すら置いてきた。宮崎空港ゆきのワンマン列車に揺
ピアノを辞めた。 小学4年生のとき、みんなが持っているキャラ物の文房具を欲しがる感覚で「ピアノをやりたい」と申し出たら、母は「ほんとうに続けられるの?」といぶかしそうな顔をしながら近所のピアノ教室に申し込んでくれた。わたしはその日、音楽室でクラスの子の前で演奏する自分を想像しながら、鼻歌まじりで母に促されるまでもなく素早く入浴を済ませて、翌日の登校準備をした。 はじめてのレッスンの日、ランドセルを家に置くとすぐに、母があらかじめ準備してくれていたお月謝袋をレッスンバ
日々の断片を拾う。 2024年2月19日(月) 気圧に比例して気分も低空飛行な一日だったけれど、それも悪くなかった。 2024年2月20日(火) わたしはいま「恋愛がしたい」と素直に言えるのだけれど、それをずっと抑圧してきたものはなんだったのか。わたし自身の心の持ちようが第一で、「寂しい」という気持ちや他者を求める気持ちに蓋をしてきたことも大いにあるのだけれど、「いい親」であらねばという規範意識の内在化もあったと思う。 2024年2月21日(水)
彼と出会ったのは今から3年ほど前だっただろうか。
日々の断片を拾う。 2024年2月12日(月)振替休日、晴れ 失恋した。 2024年2月13日(火) たくさん寝た。失恋に、突然の腰痛に、遅れてきた生理にと、散々で笑える……腰が痛くてトイレに行くのも大変。でもこの年で失恋(つまり恋愛)できるって、なかなかいい人生。大変だったけどいい恋愛をした。 2024年2月14日(水) 『土に呼ばれて』のイベント企画に知り合いの店へ行ってきた。若い頃お世話になった陶芸家さんにその人もお世話になっていて話に花が咲き、たくさんの人