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根を張る

 夏を前にして、オクラの苗を植えた。地元の市場にあった、まだ丈が5センチくらいのか弱い苗だ。いざ畑へ赴き、植える場所を決めて土を掘り、育苗ポットから出すと、土がサラサラとこぼれ、根がむき出しになってしまった。失敗してみて分かったけれど、土を掘ってその中に育苗ポットを置き、ポットを裂いて取り去ったらよかったのだろう。結局苗をまっすぐ植えることは叶わず、たよりなげに傾いた苗が畑の土に植わっていた。「この子はちゃんと育つだろうか」とわたしは心配になった。

 植物は人間から勝手に決められた場所で育つことがあるけれど、わたしたち人間は住む場所をある程度自分で選ぶことができる。わたしは昨年からときどき「どこで生きてゆくのか」を考えている。先のことは分からないけれど、今しばらく、少なくともあと数年間はここ地元・延岡で暮らしてゆくことだろう。わたしは今自分が地元に根を張って生きている実感があるけれど、以前はそうではなかった。

 12年前に地元へ帰ってきたころのわたしは、気の合う友人もほとんどおらず、大した仕事もしていなくて、関係の よくない両親が世界のほとんどすべてだった。わたし自身が形づくった世界ではなく、両親が編んできた世界に寄生して生きていた。社会的にほぼ孤立していたわたしを、母は地元の陶芸家と大学の先生という二人の大人に引き合わせてくれた。今考えてみれば、お二人とも社会のど真ん中からは少し外れた位置に立って生きているような方々だった。その人たちがわたしと社会との接点となった。

 あるときは言葉にして、あるいは何も言わないことを通して、さまざまなメッセージをお二人は教えてくれた。一人は数年前に自然の一部へと還り、もう一人は東京へ帰ってしまったけれど、今でもわたしの恩人たちだ。社会復帰というと、「就労」が前提になりがちだけれど、わたしの場合、自分と通じ合える人とかかわることを通して、社会と接点を持って生きていくことができて、それは幸運なことだった。

 まちに人間関係ができ、まちを起点に考えて生きるようになると、自分のフィールドが拡張する。家や仕事場に限らず、まち全体が自分の大切な場所となる。 二人の恩師との出会いをきっかけに少しずつ根を張ったこのまちで、わたしは読書会や古本市といった活動を行い、仲間と出会って新たなプロジェクトを行ってきた。時には市議会に請願書を提出し、署名活動を行い、友人の出馬を手伝ったりもした。この土地に暮らす人たちと共に、時にはアクションを起こし、時には起こさず、能動的に生きた。でもわたしは数年後にこのまちを出ようと考えている。

 わたしが今気になっているまちは熊本県だ。 石牟礼道子、渡辺京二といった今は亡き人たちが生き、今も『アルテリ』という雑誌が発刊され続けている 。この雑誌は渡辺京二が創刊を呼びかけ、「ものを書くことでしか生きられない人たちをつなぎ、居場所をつく」るという思いの込められた熊本の文芸誌だ。古い書き手から若い書き手までさまざまな人が名を連ねる。熊本には、歴史と文化が息づき、「その土地の人の仕事」が脈々と受け継がれていると感じる。この間熊本へ旅行に行ったときに「わたしが住む場所はここではないな」となんとなく感じたので、熊本に移住することはおそらくないと思うけれど、あのまちの人たちのように、わたしが延岡にいる間はこの土地を起点に考えて生きていこうと考えている。

 オクラは、苗の小さいうちに植えるのと、株が大きくなってから移植するのとでは、どちらが根づきやすいものだろうか。植え付けから1カ月が経ち、小さいながらもピンと上を向いてしっかりと根を張ったその姿を見ながら安心している。わたしもきっとまだまだやれるはずだ。

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