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雨の日-2022年5月30日の日記

目を覚ますと、外は雨だった。雨の日は、眠たい。世界は静かで、空気が湿っていて、私と外の世界の間にある膜が膨張しているように感じる。からだは、水中にあるぬめりを持った岩のようだ。再び目を閉じる。鼻が利かない。音はくぐもって聞こえる。ただ、私を包み守ってくれる繭のような膜と、その内側にある私の精神世界を感じる。

昨夜は22時には眠りのなかにいたから、十分な睡眠を取ったはずだ。だけれど、私のからだを、眼を、脳を、眠りのモードから朝のそれへと切り替えるのには、いつも決まって労力を要する。

普段は私よりずっと早く起きる6歳の息子も、まだ眠りのなかにいる。彼もまた、膜を破るのに苦労しているのだろうか。時計は6時半を回っている。息子が登校するまで、あと30分ほどしかない。

「朝だよー」
と電気を点けて、息子を揺り起こす。顔を洗い、水分を摂る。朝の日課を進めはするけれど、まだ膜は分厚いままで、外の世界を手繰り寄せられない。眠気が何度も私を襲う。部屋には多種多様なものがあるのに、私にはまだ、自分が次の行動を取るために必要なものしか目に入らない。食器を手に取り息子に朝食を摂らせ、名札を手に取り息子の胸につけさせ、体温計を手に取り息子に体温を測らせる。他のものたちは背景に過ぎない。7時15分に息子を送り出すと、私は再び布団にもぐりこんだ。今日はまだ急ぎの仕事はないはずだ。

再び目を覚ますと、膜が薄くなっている感じがした。
「あ、起きられそう」と予感する。時計は8時半を回っている。そろそろ洗濯物を干さねばならない。外は雨だから、居間にエアコンをかけ、部屋干しをする。タオルに靴下、Tシャツと一つ衣服類を干すたびに、膜が少しずつ開いていく感じがする。世界に我が身をさらす。視界にあるものたちが、輪郭を際立たせて、眼に飛び込んでくる。私の眼に、ようやく朝がやって来た。

最近は、自宅で仕事をしない。始めようとしても、エンジンがかからないのだ。部屋が散らかっていることと、おそらく無関係ではないだろう。そう思いながら、今日も散らかったままの部屋を後にする。

そういえば、朝ご飯を食べていない。からだは膜から出て起きたけれど、そうすることでやけに存在を際立たせた靄を私は脳内に感じる。そのまま仕事を始めても、靄がかかったままの頭では、捗らないことが目に見えている。外出先で、ハムとチーズを挟んだサンドイッチと、温かい珈琲を買う。口に含み、噛んで、飲み込む。それを繰り返すたびに、靄が少しずつ晴れていく。時計は9時半を回った。

毎日繰り返される事務作業と、取材のアポイントメントを終わらせ、打ち合わせを1件し終えると、13時半を過ぎていた。普段ならとうに昼食を終わらせている時間だ。だけれど、今日は朝ご飯が遅く、まだ4時間しか経っていない。

先日、消化について調べた。食べ物が口に入ってから4時間だと、まだ消化されきっていないはずだ。ようやく胃でどろどろにされたぐらいの時間で、これから小腸、大腸へと進んでいく。とはいえ14時半には次の打ち合わせが控えている。このままでは空腹で耐え切れなくなるかもしれない。いつ何を食べようか。打ち合わせが終わってから食べると、今度は夜ご飯の時間が悩ましい。

しばし迷って、結局軽食に留めることにした。コンビニで買った、グリーンスムージーと玄米おこげせん。外出先の椅子に座って、黙々と食べる。外は相変わらずの雨模様だ。しかしぼんやりしていたのだろう。どんな雨だったか、あまり覚えていない。

無事に2つめの打ち合わせを終わらせ、帰宅する。ふと畑の野菜たちのことを思う。雨の日は畑へは行かないから、雨の日の野菜たちの姿を私は知らない。喜んでいるだろうか。それとも水分を重たく感じているだろうか。

居間のソファに倒れこみ、目を瞑る。畑の野菜たちのことを思いながら、もうすぐ帰ってくるはずの息子のことを思いながら、それらがだんだんと遠のいていくのを感じる。私は、再び自分を包みはじめた膜を感じながら、眠りの世界へと落ちていく。

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