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巡り合わなくとも人生は楽しい?? 20.12.24

普段はとても温厚な僕だが


すみません、のっけから嘘つきました。

「こいつは絶対許さないリスト」を脳内に保存している僕だが、まぁそれは明らかな悪意、もしくは、善意に見せかけた卑劣さを伴う行為に対してのものだが(←わざわざ公共の場で口に出して言う人=僕)、まったくの善意であっても、いまだに許せないというか、今でも嫌だなぁと思っていることがある。

前にも書いたが、僕が独身だと知って結婚を勧めてくる医師。

なぜ嫌だったのかというと――

詳しく説明すると、その70代ぐらいの男性医師は、僕が妻子持ちの前提で話してきて、僕が否定したら、こうおっしゃったのですよ。
「早く相手を見つけなさい、誰でもいいから」と。
そもそも健診と何の関係もない事はさておき、「誰でもいいから」はないだろう。

結婚を勧めるのは一つの考え方だし、それを口にするのもご自由だが、あまりにも失礼ではないだろうか。

僕だって、そりゃあパートナー的なアレは欲しいとは思わなくもないが、だからと言って誰でもいいとは思わない。僕に対してもそうだが、その相手の方に対しても失礼。


急に話は飛ぶが、BSで再放送中の朝ドラ『澪つくし』。
第一回の冒頭は、こんなナレーション(ポエム?)で始まる。

『恋は危険な訪問者である。
人を傷つけ鎖につなぎ熱い涙を流させる。

時には甘い顔をして油断させ突然不幸の海に突き落とす。

しかし人は誰でも恋を待っている。
恋に巡り合わない人生は空しく、淋しい。』

このベタベタさはともかく、↑ここ、最後!

もう一回

『しかし人は誰でも恋を待っている。
恋に巡り合わない人生は空しく、淋しい。』

そりゃーさー、ジェームスなら何度も「恋(ワンナイト含む??)」に巡り合ってきただろうけど……。

ここで言っているのはもちろん男女間の、だろうけど、たとえ同性間・その他間であっても、「恋に巡り合わない人生は空しく、淋しい』とは言い切れない。少なくとも、現代の考え方では。

もちろん、ドラマ・映画・小説などでは、恋愛はとても重要な要素であるのは認めるし、僕自身そういったものも書いている。

だけど、現実においては、そううまくはいかないし、そもそも恋愛感情を持たない人もいる。
そのような人に無理に恋愛を勧めたり、ましてや「誰でもいいから」などと言うのはもってのほかだと思うのだ。


とは言え、恋するのが嫌いでないのなら、ときめいたほうが人生は楽しいかもしれない。確かに。
相手は別に生身の人間でなくても、創作上のキャラクターでもいいと思う。いわゆる「推し」に心と金を捧げるのも。(身は捧げられないが)

僕自身はもう何度も書いているが、友人もパートナーもいないけれども、代償行動として、創作をしている。
確かに現実の恋愛ではないが、













それしかできねぇんだからしょうがねぇだろが!!!!!


「それはそれで幸せである」などとは書かない。

リアルで恋をしなくとも幸せかどうかは、死ぬときでなければ分からぬ。


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