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アップデートする気なさ過ぎて草 22.6.22

記事中の「インターネットミーム」というのがよくわからないが、「ネタ投稿」という理解でいいのだろうか。

思った以上に「ゴリラゲイ雨」発言に対して寛容なレスポンスが多かった。


140字のつぶやきの中で「ゴリラゲイ雨」と四回繰り返しているので、たまたまその言葉が出た、という弁解は苦しい。

「ゴリラゲイ雨」って面白いよね、という判断のもと、「笑いを取ろうとして」連呼したものと考えるのが自然だろう。



では、なぜ発言主は「ゴリラゲイ雨」で笑いが取れると思っていたのか。



「差別する笑い」はかなり昔から存在していた。

ことわざでも、体に障害のある人を揶揄するものは少なくはない。地方差別などもそれに該当するだろう。

当然ながら、笑うのはそれに該当しない立場の人間(の一部)である。

今回の例で言えば、「ゴリラゲイ雨」を笑う(笑える)のは、非LGBTQがほとんどであろう。ゲイ側の人間は「ゲイ、ゲイ」と言われても、「男、男」「女、女」と連呼されているのと同じで、「それが何か」と言いたくなるのではないか。

ただ、「ゲイ」という言葉自体差別用語でなくとも、


大企業のツイッターが

執拗に繰り返し

笑いをとる目的で


「ゲイ」と繰り返すのは、不用意と言わざるを得ない。


一方、ゲイ(自称含む)側においても、「自分もゲイだけど外野が騒いですみません」「そこまで騒ぎ立てることなのか」という意見もある。

ただ、自分がゲイであるから、自分のそれをゲイ全体の意見として語るのは違う気がする。「自分も男だけど」などに変換するとわかりやすいが、「私は気にしません」以上の意味は持たない。



僕は現在52歳だが、僕が子供のころはもっともっと酷い有様で、いまでも活躍しているあのタレントもあの芸人も、平気でゲイ(ホモ・オカマ)差別を公共の電波に乗せていた。

まるでそれが、「誰も傷付けない、もしくは傷付けたとしてもどうということのないテッパンの笑い」であるかのように。


(参照)



繰り返すと、「差別ネタ」を笑う(嗤う)人が多いからといってもあくまでそれは差別であるし、「自分もゲイだけと気にしない」は、「※個人の感想です」の域を出るものでもない。



漫才で、ツッコミがボケの頭を叩く笑いの取り方? がある。

過去のことではなく、普通に今でもテレビでたまに見る。

僕自身はその手の芸風は苦手だが、少なくともコンビ内においては了承済のことである。仮にボケ(とされる人物)が叩き返したら笑いにはならない。


ゲイネタで遊んでいる人たちには、「なぜいつまでもゲイは『ネタ』にされ続けなければならないのか」と訊きたい。たとえばインムとか●●ダディーとか、出演者の写真付きで晒し続ける行為は、笑いのネタどころかデジタルタトゥーに近いものがある。



もちろん、これも個人の意見の一つである。


ただ、「ゲイ」を連呼していることが可笑しい? のであれば、一昔前の「ホモ・オカマと言っとけば笑いが取れる」的な考えとほぼ変わっていない。


まさに

笑いの感覚が、昭和からアップデートされなさ過ぎてて草。



さて、ここで9年前の東●ポの記事を見てみましょう。





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