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「学校教育を考える」

4月の入学式を終え、約3か月。
学生達に「もう学校慣れた?楽しい?」と聞くと、マスク着用必須の生活で、まだクラスメイトの半分以上のお顔を見たことがないのだとか。

えー‼驚きというか、共に生活する仲間の顔を見ずに円滑なコミュニケーションって図れるのだろうかという疑問も浮かびあがります。

コミュニケーションの円滑を図るメラビアンの法則では、言語コミュニケーションは人がコミュニケーションの際に受け取る情報を100とした場合、言語情報は7%であり、非言語情報は93%にもなります。
この非言語コミュニケーションの内訳は見た目や表情、身だしなみなどの視覚情報は55%、声のトーン・大きさ、話し方の速度などの聴覚情報が38%
となるのですが、マスクをしていると表情も見えないし、声もモゴモゴし、こういった情報が受け取りにくくなります。

そして、思春期の学生から出た「ここまで来ると逆にマスク外しずらい」の言葉の裏には、顔全体が露わになった時に恥ずかしい気持ちになるからとの意見も。中にはお水を飲むときの一瞬ですら顔を隠すのに必死な子も。コミュニケーションだけでなく、心理面への影響も著名に現れています。

また、登下校と体育のマスク着用で、「マスクしながらの運動って苦しい。」との声も。
酸欠状態、熱中症になっているニュースも連日放送されています。
育ち盛り、学び盛りなこの時期、身体だけでなく頭にも十分な酸素が巡らない状態であることも含め、このマスク問題、体と心の健康に弊害を生じているように思います。

とその前に、実際このマスク生活に慣れてしまった子供たちは今の状況をどう考えているのでしょうか。
コロナ、飛沫感染、マスク、3密を避ける、ワクチン接種。
この根拠を理解している学生はどのくらいいるのか知りたいところです。

学校では、消毒、検温、マスクと予防策を徹底する方針ばかり目立ちます。
集団生活なので、時にみんなが同じ方向を向き行動することを教えるのも大切ですが、それに対し学生が自発的に動いているかに重きを置く必要があるのではないでしょうか。大人があたかも自分たちが正しいかのようにルールを作って子供を従わせるのではなくてです。音読のみ、板書のみの授業はさておき、率先して分子栄養学や免疫を上げる方法、自分で身を守る術を教えてほしいです。

子供は大人が思うよりも、賢く、頭が柔軟です。授業でコロナや飛沫感染について調べる機会を設け、学校生活における予防法を提案し、それを教育委員会に提示することだってできるはず。
子供たちもその延長線上で、そういった知識を理解することもできます。家に帰り、家族にそれを伝えることで家族も守れます。小学生くらいの子供たちは、喜ぶ家族の姿を見て一家のHEROになり、自信にも繋がりそうです。

火災訓練よりも、ワクチン接種を推奨するよりも、今起きているコロナに対し、自分達が何ができるか考え行動させることを率先して行うべき。
と言って、2年近く経ってしまいましたが、こういった行動を起こさず予防策ばかりに目を向けた結果がこの年月を物語っているようにも感じます。
「生きる」「生き抜く」ことを学校教育に導入してほしい。

「今は漢字の書き順よりも、自分の言葉を発言できる子が求められる時代となりました。」
と小学校の教員の方から聞いたお話。
これには賛同ですが、大人の求める正解を発言できる場ではなく、子供の意見をもっと尊重する場ができるとよいなと思います。

大人は会食解禁されているのに、学校は黙食。
大人だけは自由だよね。とこちらは現在見直し中のようですが、このリアルな声を聞くと、子供の自由を大人が必要以上に奪っているなと感じる今日この頃です。
みなさんはどうお考えでしょうか。

ハルカ

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