赤穂緞通

インフィニティは100以上の製品があり、さらに20%以上が直販である。

インフィニティの底辺データ:中国最大の直販企業になりたい理由16日午後、田秀平さんは、3歳の娘がヘリコバクター?ピロリ菌感染症と診断され、陝西省の地浴·ンフィニティ指導員ファン?レさんからインフィニティ8製品を毎日大量に摂取するよう勧められ、その後、複数の病院で心筋損傷や低血糖症などの診断を受けたことを投稿した。 記者は直売所の上司「ワンレ」を通じて、この病気のことを知ることができた。 記者は、直

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奈良市紀寺町にて赤穂ギャベの展示会始まる!

2019年10月から表向きにスタートした赤穂ギャベ、2020年に予定していた企画はことごとく中止となってしまったが、社会全体の対策もひとつの形が見えはじめてきたと思うし、僕らも少しずつ動き出せているんだと思う。

先月、新しい織り手さんとの関わりの一つとして、岡山・美咲町にある「アーツ&クラフツビレッジ」にて開催したワークショップは好評に終わり、今月も実施することになっている。

そんな流れもあっ

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藍手鑑帳とは色見本みたいなものだろうか。

後でじっくり加筆するか、それともそのままか...。ひとまず、備忘録として残しておきます。

久しぶりに美山町を訪問

... 訪れるキッカケとしては、
同じく美山町の「美山かやぶき美術館」にて開催されていた「民藝を想う」という展示を観に行くことから始まる。「赤穂ギャベ」のメンバーに兵庫県民芸協会に属している方もいることから、いろいろ民藝界隈のご縁が増えてきているんだけれど、今回もその流れになる。

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オンラインでは手にとって触れていただくように伝えられないけれど...

綿糸でつくる手織りの椅子敷き「赤穂ギャベ」は、赤穂緞通の織り手さんが、今の暮らしに合うような敷物を作れないかと模索され、赤穂緞通の枠組みに含めることはできないけれど、同じ道具や技術を使った商品として開発された。

...もともとスロースタートであったが、展示会などで実際にその質感に触れていただく機会を設けて商品を発表していた中、この社会情勢で積極的にそのような機会でさえも叶わなくなってきている。

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赤穂緞通を復習する(流れで...トークイベントしておいた♪)

以前も書き残しておいたんだけれど、僕が赤穂緞通(あこうだんつう)と呼ばれる存在を知ったのは2007年、その翌年に京都・文椿ビルヂングで開催される展示会「幻の『赤穂緞通』展」の準備のために兵庫県赤穂御崎の工房訪問まで遡る。

以来、赤穂御崎の工房ひぐらし(橋羽さん)、赤穂坂越のつづれや(田川さん)など、赤穂緞通に関わる仕事を陰ながらサポートさせていただいていた。そして、流れで... 2019年、赤穂

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日曜に地元朝市に行くまっとうな暮らし

今日は朝から備前福岡の市という朝市に行ってきました。刀鍛冶が研ぎをしてくれるというので、前々から行きたいと思っていたのです。

眩しいばかりの五月の朝、ブルーラインという自動車専用道路の終わりにあるメタセコイアの群木を横目に(秋には黄葉がとても綺麗)、

入り組んだ入り江のヨットハーバーや鄙びた漁港を横目に、

辿り着いた小さな朝市。
でも内容は素晴らしくて、若いお兄さんが一人で手作りしているコチ

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シルクロードの東の果て 文様考察2

「Chinese Carpets」は工房六月の蔵書を借りています。この本を渡してくれる時に赤穂緞通とそっくりの文様がある!といっていた19世紀新疆の絨毯。
縦糸横糸は綿でパイルは絹、珍しい文様と解説にあり。96×178cm。

そしてこちらが収集の中の赤穂緞通、未手入れ。94×190cm
推定制作年代は明治末期から大正時代。
もうここまでそっくりだと、現物を見本にして作ったとしか思えません!
額縁

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シルクロードの東の果て 19世紀

赤穂緞通はどうして生まれたか?の続きです。
1845年前後の清は激動の時代でした。アヘン戦争が1840年に勃発し、南京条約1842年、北京条約1860年と続きます。
そして中国の絨毯は進出してきた英国を中心とする欧米列強によって流出していきます。一方ペルシャ絨毯は最盛期が17世紀までといわれ、18世紀にはアフガンの侵略などにより急速に技術が衰えたそうです。このクラッシックペルシャ絨毯は19世紀から

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赤穂緞通はどうして生まれたか?

さて、ずっと私が疑問に思っていたことがあります。
赤穂緞通は児島なかという女性が弘化年間(1845年ごろ)に高松で万暦氈を入手し、それを再現しようと試み、明治3年(1870年)座布団大が完成、明治7年(1874年)に一畳織り完成、という点。地元の郷土史研究家による資料の中に明記されていますし、一般的に公開されている赤穂緞通の紹介にもそのように説明されています。
赤穂緞通についてはこちらがわかりやす

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シルクロードの東の果て 文様考察

ひぐらし引きこもり日記13で書いた内容の続きです。

昭和49年9月に日本橋三越で開催された「中国の古緞通展」図録より
包頭絨毯「花王団文」19世紀後期 125×65 2枚

上の額縁部分に使われている紗綾形文は、日本でも古くからある文様だとぼんやり思ってましたが、明の時代に日本に渡ってきたらしいです。
そして紗綾文は包頭の西の寧夏の緞通にもよく使われていて、このサイズはイスラム礼拝用に作られたと

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