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シルクロードの東の果て 文様考察2

「Chinese Carpets」は工房六月の蔵書を借りています。この本を渡してくれる時に赤穂緞通とそっくりの文様がある!といっていた19世紀新疆の絨毯。
縦糸横糸は綿でパイルは絹、珍しい文様と解説にあり。96×178cm。

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そしてこちらが収集の中の赤穂緞通、未手入れ。94×190cm
推定制作年代は明治末期から大正時代。
もうここまでそっくりだと、現物を見本にして作ったとしか思えません!
額縁部分の焦げ茶は鉄媒染のせいか相当傷んでいるが、それ以外は洗えばかなり美しく復活する予感がします。

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明治時代になると欧米で日本ブーム「ジャポニズム」が興ります。
工芸品の輸出は外貨を獲得するための明治政府の重要な政策であったため
赤穂緞通も明治中期から後期にかけて、ニューヨーク・ロンドンへ輸出など注文多く活況を呈する、と記録にあります。お召列車や枢密院などに納入したのもこの時期です。上の緞通はおそらくこの時期に作られたものだと思います。海外から珍しいものがいっぱい入ってきて、それを日本流にアレンジし、その技巧や美しさが欧米人を驚愕させた時代の熱気を感じさせる勢いのようなものが、今でも緞通に残っています。私は個人的には大正末期から昭和初期にかけてのオリジナリティあふれる文様に挑戦した時代の赤穂緞通が好きなので、明治の中期から末期にかけてを第一次最盛期、大正末期からを第2次最盛期と呼んでいます。

コロナ渦のおかげで続けて展示会3回がキャンセルになり、思いがけなく暇な時間ができたので、前々からやってみたいと思っていた文様や緞通の歴史のことを調べる余裕ができました。手に入る限りの資料を読み漁ったのですが、いまだに図書館は閉館中だし、これ以上のめり込むのは止めて、本来の機の前に座る暮らしに戻ろうと思います。
思い返してみれば、それまで手仕事というものをしたことが無かった私が、親の介護のために赤穂に通うようになり、赤穂緞通というものを見つけたのが20年以上前。赤穂緞通を伝承する会の講習生として織り手の道に進んでからも15年経ちましたが、一度も休みたいとか辞めたいとか思ったことはなく、日々新しい事の発見に満ちた楽しい暮らしです。絨毯であれ平織りであれ、機を織るというのは女性の遺伝子に組み込まれた本能だなぁと実感しています。

facebookページの方では今までに手掛けた「懐かしい緞通」の写真をアップしていっています。よろしければそちらもぜひご覧になってください。

赤穂緞通工房ひぐらしG wrote #赤穂緞通 #文様


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