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後編:『佐伯春菜』とはこういう人間〜社会人生活スタート!〜


【念願のテイクアンドギヴ・ニーズでの3年半】

その後、私は念願のT&Gに就職
まずはTRUNK(HOTEL)にて2017年のオープンに向けて、新部署を任せていただきました。
ラウンジ統括という場所で結婚式のすべての把握と全施設がうまく回る様に指示を出す部署でした。
とにかく連携第一の部署で、前例もない中、悪戦苦闘していました。

小木さんという素晴らしい上司に恵まれ、沢山のチャレンジをさせて貰いました。本当に伸び伸びと私が活躍しやすい様にサポートしていただいて、物凄く楽しく仕事をさせていただきました。
小木さんから私が勝手に学んだことは

【リーダーとは】
・メンバーが能力を存分に発揮できる環境を与える
・メンバー自らが考え、行動し、挑戦できるフィールドへ向かわせる
・そして成功体験から楽しいなどと気づかせる
=その人がその人のパワーで輝く
のだと勝手に解釈して学んだのでした。
様々な苦労もありながら、ご迷惑もかけながらも沢山の経験をさせていただきました。

TRUNK(HOTEL)ラウンジ

ー福岡転勤

ここではまたまた、本当に色濃いことが沢山ありました。
先輩たちにめちゃくちゃ怒られました。(笑) 

ただ、私は本当に運が良くて、お客様に恵まれていました。
まだブライダルフェアの案内のテストに合格をしていない時期だったにも関わらず、たまたまどうしても接客にでなければいけない状況になりました。
(そんなことまず起きないのだが、、、そこで私に接客を任せてくれた支配人、感謝してます。)

テストも合格していない初接客だったのですが、そこで初めてご契約をいただきました。
想いの強さと本気でおふたりを私が幸せにしてみせる!!という気持ちだけはブレなかったので、伝わったのだな〜と嬉しい気持ちでした!

今でも年始のご挨拶をする関係で大切で大好きなおふたりです。

これまで出会わせていただいたご新郎ご新婦様の皆様を私は、1人として忘れたことがありません。全ての経験が今の私をつくっています。
改めて出会っていただき心から御礼申し上げます。

ー大阪転勤

沢山の新郎新婦様に出会い
・営業推進、結婚式つくり、チーフ代理などを経て
・エリアで1番の契約数・率をあげさせていただき
・エリアで1番お客様を担当させていただき
・BEST of 7Gというものをいただき
・最後にゼクシィ(リクルート様)主催の
「GOOD WEDDING AWARD」にノミネートしていただきました。

この時代本当に青春の様で駆け抜けてて楽しかった
朝6時出社→深夜2時帰宅など
それでも仲間のおかげで幸せだった


出会った方々に本当に感謝の気持ちで頭が上がらない
その後、コロナウィルスが蔓延した頃に、お客様が全員1年後に日程変更。

入社前友人には「私はブライダルを3年で辞めて、経験値を高めるために別の業界へ転職するから時間がないんだ。」と話していたのですが、3年半というこのタイミングでコロナがきて、ここで転職へと動きます。

最後はバタバタ整理整頓が出来ずでご迷惑をかけてしまったな。と反省する部分もありますが、理解してくださった皆様に心より御礼申し上げます。
今私がこうして居られるのはこの時があったからです。

ー投資用マンションの不動産へ転職

毎日300本以上お電話をさせていただきデビュー後すぐに恵比寿の物件をご契約いただき、翌月の社内売上ランキング1位へ
そしてその活動を知っていたとあるベンチャー企業の社長に
「2か月後から新卒を採用を始めたいから人事部を立ち上げてくれへんか?」
と言われました。

とても悩みましたが、絶対にチャンスだと思い飛び込みました。

ー人材会社の新卒採用 人事部の立ち上げ

準備期間2ヶ月ちょっと
そこから約半年間にかけて採用活動へ

某大手人材広告企業Mナビの担当者様からは、
「ベンチャー企業で現時点での知名度で、新卒を10人も採用するのは無理だと思います。」とキッパリ言われました。

そうです。
ここで諦めないのが佐伯春菜です。

またしても、深夜2時になってもお構いなしで、勉強と年間活動計画をたてました。
とにかく数か月後にはスタートしてしまうので、とある大手企業の人事部をしていた友人にオンラインMTGを依頼して急いで情報収集をしました。
(あんちゃんあの時は本当に有難う)

・年間計画をたて
・KPIの設定
何人の学生に説明会に参加して貰えば良いのか、じゃあ一体何人の学生に接触するべきなのか、そのために必要なことは?物は?
など考え、計画し、発注し、動画撮影など含め準備を進めていきました。

沢山の学生に自社の魅力を全力で何度もプレゼンしました。
合同説明会では、沢山の学生たちが足を止めてくれて、沢山質問をしてくれました。

その後そこから自社説明会、採用面接活動、インターンの企画や、研修を行いながら2022年4月には13名の新入社員を迎えることになりました。

内定式にサプライズで
家族からの手紙を渡し
大号泣してくれた内定者のみんな
初めは1人で始めた人事部も
課長になりみんなが支えてくれました

ー今じゃ考えられないが専業主婦になりかけた

その後、人材会社を退職

退職をした時
お花嬉しかったな〜


当時交際をしていた彼から「結婚をするなら仕事はやめて欲しい」と言われ、仕事が大好きだったはずなのに、仕事を退職し、専業主婦みたいになりました。
その時はそういう人生もアリか~と軽く考えていました。

次第に家に篭り、誰でも出来る作業をただ淡々とこなす日々、それがつまらなくて、フラストレーションが溜まりました。
日々自分の存在意義って何だ?と思っていました。

人生が一番長く感じた日々でした。

結婚予定だった彼とは同棲していた彼の家から夜逃げの様に飛び出しました。知人から詐欺にもあいました。お金がなくてルームシェアもしました。

でもこの時に助けてくれたあさこさんという女性。今でも感謝していてこの方も私の恩人です。それから、この地に住んだからこそ大好きなトップネイリストで勝手に私が姉の様に慕っている美女で、愛情深くて、パワフルで、笑いのセンス抜群な美咲さんにも出会います。
そういったかけがえのない出会いをさせて貰えたことには心から感謝です。

ー海外インフルエンサーPR事業

そしてその後、やはり仕事がしたい!!
そう思って就職ではなく、2023年1月に個人事業主となります。 

その時始めたのは海外インフルエンサーPR事業。
海外のインフルエンサーを起用して、企業のPRをして貰うというもの。

事例は集めていたとはいえ、まだまだ弱い時期。
初めてご契約をいただいたお鮨屋さんのオーナー
2回に渡り提案をさせていただき、お任せいただけることになりました。

物凄く、物凄く嬉しかった。
信じて任せてくださったこと改めて有難うございます。

実際に、ほぼ毎月ペースで海外のインフルエンサーを誘致することが出来ました。

・店長からも海外富裕層のお客様が増えた
・インフルエンサーの投稿を見て来店する方が多々いた

など嬉しいお言葉を頂戴していた。
とても楽しかったし、やりがいにも繋がった。


だが、、、スケールしない。。。。何だこれは?この違和感はなんだと思い始めます。

ーキーエンスに学ぶ経営コンサルティング企業にジョイン

そんなタイミングで私に足りていない部分を補うかの様に、経営コンサルティング企業にジョインすることになりました!

5年ぶりに東京へ戻ってきた2023年4月
ここで、私の人生が大きく、これまでの経験がやっと1つの輪になって繋がっていきます。

田尻社長からよく言われていた言葉は
「AIが発達しても、最終人間の心、想いの部分は個性が出る。だからこそ、これからの時代は想いの強さや人間力には磨きを掛けなければいけない」
と。

想いの強さ、私の得意分野だ!と思った瞬間でした。

そして師匠である野呂さんにも出会い、鞄持ちの様なこともさせてもらい、一緒に仕事をして、成功者の方々の行動、発言、大切にしていることを間近で拝見させていただきました。
なんて私は運が良いのだろう。
感謝し続けて頭を上げない様に這いつくばって生きよう(笑)
ほふく全身だ!と思います。

そう思うくらい幸せな人生です。

人間力、性格、センス、品、美貌
すべて完璧な大好きな山城葉子さんに再会し
お食事ご一緒にさせていただいたり
イモトのWiFi、にしたんクリニックなど
を手掛ける西村社長にもお会いした



その他にも、UUUMの役員さんや、テレビ局の方々、有名雑誌の編集長さんや、様々な雑誌の記者さん、テレビのデスクの方やディレクターさん、女性で活躍している若きリーダーたち、投資家さん、資産家さん、元アスリートの方、色々な方の人生に触れました。

【2023年とある講演会にて野尻会長に再会】

2023年6月 
その日の講演会にて野尻会長は、これまでのこと、これからのこと、結果として貢献していることなど話をされていました。
大変勉強になり、改めて感銘を受けます。
私が人生で初めて憧れた方は10年経った今も走り、挑み続けているんだ。と


そして、講演会が終わってからご挨拶へ伺いました。
「あ!覚えているよ。山川咲ちゃんみたいになるって言ってたじゃん!!」

と突っ込まれました。。。 

その時私は、グサッときました。
まだ何も出来ていない、何も社会に貢献が出来ていない、このままじゃこのまま埋もれて、忘れられて、無かったことになると焦った瞬間でした。

まだ胸を張って野尻会長にお顔向けできなかったことが、その時とても悔しかった。
だけど7年たった今も覚えてくれていたこと、それは本当に光栄だった。
そしてある言葉を授かります。

「日本にとらわれず、海外をみた方がいい。」
「もっと視野広く、海外のスピードにしっかり乗って」

この言葉をいただいて、私は視野が広がった気がします。
今もとても大切にしている考え方になりました。

(右:)学生の頃いただいたサイン(当時20歳)
(左:)7年ぶりに再会していただいたサイン(現在27歳)


いつか野尻会長と山川咲さんとお鮨を食べにいくというのが私の密かな笑われるかもしれないが目標の1つだ。

これは、西麻布で働いていたお鮨屋さんの親方にも話した目標だ。
親方は赤坂で自分のお店を出して、人気親方になっている。さすが親方。
今でもあの日々を思い出し、沢山背中押して貰ったな〜となんだかジーンとします。赤坂のお鮨、立派な女性になって食べにいきますからね。

ちなみに、お鮨屋さんではとあるお客様に夢をバカにされていました。
「ウェディングプランナーになるより大企業に就職した方が良いよ!」
「女性社長とか厳しいよ」「若気のいたりだね」

など悔しい言葉を貰いました。

あの日の、光景お客様のお顔、声、言葉、悔しくて裏で号泣してみんなに「はる!大丈夫?どうしたの??」と心配された事、どれも忘れていません。(笑)
大人になった今思うと、本当にピュアな田舎者だなーと西麻布という地で何してるんだよ、恥ずかしい。とも思います。
でもその時のあの気持ちは絶対に味わうべきだった、私にとって大切な傷だと思います。



(ちなみに・・・)
ここで出てきた山川咲さんという方は、ご存知の方も多いかもしれないが、CRYZYWEDDINGの創業者であり、私の大好きで憧れている女性の1人だ。
情熱大陸にも出演されている。


CRYZY WEDDINGのオフィスでの講演会に足を運び、咲さんの話を聞いて、その後ハグをして貰った日のことも大切な宝物になっている。
前に使用していたInstagramのアカウントにその日の気持ちなどがつづってあった。


咲さんとはその後、3.4度ほどご一緒する機会があり、その中でも印象的なのは、ビズリーチの南壮一郎さんの誕生日パーティのお手伝いした際に「からあげ事件」を起こし、その後何度かお会いした時にも私の存在を覚えていてくれていたことです!笑

(からあげ事件:南さんの誕生日パーティーの際、キャストの皆様のおにぎりの買い出しを任された。 というか私行きます!と率先して向かった。
そのおにぎり屋さんの隣はからあげ屋さんだったので、皆さんおにぎりと一緒にからあげ食べたいかな?と勝手にからあげを買っていったのが私、佐伯春菜でした。
誕生日パーティーが終わり、最後のミーティングで咲さんが「ってか唐揚げ買ったの誰?めっちゃくちゃ面白いんだけど!」とイジられました。笑)

咲さんと一緒にパシャリ


それから月日は流れていますが、私は27歳になりました。
咲さんがCRAYZY WEDDINGを創業したのが、27歳。
同じ年になりました。


必ずまた会いにいきます。

次は立派になった姿でお目にかかれる様に。
成長しておきます。

私が2020年に掲げていた言葉
「自分でつくる世界をいきていける女性」から、

私の人生を振り返り大切にしていた言葉が
ようやく今後の人生の軸へとなりそうです。

「守りたいものを自分の力で守れる人に」

家族、友達、大切な人、好きな人たちを守るには、
何かにすがったり、誰か任せではいけない。

私自身が強くなり、力をつけ、この手で守る。
そう強く思いました。
し、たった今も思っています。


ーそしていよいよ (次に続く)


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