変化のスピードが早い今、知識習得より、楽しく学び続けられる力が大事『何のためのテスト?』第8章(読書会記録)
社会構成主義第一人者ガーゲンの「何のためのテスト?――評価で変わる学校と学び」のオンライン読書会の記録です。※あくまで個人の受け取り方・感想です。
第9回は第8章。授業評価、学校評価ときて、教育改革全体の視点から、改めて関係に基づく評価について書かれています。面白いのは、読み手の反論を想定し、対話形式で回答をしているところ。
ここまで読んでて、でもきっと難しそう……と思ってたことへのアンサーが書かれてました。
カリキュラムはガイドやコンパス
教育とは均質性を確保すること、公教育=平等という認識が広がる中で、カリキュラムが同じ=先生の「当たり外れ」が減る=機械がやっても同じ状態になってしまっています。
対して、実際の児童・生徒の状況は、民族・セクシャリティ・家庭環境などなど、バックグラウンドが大きく異なるので、均質的な教育では対応が困難になってきているというのが、本書での基本スタンス。
その中で、カリキュラムは「命令」ではなく、「ガイド」や「コンパス」として学びの旅のルートを個人に合わせて複数つくっていけるといいよね、ということが書かれていました。
主な反論への回答
私自身も気になってた、「でも、実際できるのかな……?」への回答を一部要約抜粋しておきます。
Q平等に基本的な知識を習得しなくて良いのか?
知識の習得自体を否定しているわけではない。ただ、テストのために強制的に暗記をするような状態よりも、興味や情熱を持って自ら学び続ける状態の方が、重要では?
特にデジタル化がすごいスピードで進む中では、「将来何を知っておくべきか」の知識面すら不明瞭になってきている。
そのため、知識自体よりも、自ら継続的な学びができることの方が必要になってくる。
Qただでさえ忙しいのに対話なんてできない!
ガイドのように「共に」考えていくカリキュラムになれば、教師が膨大な準備をして一方的に教えるとか、間違っていて叱るとかの必要がなくなる。学びのパートナーとして、児童生徒と一緒に進めていくので、授業準備の時間は大幅に削れる。
(そもそも、教師が知識を均質的に伝えるという「説明責任」は不要)
Qテストで評価しなかったら客観性がないのでは?
そもそもテストでの評価が客観性があって平等ということが幻想。児童生徒のバックグラウンドがそれぞれ違う中で受けているテストに、平等性はない(本書の中では特にアメリカの多民族間における違いが書かれてますが、日本でも子どもの貧困や地域格差などがイメージしやすいのかなと思いました)。
読書会での意見交換
関係に基づくカリキュラムの1つとして探求が本書に出てきていて、日本でも広まってきているが、形骸化してきてしまってないか……方法が良いわけではなく、そこに至るプロセスが大事
変わりゆく世界では学び続けていくことが必要。でも、最近の、リ・スキリングも含め、学びもコスパで考えらえてる?最低限の投資で最大限の成果を得たいという風潮
「成績が良いことで評価されている学校・生徒」からすると、既存のテストによる評価を変えるメリットがない。関係による評価をやっていこうと思うと、既得権益との折り合いの付け方が難しくなりそう
七夕のお願いが「表彰されたい」という子。表彰など特別に褒められないとダメというのは椅子取りゲームの状態。他人と比べてではなく、その子自身の良いところもダメなところも好きというように、評価の軸をずらして違う文脈で承認することも大事
📖読書会記録
序章 ガーゲンの新作「何のためのテスト?」
第1章 テストで正確な「評価」はできない?
第2章 先生・生徒の新たな関係パターンとは?
第3章 「価値」を先生と子どもが共同探求で決めていく
第4章 小学校で「関係」に基づく評価を行うヒント
第5章 中学・高校で「関係」に基づく評価を行うヒント
第6章 教師1人が学びの責任を持たない、包括的なアプローチとは
第7章 学校自体も、多軸で評価をしていく
📖ガーゲンの前作「関係からはじまる」読書会まとめはこちら
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