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質と量はどちらが先か

業績が停滞気味になっていたり、低迷していたりする拠点の状況を確認してみると、該当拠点の拠点長からはどこもよく同じような回答が返ってきます。

言えば「今は内部体制を整えています」、言えば「今はケアの質の向上の方に力を入れています」などなど。

その言い訳全てに共通しているのは、結果として外部活動を疎かにしてしまっているという点です。

そもそも内部体制がガタつくのは、お客様を見ようとしないスタッフたちがケア以外で目についたことに不平不満を漏らしだすから。

もっというとお客様がいないことで、スタッフたちが暇になることが主要な原因です。

そして、そういった不平不満を漏らすスタッフが増えることによって、お客様へのケアが疎かになりがちになり、「このままではダメだ」「もっとケアの質を高めないと」と上長はそっちに意識を向けようとするのですが、そもそもダメになったのはケアの質ではなくて文句を言い続けるスタッフの士気や関係性であり、拠点内の連携を低下させたのは「何のために」という目指す方向性を示さずにスタッフたちを暇な状態に置いている上長の在り方の問題なのだと思っています。

組織においては、よく業績やサービスについて触れるときに「質と量」の話になることがあります。

果たして、質が大事なのか、量が大事なのか、はたまた質が先なのか、それとも量が先なのか。

「質より量」、その反対に「量より質」なんて言葉もありますよね。

では考察してみましょう。

例えば開設したての拠点で、サービスを利用してくださるお客様の数も少ないのに、質を向上させようとしてもスタッフが経験値を上げていくには限界があります。

質を上げるというのは、言い方を変えるとスタッフそれぞれが成長することでもあります。

成長するためには、多くの経験に向き合い、自分の中にある「因果律の束」を分厚くしていくことが大切だと学んでまいりました。

「因果律の束」については解説しないと少し分かりにくいですよね。

サービスを提供する中で「こうすればああなった」という起こった事象に向き合った際の、「原因と結果」の事例をどれだけ自分の中に蓄積してきたのか。

それを便宜上、「因(原因)果(結果)律(法則)」の束(蓄積)と表現しています。

つまりは、原因となる多くの問題に出会うためには沢山の経験をする必要があり、経験に向き合った回数の蓄積が質の源となるのだとすると、この場合は「質より量」が正解なのだと思います。

実際、量を重ねると質が上がるということで、「質量転化」というちゃんと名前の付けられた法則があるのですよね。

頭でっかちになって、経験もしていないのに「ああでもない」「こうでもない」と質について語るよりも、まずは行動すること。

がむしゃらに行動している間は、質についてなんて考える暇もないかもしれませんが、その経験に対しての必死の向き合い方が、自身の在り方を少しずつ向上させてくれるはずです。

思考しながらの行動の反復は、自ずと工夫を生むものです。

そして、お客様のいないところに行動の反復をする機会は多くはありません。

今日も読んでくださいまして、ありがとうございます。

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