環境整備の徹底② 考え方の比較
「環境整備の徹底」についての話の続きとなります。
前回、気づきとは比較から生じるものと述べさせていただきました。
そして、この比較というのは物理的な環境について言えることだけではなくて、「考え方」にも当てはめることが可能です。
「考え方」というのは言い方を変えますと「思想」とか「価値観」のこと。
そして、この思想や価値観の場合は、「正しい」とか「誤った」という側面よりも「高い次元」か「低い次元」かというレベル感で表現することができます。
では、高い次元の価値観とは何か。決して難しい話ではありません。学校の道徳の授業で習ってきたような話です。
世のため人のため。
まずはこれですよね。自分のことよりも相手のためという「相手本位の考え方」のことです。
反対に低いレベルの考え方というのは、自分勝手であり自分さえ良ければいいという「自分本位さのこと」を言います。
ところが人間ですから、物理的な環境と違って、この高い次元と低い次元の考え方がひとりの人間の中に同時に成立していることもあるわけです。
人のために行動するというのは立派なことと知っていても、どうしても自分勝手に考えてしまう自分もいるわけですよね。
例えば、電車の中でのこと。
長時間の移動時に立ちっぱなしであったところに、目の前の席が空いたためようやく腰を下ろすことができました。
「やれやれ」とひと息ついて顔を上げると、目の前には手すりに掴まって立っているおばあちゃんの姿が。
もちろん子供のころから「お年寄りや身体の不自由な人には席を譲りましょう」という教育を受けてきているわけですが、一方では「ちょっと待てよ」という自分がいます。
このおばあちゃんはたった今乗車してきたばかり。オレはこの後まだ1時間近くこの電車に乗っていかないといけない。どうせこの人は数駅ですぐに下車するのではないか。
などなど、自分に都合のよい思考が次々と脳裏をよぎります。
そして、最終的には私たちの職業柄的な発想で、「お年寄りは立っていた方がむしろ身体を使うわけだから健康にいいよな」なんて理由を自分勝手にでっち上げて、席を譲らずに自分が座り続けることを決めたとします。
すると、隣の席の人がスッと立って、「おばあちゃんどうぞ」なんて席を譲ったりされた時に、その行動を見てズキッと胸が痛むことがあったとしたら、それを「良心」と呼ぶのですよね。
本来であったら、スッとお年寄りに席を譲れる自分でいたかった。
これが「理想の姿」なわけです。
それに対して現実の自分はどうか。
自分勝手な理由をつけて、座り続ける選択をしている。
この、在りたい姿である「理想の自分」と「今の自分」との距離感や相違を第三者的な立場をもって俯瞰して眺める自分があれば、これらを比較することで自らの中に「気づき」が起こります。
考え方における気づきとは、「今のままの自分ではいけない」と気づくことだと思います。
「自己否定」という言い方もできますよね。
本来こうありたいとかこうなりたいという自分の良心を拒否し続けるのか、それともきちっと受け入れていくのか。
昨日の自分と今日の自分、なりたい自分と今の自分との比較ができれば、そこでの気づきが自身の成長につながるということですよね。
さて、ここまでは自己啓発的な話で、まあ至極ごもっともだなという内容だと思うのですが、それではこれが会社の方針にあったとして実際にサービスにどのようにつなげていくのかというのが大事なところとなります。
申し訳ないですが、長くなってまいりましたので続きはまた次回。
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