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共有していない固有名詞を使う人

会議などでもそうですし、プライベートの会話においてもそうですが、突然こちらの知らない固有名詞を使ってくる人が一定の割合でいます。

例えば会議の場面ですと、拠点長たちが様々なエリアから集ってきて、各地の状況報告をする際。

この場合は、状況報告と言っても詳細なものというよりは、どのような営業が成果が上がったかなどの情報交換と対策の検討のために行うものですから、原因と結果については抽象化した内容の報告が求められています。

ましてや、限られた会議の時間の中で複数の拠点長に報告を求めますから、それぞれに与えられた時間もそれほど多くはありません。

そんな中でも、現場志向が強く、言い方が悪いですがちょっと空気の読めないような人が報告する際に、必ずといってもいいくらい発現するのが具体的な説明です。

どこどこのなになにという取引先に行ったら、だれだれさんとだれだれさんが対応してくれて、これこれこういう症状や病名のお客様の話になり、このお客様のご家庭の事情はこうなって、などなど。

当たり前ですが、他の地域から参加している拠点長たちにとっては知らない人たちの話ですから、固有名詞が入るたびにそれが雑音となり、全体のストーリーが頭に入ってきません。

ましてや、会議の場で聞きたいのは、起承転結の全ストーリーではなく、「こうしたら、こうなった」という取り組みと成果の共有についてです。

同じようなことはプライベートの話をする時にも生じることがあります。

お互いの背景をそれほど知らない中での会話においても、相手方の職場の人のことや相手方の交友関係が話題になった際に、突如そこに固有名詞をぶっこんでくる人がいます。

職場のだれだれさんが、友人のなになにちゃんが、さもこちらが知っているかのように当たり前のように固有名詞を使われますが、同じ職場でもないですし同じ学校にいたわけでもないので、知らない人の名前が出るたびに「えっ、えっ?」となり、それがストーリーの流れの中での雑音となります。

会議と違って、こういう場での会話については、ひとつのストーリーとして起承転結があっていいのですが、知りたいのは話の大筋の流れの方であって固有名詞ではありません。

それも、何度も会う人で、同じようなことを何度も聞かされている場合であれば、こちらとしても覚えさせられてしまうことでいつの間にか雑音でなくなり話に共感できる可能性もありますが、そうでなければ湧き起こるのは「この人大丈夫なのかな」という疑念です。

どんな疑念かというと、相手の知らない人の固有名詞を連発するのって幼児がよくやることなんですよね。

初めて出会った人に対しても、「これはねぇ、なになにちゃんに貰ったやつなの」「幼稚園のだれだれ先生がまるまるちゃんにこんなこと言ってたんだよ」、なんて話を平気でしますし、それでも許容してふんふんと聞くことができるのは、相手が幼児でありこちらが大人だからです。

ところが、大人同士のやり取りでこれをされると、受ける印象としては「幼いな」ということであり、悪い言い方をすると「この人、頭悪そうだな」ということになります。

仲の良い人同士、またその使用する固有名詞について共通の認識がある場合においてのみ、雑音のないお互いに伝わる会話が成立するのだと思っています。

あと、これは偏見でしかありませんが、いい歳をして自分のことを名前で呼ぶ大人にも同じような印象を受けがちですよね。

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