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誰が行動に追い込むか

平穏な状況に慣れきってしまっている中、ジワジワと危機が迫っている時に、果たして人はどのように対応していくのか。

以前にも触れましたが、「やる気スイッチ」というのはいざ行動を起こし始めるとカチッとオンになるのですが、その行動を起こし始めるには気持ちの追い込みが必要だったりします。

問題は、その「追い込み」を誰がするかということです。

具体的に言いますと、外圧的な要因によって追い込まれるか、それとも内発的な動機によって追い込まれるか、そのどちらかということです。

いずれにしても追い込まれて行動に転ずるわけではありますが、その打つ手がひとりの行動だけではなく多くの人たちを巻き込んでいかないといけない場合、どちらの方が適当なのか。

個人の問題だったり、ひとりで問題解決できたりする事柄であれば、正直それは他者から強い指摘を受けたものでも、自分自身で思い立って何とかしなければと動き始めたものでも、どちらでも何とかなるのかもしれません。

ところが、これが自分ひとりの力だけではなかなか進まなくて、部下たちの協力があって初めて成立するような事柄であればどうでしょうか。

今すぐ始めないと、今すぐやらないと叱られるから。

こうした強迫観念からくる行動は、一過性はありますが、常に誰かがお尻を叩き続ける必要があり、第三者からのそうした追い込みがない限りは継続力がありません。

言われたからやるという、受け身の姿勢では前向きなエネルギーはなかなか働かないものです。

そして、そのようなリーダーがその上の立場の人から圧力をかけられたからと受け身の姿勢のまま部下たちに行動を起こすよう伝えるとどうなるか。

「会社がそう言っているからやってください」
「上司にそう言われたからやってください」
「やってくれないと私が叱られるんです」

そのような他人事のスタンスの指示命令には目的意識がありませんから当然のことながら伝播力や説得力がありません。

なので、やはり部下たちの生きた行動を伴わせたいのであれば、それは上長の内発的動機から発した指示命令である必要があります。

「なんのために今これをしないといけないか」
「そのために皆の力を貸して欲しい」。

自らの中から湧き起こる動機が、自らと部下の気持ちに火をつけて、やる気をもった結果を求めての行動へと繋がっていくはずです。

自らを追い込むのは他者からの外圧でではなくて自分自身によるものでないと、自分がとった行動も部下たちにとってもらう行動も、そこには継続力や伝播力を伴わなくなってしまいます。

自らをどこまで追い込めるか。

そのためには、目指したい本来の自分に対して今の自分がどうであるか、常に理想の自分と今の自身の在り方を比較して、自己否定する姿勢が求められます。

ですので、現状で満足をしている人は、他者に指摘されるまでは気づけないかもしれません。

そして気づけた時に、自らを追い込むことができるのは、やはり他者からの指摘を受け入れられる「素直さ」のある人なのだと思います。

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