【UPDATE】どん底の小学生編~始まるいじめ~(自己紹介4)
こんばんは!
埼玉県越谷市でがやてっく株式会社という小さな会社を経営している小栗義樹と申します。
金曜日は僕の出世作。
自己紹介「ちょうどいいハンデだ」のUPDATE記事を書いていきます。
UPDATEとは何かというと、
・当時書いた本文(下線部分内)を少しだけ修正・加筆する。
・冒頭の挨拶文(これ)を完全リニューアルする。
・文末は有料パート。過去に書いた自己紹介を読み直し、思ったことや違った視点・別の切り口などを加筆、思い出した新たなエピソードを追加します。
僕個人の紹介は、本編でなされていますので、
有料部分はもう少し尖った話をします。その話の先に、皆様の日ごろの生活に役立つ何かがあればいいなぁと思っております。
さて、
今回は非常に重いお話になっています。
小学校1年生のころ、家庭環境の悪化と学校で受けたいじめの影響で、僕が一度だけ自ら命を絶とうと思ったお話です。
後にも先にも、人生に疲れたのはこの1回だけですね。
「八方ふさがり」という言葉をすごく身近に感じた記憶があります。
本編ではかなりポップなタッチになっていますけど、
有料パートでは、死を覚悟した時の心境や、そこからどうやって復帰したかについて書こうと思います。
子を持つ親御さんはどう対応すべきか?
そして何より、今現在いじめ、いや何か苦しい事態に陥っていて、
死にたいと考えている人がいるならば、ちょっと待ってください。
活路はいつだって見出せます。経験者は語ります。
そういう環境・境遇に置かれている人がいたならば、
ぜひ購入してご一読ください。
有料にする理由ですけど、さすがに僕自身も、誰彼かまわずさらけ出したい内容ではない。それくらい突っ込んだ話をしています。
本当に足を踏み入れたい、好奇心旺盛な方や辛いと感じている方に見てもらえたら嬉しいです。
それでは参ります。
この記事は、2023年1月1日。元旦に投稿された僕の自己紹介記事の4本目です。
どうぞ!
そんなこんなで大した活躍を見せることもなく、幼稚園を卒業した僕。流れるがまま、状況をよく呑み込めない状態で小学校に入学します。
1999年から2000年といえば、少子化の実態が浮き彫りになりだした頃だと思います。ただ、僕が入学した小学校は1学年が5クラスから6クラスあるマンモス校で、あんまり少子化を感じた記憶はありません。
世の中にはこんなに沢山の同い年がいるのかぁと思いました。
これは、多少の予想も含まれます。
僕が通っていた小学校は、未解決のイジメや生徒同士のケンカ・トラブルが多かったように思います。理由は生徒の数が多いからです。単純に、生徒の数と先生の数が釣り合っていないので、監視の目がいきわたっていない状態だったと思うのです。
こればっかりは仕方ないですね。
そんな小学校に入学した僕は、人の多さと初めて見る上級生の姿に圧倒されていました。そして、幼稚園とは違い、明確に時間が区切られている事に驚きました。決められた時間に決められたことを行うという規則的な行動に、少しだけ違和感を抱いていたのです。
前回の記事にも書いた通り、僕は太っていましたし、おぼっちゃま気質です。その上、ボクシング事件で心がぽっきり折れています。環境の変化に順応できず、休み時間に自ら席を立って、クラスメイトに声をかけることができませんでした。
トイレに行くこともできなくて。ずっと我慢していた記憶があります。動いた時の周囲の目が怖いんですね。ちなみにこれが災いし、漏らしてしまったこともあります。
小1でお漏らしは最悪ですね。しかも大きい方なんだから救いようが無いです。
問題はここからです。クラスには幼稚園にはいない気の強い、意見をはっきり言える子が数名いました。
学校でお漏らしする・気が小さい・太っている男の子。当然いじめの標的になりますよね。
ここで!始まりました!太っちょに対するいじめあるあるの時間です!
まず飛び出す言葉はコチラ!
「デブ」です(笑)
これは定番のワードですね(笑)
冗談抜きにして1日に130回くらいいわれたのではないでしょうか?(笑)
あまりに言われ過ぎて、僕のトレードマーク・キラーワードなんじゃないかと思うようになりました(笑)
次にデブに関連することでいえば、教科書やテレビなどに出てくる太ったキャラの名前をあだ名として付けられます(笑)
さわやか3組というNHKの番組、ご存じですか?
小学校って、たまーにNHKの教育番組を観る事があると思うのですが、あれのオープニングにちょっとぽちゃっとした男の子が出てきます。あのキャラが出てくるたびに、めっちゃ笑われます(笑)
これが地味にきついこと(笑)
あのシーンが来るたびに憂鬱が止まりませんでした。
次に代表的なのが、体育ですね(笑)
これはもうお手上げ。何をやっても笑われます。幼稚園の頃、あんなに先生に褒めてもらった鉄棒さえも、みんなに笑われる。プールなんか最悪です。水着は絶望的でした。
体育って、体育着に着替えるじゃないですか?
その時肌を露出すると、でっぱったお腹を笑われるんです。これが毎回、僕のライフを0にします(笑)
当時の僕はこれらのいじめを受けても、嫌になるだけで何も言い返せませんでした。そのころ、僕は挫折中。僕は特別な人間ではない。なんならいじめが拍車をかけ、僕は普通の子供じゃないんだと思っていたと思います。
劣等生という感じです。
女子からはくすくす笑われて、男子からは悪口の嵐。もうさんざんです(笑)
今思い返しても義樹君かわいそうです(笑)
いっつも心の中で泣いていたと思います(笑)
そう、心の中で泣いていた。実際に涙は流していません。いや、流せなかったんです。
この自己紹介を最初から読んでくれている方がいれば、薄々感づいているかもしれませんが、僕は小さい頃、特に祖父におもちゃを沢山買い与えてもらっていた頃は、見たくない世界は見なくていいという教えで育ってきました。
だから、やりたくない事をやらされたり、怒られたりしたらすぐにべそをかく。泣き虫ボーイだったんです。
でも、この頃は泣けなかった。
それはなぜか?
相談できる相手がいなかったんです。
涙って、自分の心境を口にした時や、みじめな気持ちを吐き出した時。無力感に襲われた時なんかに流れてくるものじゃないですか?
要するに、思った通りにいかなくて、前に進んでいない事実を吐き出した時に出るものですよね。
僕、この頃はそれを吐き出せる状況じゃなかったんです。
そう。
我が家はこの頃、いじめという問題が小さくなるくらい大きな問題を抱えていました。
ほぼ壊滅状態です(笑)
僕が6歳から7歳くらいの頃、父は会社にいかなくなりました。
昼間、小学校から帰ったら父が家でお酒を飲んでいる。これが当たり前の光景になっていました。
父は祖父の経営しているクリーニング屋さんに仕事に行っていました。
そこにとうとういかなくなったのです。
ここで不思議なのが、仕事にいかないのだから、収入がなくなるはずですよね?
ただ僕の記憶では、生活レベルが落ちていないんです。今考えるとあの頃、父は働かないのに、祖父母からお金をもらっていたのだと思います。
典型的なドラ息子ですね(笑)
父は全然ちゃんと話さなくなりました。僕は学校から家に帰るとずっと気を遣っていました。いつキレるか分からない。何をされるか分からない。そんな緊迫した家でなんとか穏便に過ごせるよう、いつも仲を取り持つような行動を心掛けていました。
月に1回くらい行われていた両親のケンカも、この頃にはほぼ毎日開催されるようになりました。
毎日怒鳴り声が響く。そんな状態でした。
僕はいまだにこの頃の事を夢に見たりします。
「よしき、2階に上がっていなさい」
母が僕にそういうと、僕は妹を連れて2階に上がります。下の階では、父と母が言い争う怒鳴り声が響いていて、妹は泣いています。僕は「寝ちゃおう。寝れば聞こえなくなるから。」と妹に言い聞かせて、ずっと耳を塞ぎ、妹が寝るのをそばで見守っていました。
ケンカが終わると、母が眼を腫らしながら2階に上がってきて「ごめんね。ごめんね。」と言います。
妹は大体泣きつかれて眠っていました。
僕は、とても怖いという気持ちの他に、みじめだなぁと思っていました。
こんなに気を遣って、怒られないようにして、仲を取り持とうとしても、夜には怒鳴り声が聞こえる。結局僕のやっている事はなんの意味もない。
母はいつもケガをしていました。
僕は、このショックが未だに拭えていないのかもしれません。
家はいつもこんな状況です。母は、夜中なのにも関わらず、僕と妹を連れて、家を出ていくこともありました。酔った父が暴れて、家じゅうめちゃくちゃにするもんだから、意識が飛ぶまで外で待機する。そんな感じでした(笑)
特撮みたいですよね(笑)
父は怪獣でした(笑)
まさに、行くも帰るも地獄の日々です(笑)
家がこんな状況ですから、当然小学校で開催されているいじめ問題を相談することなんてできません。
小学校1年生の僕は、日中学校のいじめを我慢して、夜は家で両親のケンカ・怒鳴り声に耐えるという生活を送っていました。
そんな生活が半年くらい続いたある日、僕は急にぷつんと限界を迎えました。
あ、もう〇のう。
本当にふわっと思ったんです。
何か、原因を考えてとか、そんなんじゃありません。パッと〇のうと思ったんです。
家に帰り、とりあえず2階の自分の部屋から飛び降りようとしました。
多分この時、すんごく泣いてました。
でも、怖くて飛べなかったんです(笑)
2階から地面をみたとき「あ、高い。無理」と思ったんですね。
幼稚園の遊具にビビる僕が、2階から飛べるわけないじゃないですか?(笑)
そこで一度クールダウンしたんです(笑)
その時、僕は初めて頭を使って考えました。多分、自分でちゃんと頭を使ったのはここです。
〇ぬのは無理。でも、今の状況に耐え続けるのも無理。じゃあ、どうすれば気持ちが楽になるか?
一生懸命、無い頭で考えた結果、ケンカは解決できないけど、いじめは何とかなるかもしれない。という解答に辿り着きました。
僕が言われて嫌な言葉に反応できないから、嫌な気持ちのまま家に帰らなければいけない。だったら、反応してみればいい。と思ったんです。
そして、次の日から僕の壮大な実験が始まりました。
デブと言われたら「デブっていうのやめて」とストレートに言い返しました。
しかし、やめてくれません。
次の日、またデブと言われました。今度は「もうやめろ!」と少し強めに言ってみました。けんかになりました(笑)
先生に怒られて終わりです(笑)
そして後日、またデブと言われました(笑)
僕は「肉団子!」という謎のギャグ?みたいなものを放ちました(笑)
するとクラスの人たちが笑いました(笑)
これが嬉しかった(笑)
次の日から、肉団子やって~と言われるようになり、いじめが減っていったんです(笑)
初めて自分の力で問題を解決することが出来ました。これで学校での問題は消えました。少しだけ、心にゆとりを持つ事が出来るようになったんです(笑)
あとは、家に響く怒号に耐えればいい。それだけだ。と思うと少しだけ楽になりました。最も家の問題は全然解決していないのですが(笑)
イジメ問題が解決したころぐらいに、父の母に対する暴力が増えました。ちなみに僕も、父から頭をひっぱたかれたりすることが増えました。一番の衝撃は栓抜きが僕の方にすっ飛んできたことです。
間一髪、よけることができたので良かったですが、あれ当たってたら大惨事でした(笑)
この頃、大人の力がつよい事を身をもって学んでいた僕は、殴られたくないという一心で父のご機嫌を取り続けていました。
僕、この経験から今でも大人の男の人が怒る姿が怖いんですよね(笑)
空手のおかげで、だいぶ緩和されたのですが、小さい頃に刷り込まれた恐怖は、なかなか拭うことができません。
こればっかりは非常にストレスなので、本当に治したいと今でも思っています。
両親のケンカは僕が1年生から2年生になるくらいまで続きました。永遠に終わらないんじゃないか?とさえ思っていました。
そんなケンカが突然終わりを告げることになります。
ある日大きなカバンをもった母が「よしき、出かけるよ」と言い、僕と妹を車に乗せました。そう、家を出て、母方の祖父母の家に行くことになったんです。
ついに別居生活が始まりました。
ここから僕は、祖父母の家での肩身の狭い生活と、優しかったあの頃の父・大好きな祖父との別れを経験します。
今日の話はマジで泣きそうになりました(笑)
あの頃の義樹君、本当によく頑張ったなぁ~(笑)
はい。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
読み返していて、めちゃくちゃ悲しい気持ちになりました。
僕、当時の記事を読みながらホワイトボードにメモをするんです。
この後書く、UPDATE記事を書くための所感とか気づきをまとめるために。
過去3回、この企画をやりましたが、今回の記事が間違いなくメモを取りづらかったですね。これから先、さらにハードな挫折が待っていると思うとしんどい限りです(笑)
読み返した感想は、かなり心境を描写出来ている気がしました。初回の記事に比べると、だんだん書き方も定まってきている感じです。
もちろん今回も、本編に多少の修正・加筆を加えています。
ただ、本編の冒頭部分以外はいい感じに勢いがあっていいんじゃないかなぁと思いました。
熱が入っている気がして、それがなんか哀しくて泣きそうです(笑)
さぁ、ここから有料です。
冒頭申した通り、死を決めた僕がどうやって復帰したのか?
いじめを克服する方法は何か?
これについてお話しします。
興味が読みに来てください。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました!
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