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夢幻蝶楽(むげんちょうらく)【ショートショート】

どこか夏のような寝苦しい夜。静まり返った部屋の中にいる僕と君は、隣にあるスタンドにオレンジ色の光を灯し、眠りにつこうとしていた。

僕が見ている外の世界はとても静かだが、街を見下ろせば恐らく今夜も騒がしく動き続けてるのだと思う。彼らが一時的に隔絶された世界は、昼も夜もないかのようにネオンの中をネオンが揺らしていた。

静かに眠る君を斜めから優しく眺める僕は、君の夢を想像しながら幻想の世界でも意識を共有させる事ができることを願いながら、流れるように眠りにつこうとしたのであった。

現実世界における僕の安心材料は彼女だった。一人になると少しだけ、言い表せない不安に襲われる時があった。

自分一人で強く生きていく事を目指した時期もあったけれど、そこに待っているのは自分の人生を終わらせたいかもしれないという衝動だけだった。

それも過去の話だ。今はもう、横にいるだけで細やかな安心をもたらしてくれる存在がいる。僕にとってそれはこの世にすがるに十分なもので、そのおかげで新たななにかに希望を持つ日も近いと思えた。

彼女と一緒に眠りにつくと、僕は幸せと不安を織り交ぜた夢の中に没頭することができる。それは僕が、確かにこの世に存在する事を実感させてくれる。どこか現実的でそれでも夢の中であることに満足のいくものなのだから納得と喜びを感じていた。

僕はこの夢に触れるたび、君と出会えて良かったと思い、同時に僕の内面的な弱さを知られたくないから、僕の夢の中を覗かないでほしいと願った。
僕が彼女と意識を共有できる証明は、彼女が何事もなく深い眠りの中に落ちていることを表情から認識できる事だけなのだ。

僕は、そんなズレた世界の中にロマンティックな、あまりにロマンティックな何かを感じながら眠りについた。

蜃気楼の中にわずかにさす光彩。いつもよりも視界が広く縦に揺れている。
クレヨンや色えんぴつで淡く塗られたようなその世界は、ちょうどいい光を放つ太陽と緑と花が、淡く・規則正しく揺れていた。

僕はその淡い光にいささか混乱したが、ちょうど目が慣れてきた頃に、先程まで感じていた君の温もりとオレンジ色の光を思い出し、これが夢であることに気づいた。

夢であると理解した時、僕は大きな安心感に包まれることになる。視界が縦に揺れる原因を探ろうと、身体に意識を向けたとき、僕の背後に見える可憐な羽の存在と、上空を舞う風に乗りながら飛び回る自分の存在を認識した。
僕は蝶々となった。

意識は蝶々が持っているのに、なぜか僕は夢だと判断してから、その世界を真上から見守っているような感覚を覚えた。その時、僕が僕を彩る蝶々の姿が刻銘に脳内に刻み込まれた。
羽は銀とオレンジが華麗な塩梅で散りばめられ、胴体は真っ白な蝶だ。
この不完全な優しい世界にきれいに差し込まれた、希望に満ちた蝶々だと思った。

飛ぶという感覚を得たことで高揚した僕。風の流れに任せながら花から花へ飛び渡った。一つ一つの花の色や匂い、味などを確かめながら、優雅で美麗で、枷のない自由に酔いしれていた。

あまりにも景色に溶け込みすぎていると感じた僕は、その居心地の良さに対して死を覚悟してしまった。

このまま目覚めないと僕は蝶のままだ。それはそれでいいのかもしれないと。

僕は彼女を残したベッドの上の僕と、蝶々の僕のどっちが本物の僕かすら分からなくなりつつあり、ただそよ風になびきながらゆらゆら揺れる自分の姿に愛おしさを覚えていた。

そんなふうにしていると、段々と蝶々の僕が実体であると言わんばかりに、彼女と一緒に眠る僕は思考から遠くにフェードアウトしていくようだった。
とても心地よかった。暖かい風に肌が触れたときの優しさに包まれたような感覚。広大な大地を猛スピードで走り抜ける爽快な感覚。光の差し込みに導かれ、うつつな時に起こる脱力した感覚。

こうした身近に起こる素敵な感覚が一度にやってきているような、そんな安らぐ気分の中にいたのだった。

そんな時だった。

急に蜃気楼が現実に近いトーンに変わった。先程まで包んでいた淡い光がはっきりとした色に変わり、空の色が赤黒くなったかと思うと、モノクロになってヒビ割れた。

瞬きのように視界を遮断した次の瞬間、どこからか子どもたちがやってきて僕を捕まえようとする。

この時、俯瞰で見守っている僕の意識はぷつんと途切れ、蝶々の中にある僕の中にすべての意識が急激に戻っていく感覚を覚えた。それはとても怖い事のように思えたけど、分離している僕の意識が基に戻っていく事への安心感もあったように思う。

彼らは無邪気に笑いながら全速力で走り、なんの遠慮もせずに僕の上空から手を振り下ろしてきた。

先程まで自分の姿や習性に一切の疑いを持たなかった僕は、この子どもたちの行動に対して、背筋が凍る程の恐怖を覚えていた。

なんとか囚われることの無かったが、僕はその無邪気でおぞましい顔の大群が近づいてくることに対して、ただただ見つめることしか出来なかった・・・

気がつくとそこは暗闇の中にオレンジ色の光を灯していた。夏のような、絡みつく暑い夜。

僕は少しだけ乱れる息と寝汗を感じながら、先程の光景の一抹を見思い震えた。

少しの間の後に、ふと斜め下に視線を置くと君の姿を見つけた。深い安眠の中にいる君の姿を見つけたのだ。

そして、そんな僕は少しだけ微笑んだ。

そう、少しだけ微笑んだのだ。

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