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【活動日誌】小さな事をコツコツと

こんばんは!
スモールマッチョについて深堀りする男、小栗義樹です。

本日は活動日誌を書きます。
普段の僕の活動を記事としてまとめる試みです。

昨日の記事で、前田裕二さんの「人生の勝算」を題材に読書感想文を書いたのですが、リアクションが沢山ありました。

いつも本当にありがとうございます。すごく励みになっています。

今回は昨日の記事書いた「スモールマッチョ」という言葉について、色々思ったことを書いていこうと思っています。

お問い合わせをいただきました。
「スモールマッチョだって出来る人と出来ない人はいるのではないか?」と

まったくその通りだと思います。
それが出来れば苦労はしないって話ですよね。

ちょっと言葉が足りなかったなぁと反省しています。

僕は基本、それが必要な人と必要ではない人がいると思っています。だから前提として、やらなくても良い人がいるということで話を進めさせて頂きます。

越谷雑談がやてっくは、以前の記事でも書いた通り、34万人の全越谷市民にがやてっくと名の付くツールで市内の情報を届けるということを目標にしています。

越谷市には現時点で、全市民にリーチできるようなツールを持っている民間企業はありません。自分で言うのもなんですが、一番近いのががやてっくだと思っています。

これは僕の中で「そうすることが自分が戦っているフィールド・お世話になったと感じている街において良い事」だと信じていますし、それに加えて「これは今まで誰も成しえた事がない事柄」だと本気で思っています。

僕は前職で働いている時から、越谷市を盛り上げたいと思っていて、その指針だけはブレていないです。そのためのツールとして越谷雑談がやてっくというWEBメディアがあり、その方法として情報産業で広告で利益を出すと決めています。

これをやりきるためには、圧倒的な努力量が必要です。

僕は人生の勝算という本から上記のようなことを学びました。

問題はここからです。
ここまで形にした上で、それを成しえるための努力する能力が自分にはないのです。

満遍なく努力する。全身の毛穴が広がるほど情報収集して、寝る間も惜しんで必要な事をこなして、グランドデザインを考えてといった、必要なことをいっぺんに、時間を惜しまずにやるだけの才能が僕にはありません。これが出来るのは努力ではなく才能や能力なのだと思います。だって人生の勝算以降、それが出来る後続が生まれなかったから、あの「熱狂しろ!」的な文化は廃れたのでしょう?

才能や能力差は残酷なまでにあります。人間に向き不向き、個性があるのなら、そこには才能や能力の差が生まれてもおかしくないのです。

人にはそれぞれの生き方が、ペースが、出来る事があります。僕はそれを痛烈なまでに学んだし、自分には出来ないことも知っています。でもやらないと、自分が描く理想には辿り着けません。

そこで考えたのです。
まずは1つだけ、自分が出来る事を頑張ってみようと。

だからこそ僕は、記事の更新という部分だけは、誰になんと言われようとも続けようと決めました。

僕にとってそれは「自分が出来る小さな努力」だったんです。

僕は、夢を叶えたいのなら、まずは目の前の出来ることから頑張るのが良いと思っています。無理にはならないし、出来る事だからストレスもかかりません。重要なのは、その行動に意味があるかどうかだけで、コツコツやっていれば効果が表れるだろうと思えるのなら、それをひたすらやり続ければいい。

全身マッチョになれなくても、足だけマッチョならなんとかなる。日本は今、そういう優しい世界になってきてると思うのです。

そう決めて、ひたすらそれを2年半やりました。おかげさまで今では、記事更新に負担はなくなりました。もうそこに、余分なストレスはかかっていません。

だから次は、記事更新以外の別の事柄に力を入れています。営業とメルマガ更新とSNSの毎日更新です。この場合、営業は前職でもやっていたため、それほど努力を必要としません。そこに大きなストレスを感じたりはしないのです。どちらかと言えば新しく付け足したのは、SNSの毎日更新と週に1回のメルマガ更新だったりします。

これらはすべて、越谷雑談がやてっくに記事が貯まり、アクセスが増えたから行える活動であり、僕が出来る事の中からピックアップしたものでもあります。

これがストレスじゃなくなったころ、また別の活動を増やします。こうしていけば、いつの間にか、多くの事を出来るようになっているはずです。

大事なのは「やりたいこと」ではなく、今自分が出来ることの中から努力すべきものを選ぶことです。そこに使命感と強い意志、あとは、理想の自分像をのせれば続けることはできると思います。

もし出来なかったら・・・それは多分違うんです。それはあなたの理想とする姿ではないのかもしれないし、もしかしたら出来る事の中から選んだ努力すべき事柄が間違っていただけです。

またきちんと選び直して、そこからリスタートすればいい。いつだってリスタートは出来ますから。

そのくらいの気持ちで続ける。それが良い距離感だと思うし、負担のない誰でもできる努力の答えなのかなと思っています。

これ、時間はかかりますが効果は出ます。

しかも併用に向いています。サラリーマンをやりながら、既存事業をやりながら、趣味を楽しみながら、どんな形でも出来ます。結果として、大きな成果を出せずに悶々としている人にとっては、最適な方法なのではないかなと思うのです。

お金が回ったり、仕事を得られたりする世界線は、必ずしも努力や大きな結果だけではないと思います。

地方では愛嬌で経済が回っていたりします。

〇〇さんは友人だから、この仕事は〇〇さんにお願いしたい。
そういうやつです。

地方には、大きな結果を持っている人に対して「恐縮」や「萎縮」を感じるなんて文化もあります。

そんなすごい人にお願いしたら高いお金がかかるかもしれない。
そんな風に思って敬遠してしまう人もいるわけです。

この場合、どれだけその輪に入れるかの方が重要だったりします。そこで得たものと、自分がひたすら磨き上げてみたものをマッチングさせた方が、場合によっては大きくて意味のある効果を生み出すことが出来たりすることもあるのです。

努力による結果がもたらすものは、その人のヒストリー的価値であって、実際の仕事ではなかったりします。ある種講演会などで、一方的にお金をもらうことに向いていたりしますが、それはやっぱりごく一部の、満遍なくイカレタ努力をこなせる人間にしかもたらされないものです。

僕は何事も、自分が実現したい夢や世界観がどれくらいの規模のものなのか?を考えることが重要だと思っています。規模が分かれば、それに何が必要で、何を形にしないといけないかが分かるからです。

それが世界を変えるような大きなことであろうと、僕のように1つの街に新たな可能性をもたらしたいと思うことであろうと、あるいは、自分の身の回りを守ったり、変化をもたらしたいと思うことであろうと、規模感はどれくらいなのだろうか?と考えて、それに伴って一番必要な、出来る事を1つやりきることが重要だと思うのです。

その小さなできることが、いつの間にか大きなものになっていることは絶対にあります。

もちろんこれは、自分が心からやりたいと思うことでなければ成立しません。

昨日の記事でも書きましたが、人生の勝算の揺らがない部分は「努力でしか、自分なりの社会にもたらす変化を普及させる」ことは出来ないのです。

これは絶対にやりたいとか、これが出来たら嬉しいとか、これが自分にとっては重要なんだと思うものがないと、どれだけ小さな事柄でも継続することは出来ないでしょう。

でもそれを見つけて、やると決めたのなら、なかなかできなかった人生の勝算のような生き方はせずとも、自分の理想の形に近づけると思います。

もし興味があれば試してみてください。僕はこれで、越谷雑談がやてっくを越谷市で一番閲覧されているメディアにすることが出来ました。

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