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自分を実験台にして見えてきた、本当の学びの形 〜現状最新版〜

私は、社会を作っていく人間になりたいと大学に入学しました。しかし、完全オンライン授業で、このままでは社会の役に立てる人間には到底なれないと思いました。ほんものの社会に飛び込もうと、三重県尾鷲市のある中小企業さんに飛び込ませていただいた人間です。大学にもいき続け、尾鷲での「本物の社会の中での活動」と大学の授業を両立していることで見えてきたものがありました。

それは、「これこそが本当の学びなのではないか???」という強い問いです。

自分を実験台にして、その問いの答えを探り続けています。
今少しその断片が見えてきたので共有させていただきます。

①実践があるからこそ学びがある。

私は前述した通り、社会を作っていきたいと言う大きな目標を胸に、大学に入学しましたが、当時コロナ真っ只中で、全てがオンラインの授業でした。家でオンライン授業だけ受け続けていても社会を変えるような人間にはなれないのではないか、むしろ腐る。そう感じ始め、自分から社会の中に飛び込もうと三重県尾鷲市に飛び込ませていただきました。

そこでの実践の中で、やはり人生経験のない私にはわからないこと、知りたいことがたくさんありました。だからそれを大学の授業で同時並行で学びました。休学をしたらもっと尾鷲での活動にコミットできますが、あえて私は学びたいと言う衝動をすぐに満たすことができる環境を保ちました。知りたいと思った瞬間に授業で学べるのです。私は尾鷲に行ってから大学の授業が100倍楽しくなりました。授業も前のめりで聞くようになりました。それは「実践」=「自分でつくる」の最中だからこそ、自分から知りたいと言う意欲が生まれ、インプットの場(授業など)に対する姿勢が、受動的から能動的になると言うことです。実践と同時並行で得たインプット情報は、インプットだけの場合よりもはるかに定着し、それこそが学びだと思います。

②学びの場を社会に開き、現実社会のあらゆることを教材にする。

「実践」=「自分でつくる」ことにも2種類あって、ただ自分の好きなものを作ることと、社会のために作ることがあります。前者と後者の大きな違いは「壁にぶつかる回数」です。前者の場合大抵は、自分の作りたいものは頭の中にゴールがあって、壁にぶつかるのは後者に比べると少ないです。まあまあ満足いくものが作れたら、まあ別に誰が使うわけでもないし、まいっか!となって、そこで「つくる」と言う行為が終了です。すると壁にぶつかることもなくなり、新たな知識を求めなくなるので、学びも終了します。

逆に後者の「社会のために」は、そう簡単には完成しなくなります。誰も作って欲しいものの答えを持っていないけど、「それを作って欲しい」「それが社会のために必要だ」というニーズだけがあるのです。その場合はまず、まいっか!が許されません。徹底的にゴールを探り作り続けます。するとニーズと合わなかったり、社会の流れが変わってニーズが変わったり、、、壁にぶつかりまくるわけです。すると常に、知りたい!学びたい!の状態になります。つくると言う行為の中で、壁にぶつかると言う事件が発生し続けるため、学びもずっと発生します。

大学の授業は一部前者になってしまっているのではないかと感じています。授業でグループワークをして新規事業のアイデアを立てても、結局実現しないし、と生徒たちがただ作りたいものを作ってしまうのです。けれどもそれが社会や本物のユーザーと接続したらどうでしょう?生徒たちは血眼になって、ニーズに応えようと「つくる」⇨「壁にぶつかる」⇨「学ぶ」を繰り返すはずです。

③「先生」ではなく、「ジェネレーター」が必要。

ジェネレーター(※)とは「一緒に実践する(つくる)」「その分野において、周囲よりも知識・スキルが長けている人」「的確なタイミングでアドバイスをくれる人」です。これは私にとって、尾鷲で共に活動させていただいているみなさんです。尾鷲の皆さんは全員がさまざまな分野のジェネレーターです。一緒にプロジェクトを進めているので、もちろん一緒にガシガシ作っています。けども私以外のみなさんは社会経験が豊富であり、皆さんそれぞれが多様な分野で、知識やスキルが長けています。

なぜ「先生」ではなく、「ジェネレーター」なのか?

先生は「その分野において、周囲よりも知識・スキルが長けている人」ではあります。でも「一緒に実践する(つくる)」ことはしません。「的確なタイミングでアドバイスをくれる人」も満たしていません。前に立って一方的に、知識・スキルを教えてくれます。生徒が、知りたい!学びたい!状態になってないのに、とにかく先生の頭の中にある知識を上から順番に教えても、食べたくないのに食べさせられている状態です。それでは知識は吸収されず、流れていってしまいます。

ジェネレーターはその点、プロジェクトメンバー(生徒)が知りたい!学びたい!状態になった瞬間に的確なアドバイスをくれます。だからプロジェクトメンバーはすぐにその情報を吸収し、本当の学びとなるのです。実践のすぐ横で、インプットの環境を提供できる人=それがジェネレーターなのです。

なぜそういったジェネレーターがいると、学びが最大化されるのか?

それはジェネレーターがいるから、その実践(プロジェクト)を自分の知識・スキルだけでは到達できないレベルまで、ものすごく高めてくれるからです。そうなるとぶつかる壁も、とてつもなく高くて大きなものになりますが、その分だけ学びも大きくなるのです。

※『クリエイティブ・ラーニングー創造社会の学びと教育』より引用


以上三つの点が、大学3年間、自分を実験台にしながら探り続けた「本当の学び」の現時点での自分なりのアンサーです。

あらゆる学びの場は現実社会にもっと開かれ、社会にある現実のニーズを教材として扱います。それに応えるために実践を続け、その実践はジェネレーターと共に行います。

そうすることで「実践」「壁にぶつかる」「学び」サイクルが回され、その人の血肉となる本当の学びの形ができるのではないでしょうか?

私は今、尾鷲に惚れ込んでしまって、その地域に入り込み地域おこし協力隊として活動しています。一年の四分の三は三重県に住み、地域にどっぷり浸かる中で、作りたいものが見えてきました。過疎高齢化が進み、消滅可能性都市に挙げられている尾鷲市で、本当の学びの形を作りたいと思ったのです。尾鷲の暮らしやかけがえない文化を後世につなぎ、そしてそこが最先端の学びの場となる。典型的な地方都市である尾鷲を、すごいことをしているところとして、有名にしたいのです。

詳しくはまた書きます。

↓ 今作ろうとしている、学びの拠点「むむむ。」のinstagram
https://www.instagram.com/mumumu_mukai/

↓ むむむ。について


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