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生活すること

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生きるって何だろう?それは生活することなのではないだろうか────30才で伊東市にある海の街へ移住して感じたことを書いています。
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#とは

社会と私の間にはいつもアートがある

社会と私の間にはいつもアートがある

他者と上手く混ざり合えたら、伝えられたらアートなんて必要ない。私はいつも社会と自分の間にできた溝を埋めるように作ってきた。作らないでいられることはそれだけ人生が充実している証拠でもあり、作れることは自分だけの逃避場所があるということ。アーティストが元気な時より病んでいる時の方が作れるなんて話があるのは、創作行為が現実からの逃避だからなのだろう。

作る時は一人だ。みんなで一緒に作るバンドなどは例外

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創作とは何かと対話すること

創作とは何かと対話すること

私は一人でいることを全く苦に感じない。道端でご近所さんと世間話したり、干物屋のおじちゃんと話したりで充分満足できる。だから家族も友達もいない街へ移住できたのだろうけど。一人っ子なこともあり、一人の時間を過ごすサバイバル術みたいなものを幼少期のうちに会得したらしく、むしろ友達付き合いは苦手な方だった。ツアーミュージシャンになってからも旅の道中は一人だったし、どこかへ属したいという気持ちも全くない。一

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ゴールのない芸術作品を目指して

ゴールのない芸術作品を目指して

藤森愛として活動14年目を迎えた(昨年は間違えて12年目と言ってたみたい)。今でもこうして藤森愛という看板を出して活動できているのは、たくさんの支えがあるからなのだと年月を重ねるごとに強く、深く感じる。

芸術ごとを続けていくのは難しい。なんでもそうだろうけれど、特に芸術は生きていくために必要なものとしての優先順位は圧倒的に低い。生きていくためには絶対に必要だ!という人もいるかもしれないけれど、芸

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現代社会での自分なりの幸福論について考えてみる

現代社会での自分なりの幸福論について考えてみる

観葉植物たちが無事に冬を越えられるかを心配している。ベンジャミンは部屋が寒すぎたのか、半分ほど葉を落としてしまった。パキラは冬眠させているからあまり変わっていない。他の植物たちは冬の日差しでもニョキニョキと成長し、新芽を生やしたものもある。植物を通してたくさんのことを学んだ。水をあげるタイミング、日差しとの距離、土に混ぜる肥料の種類、植え替えの時期など、それぞれの植物に合わせて環境を用意する必要が

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創作することは体の機能の一部

創作することは体の機能の一部

新しい机を買った。机自体を斜めにすることができるため、姿勢が前かがみにならない。先日、腱鞘炎になってしまったため何かを改善しなければと思い、まずは姿勢を直してみることにした。だから作業部屋には、大きな机が2つ並んでいる。1つは音楽やWEB系の作業をするため、今回買った斜めの机は絵を描くためだ。

ふと、高校生の頃の自分を思い出した。絵も描きたいし、音楽もやりたい。けれども進路は一つに絞らなければな

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芸術に惹きつけられる何かの正体

芸術に惹きつけられる何かの正体

風景画の新作を描き始めて一週間。描き込み量が増えたため、初期作品に比べると完成までに倍の時間がかかるようになった。幼い頃から模写はわりと得意な方で、だからこそ風景をそのまま描き写すことに対して疑問があり、細かい描写は省略しがちだったのだ。物体や空間にはそれぞれ法則があり、それらを理解していれば描き写すのはさほど難しくない。問題は理解した先にあって、その決められた法則の中からいかに逸脱し、かつ自分の

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芸術は感想の押し売りではない

芸術は感想の押し売りではない

どこにいるのか、毎朝自分と確認する。今は真ん中にいるらしい。とても平穏で、静かな世界が流れている。真ん中の世界を知ったのはこの街へ来てからだからまだまだ新鮮で、知らないことも多い。家事や事務作業などのできることは増えるけれど、感情は少し鈍くなっている気がする。薬を飲むことによって真ん中を維持させて、感情が振り切れないようにしているのだからそりゃそうか。真ん中にいると創作ができなくなってしまう不安が

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自然と暮らしていくとは

自然と暮らしていくとは

鳥の鳴き声で目が覚めるという、なかなかオシャレな朝を日々迎えている。防音室で暮らしていた頃は、二重冊子を閉めると外の音は何も聞こえず、空気の流れも感じず、「無」な状態だった。おそらくこの「無」は、身体にあまりよくない。いくら遮断しても、私たちは完全なる単体にはなれない。必ず世界と繋がっていて、全体の一部として存在している。だから遮断しようとすると自分で自分の存在を否定するようで、調子が狂っていく感

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続けるためには

続けるためには

文章を書けない日があると、そわそわするようになった。毎朝書くのが当たり前の日常で、よくそんなに書くことがあるねと言われるのだけど、私は書くこと自体に快感を得ているのだと思う。書くことがあるというより、何でもいいから書いていたい。何かを続けたいと思った時によく目標を決めたり、自分を奮い立たせたりするけれど、続けている人というのは実は一切そんなことをやっていなくて、歯磨きのようにただやっているに近い。

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伝えること

伝えること

人は馬で移動しなくなって乗馬が趣味になったように、自分で考えて伝えることが趣味になるという話を聞いて腑に落ちてしまった。自分の頭で考えていることを、他人へ誤解のないように分かりやすく伝えるのは難しい。私は考えて伝えることは、人間だけに与えられた究極の嗜好品だと思っているのだけれど、どうやらそれすらも放棄しようとしているらしい。面倒くさい人間同士のやり取りをAIで早く終わらせて、摩擦のない円滑な世界

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言葉の限界

言葉の限界

私は今、堤防の上に寝そべって青空を眺めながら文章を書いている。宇宙まで見えそうなくらいに透き通る空、浜辺に打ち寄せる波の音、カモメの鳴き声、135を走り抜けて行く車の音、時折り強めに吹く冷たいような温かいような風、日没に近づき暑さが和らいだ太陽の光、釣りへ出かける人たちの会話、磯の香りは今日はあまりしない。たくさんの情報が身体のあらゆる感覚を通して伝わってくる。これらを言葉にするのはとても難しい。

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文章を書くことは発見の連続

文章を書くことは発見の連続

朝寝坊してしまい、昨日は文章を書けなかった。書けなかった日は頭の中で文章が渋滞している感じがして、なんだかソワソワする。夜に書いてしまうと、脳みそが覚醒して寝つきが悪くなるから朝書くようにしていて、朝のラジオ体操のような役割になってきている。私にとっての文章は脳内整理みたいなもので、散らかった部屋を片付けている感覚に似ている。頭という部屋の中に散らばっている文字を収納棚に収まるように選んだり、入れ

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