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自然と暮らしていくとは

鳥の鳴き声で目が覚めるという、なかなかオシャレな朝を日々迎えている。防音室で暮らしていた頃は、二重冊子を閉めると外の音は何も聞こえず、空気の流れも感じず、「無」な状態だった。おそらくこの「無」は、身体にあまりよくない。いくら遮断しても、私たちは完全なる単体にはなれない。必ず世界と繋がっていて、全体の一部として存在している。だから遮断しようとすると自分で自分の存在を否定するようで、調子が狂っていく感じがする。なんだか抽象的すぎる話になってしまったけど、つまり私たちはどこにいても自然と共に暮らしているから、それを遠ざけようとすると不自然になると言うことを言いたかった。

観葉植物を育てるようになってから、より自然が身近なものになった。ただ勝手に生えているのを見るのと、自分で育てるのとでは見方が全く違ってくる。植物も生きているんだなあとより実感する。今は無事に冬を越えた7つの植物たちに加えて、最近4つのサボテンをお迎えした。多くない?とツッコミが聞こえてきそうだけど聞こえないフリをしておく…。暖かくなると成長スピードが上がったり、枝打ちしてもそこからまた新芽が生えてきたりして、こんなに小さな鉢の中でも成長できる植物の生命力ってすごいなあと思う。初めて鉢の植え替えもして、久しぶりに土を触った。手が汚れるから嫌だと思う人もいるだろうけど、不思議と落ち着く。現代人はコンクリートで固めて、どんどん土を遠ざける傾向がある。本来ならもっと広い地面で伸び伸びと生えるはずだったんだよなあと観葉植物の気持ちまで考えてしまいながら、それぞれが上手く育つ方法を色々調べて、日々成長を願っている。

家を出るとそこは山だ。自分でも驚いているのだけど、私は山に住んでいる。豪雨で夜中に目が覚めた時は、土砂崩れ災害危険区域だからわりと怖い。降った後の数日間は、山の上の水が物凄い音を立てながら排水路を流れていく。人が暮らしていけるように上手いことできている。そんな怖さもあるけど、辺りには鮮やかな緑が生い茂り、空気もよくて、鳥の鳴き声がBGMとなり、暮らしの中で癒される恩恵の方が遥かに大きい。苦手な虫も多いけど、人間界に自然があるのではなく、自然界へ自分がお邪魔させてもらっていると感じているから、前より平気になった。苦手なのは変わらないけど(笑)

山を降りると海があって、その日その日で景色が変わる。濃い青、薄い青、輝く青、動く青、動かない青。同じ海はない。ここからたまに吹いてくる強風はまるで台風のようで、全く太刀打ちできない。吹き飛ばされそうだから、外出はしないようにしている。だからと言ってイライラしたり、残念に思ったりは一切ない。やっぱり自然には敵わないなあと思うだけ。そのせいなのか、小さなことで悩まなくなった。些細な不都合がどうでもよくなり、それは自然に対してだけではなく、ありとあらゆることへそう思うようになっている。自然が中心にある生活をしていると、何かを制御したり、コントロールしようとしたりするのは無意味に感じるというか、なるようにしかならないというか、考えても明日の天気は分からなくない?みたいなお気楽人間になる。人間が何かを変えたいと思っている時の矛先は、ほぼ他人に向けられている。つまり人間から人間に向けられている。そんなとても小さな枠組みの中で考えていると、自分は制御したりコントロールしたりできてしまうのではないかと錯覚してしまいがちだけど、本当はそんなものは存在していなくて、実際はなるようにしかならない。自然と暮らしていると、それを強く感じさせてくれる。だから小さな悩みなんてどうでもよくなれるよ〜ってね。

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