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続けるためには

文章を書けない日があると、そわそわするようになった。毎朝書くのが当たり前の日常で、よくそんなに書くことがあるねと言われるのだけど、私は書くこと自体に快感を得ているのだと思う。書くことがあるというより、何でもいいから書いていたい。何かを続けたいと思った時によく目標を決めたり、自分を奮い立たせたりするけれど、続けている人というのは実は一切そんなことをやっていなくて、歯磨きのようにただやっているに近い。そしてそれを続けているのが気持ちいい状態にある。

どうしたらそんな状態になれるのかと言うと、頑張らなくてもできるところまで格下げをする必要があると思っている。画家のゴッホは10年で2千枚、浮世絵師の葛飾北斎は3万枚を描いていて、ほぼ毎日作品を描いていないと到達できない枚数なのだけど、だからと言って自分もゴッホや北斎みたいになりたいから毎日描こう!とやってしまうと続かなくなる。まだ筋肉がないのに、いきなり100キロのダンベルを持ち上げようとしている感じだ。私がほぼ毎日1500文字前後の文章を書けているのも、10年前からブログを書き続けてきたからであって、今になってようやく鍛えてきた筋肉が活躍している。だから最初はものすごく低いレベルから始めるのが大事で、絶対に誰かの目標に合わせないこと。歯磨きをするようなレベルに設置するのが、続ける上では何よりも大事だと思っている。スポーツだと体力がなくてできないことに気づきやすいけれど、そうではないことに関しては自分にもできそうだと勘違いしてしまう。私たちがいつも見ているのは、長年やってきたからできている結果なのであって、誰しも必ずあった初期の段階ではない。1500文字が無理なら1000文字、1000文字が無理なら100文字からでいい。

嫌になったらやめるのも重要だ。毎日やらなくちゃいけない!と思っていると、やめたいのにやり続ける状態になる。それは精神衛生上よくない。やめたい!と思った瞬間にやめておくと、次に始めた時もやめたくなったらやめられるという気軽な気持ちでできる。途中でやめてしまったらもうやらなくなってしまうじゃないか!と思うかもしれないけれど、そのままやらなくなったらそもそもそこまでやりたいことではなかったのだろう。逃げちゃダメだ逃げちゃダメだと自分への脅迫概念で続けても、その先にやりたくて続ける未来はない。人は飽きる生き物だし、日々気分も変わるのだから、やりたいことほどやめたくなったらやめるべき。

しばらく続けていると、今度は結果が気になってくる。誰かに見てもらいたい、褒めてもらいたいと他人への承認を求め始める。ある程度の承認はモチベーションとして必要だけれど、それだけを気にしてしまうと結果が出ないとやめてしまう。結果が出なくてやめるのは、自分がやりたくてやっているの本質からズレている。でも結果を気にしないのは無理!と思うだろう。これは手前にある欲求に慣れてしまい、先にある欲求まで待てない状態になっている。現代人の私たちは、甘い食べ物やSNSと言ったすぐに手に入る短期的欲求に慣れている。幸せを得るには手っ取り早くていいのだけど、その分なくなるのも早いからまたすぐに欲しがってしまい、どんどんループから抜け出せなくなってしまう。続けるとはそのループから外れた先にある、明日や1年後や10年後まで続く長期的な幸せなのだ。AIで簡単に絵が描けたり文章が書けたりして、世界中からいいねを貰える時代ではなかなか難しいのだろうけど。長く続けられるのはその都度変わる他者評価ではなく、後ろを振り返った時にこれだけやってきた自分すごいという自己評価でしか成り立たないと思っている。

だから続けるのは、別にすごいことでも何でもない。やりたくてやっているので〜と笑いながら言われるとさも狂人のように見えるけれど、私が知っている続けている人たちは決して頑張らずに、やめたい時にやめて、他人の評価を気にせず淡々と繰り返している。大したことにしていないのだろう。できなくて当たり前なのに、自分を過大評価してすごいことができると思い始めた瞬間に、勝手に作った不都合に振り回されてやめてしまう。だから続けてきた人たちは、自分はまだまだだと口を揃えて言う。他人から見れば、それだけやってきてこんなにできてるのに?!と思ってしまう。できないのが当たり前の世界の中で、それが面白くてずっとやり続けているからなのだろう。できてしまったら、何かを獲得してしまったら終わってしまう。つまり続けるとは、終わらせないように力を抜いて、いつまでもできないを楽しむことなのではないだろうか。

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