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これまでの職業で良かった点と悪かった点の総括

一般的にはそろそろ仕事人生も終わり(汗)なので、総括の意味を含めて書いておきます。
ちなみに、これだけが自分の人生ではなく、趣味人だった自分には、趣味の世界もたくさんあった😊ことを付け加えておきます。

新しいもの順にするか古いもの順にするか迷いましたが、古いもの順に書いてゆきます。

時計の設計 (80年代・東京)

掛け時計・置き時計の外装、つまり外観部分の設計。デザインではなく量産設計です。
ツールはCADと手書き。

機械設計と生産技術のイロハを学び、プラスティック成形・プレス・木材加工・金属と表面処理など、色々な素材を扱いました。
上司は厳しく、社会人のイロハも学びました。
職場自体はフレンドリーで旅行に行ったりなど。寮住まいで寮生の仲もよく、会社としてはベストな環境でした。
仕事はゆったりしていた時代でしたが、会社の業績は下降線でした。

複写機(コピー機)の設計 (90年代・大阪)

複写機外装・構造の設計で、ツールはCAD。ワークステーションのCAD。
部品が多いため、ひたすら図面を書き、それ以外はひたすら通紙テストと環境テストをしていました。

前職の生産技術のノウハウが生きて、職場での立ち位置は良かったと思います。転職者の方が技術力が高かった感じです。
この頃にパソコンを覚えました。
職場は男性ばかりで、とくに個人的な付き合いもしていませんでした。やはり転職組は同期がいないぶん、そういうつながりはないですね。

複写機・プリンターの企画 (90年代・大阪)

デジタル複合機やスキャナの製品の企画です。主に仕様を決めたり、新製品開発の企画提案です。

パソコンが得意だということで、デジタル複合機の企画にまわされました。
慣れない仕事で最初は苦戦して、マジで泣いていましたが、当時の上司が素晴らしく包容力のあるアニキで、僕の能力を引き出してくれました。
結果、それなりの実績を上げられました。あのアニキにはもう一度会いたい気がします。
この頃は本当によく仕事をして、企業戦士という感じでした。お金もいっぱいありました😊

インテリア販売 (00年代・兵庫)

ホームセンターのインテリアコーナー担当。
空間デザインみたいなことがやりたくて建築・インテリアの世界に入ったのですが、不況下で仕事がなく、かろうじてインテリアの仕事に就けたという感じでした。
生活で使うインテリアの一通りのことは勉強できました。
しかし、販売はストレスが溜まるなあーと、しみじみ思いました。

建築設計 (00年代・兵庫)

アトリエ系建築デザイン事務所の見習い。
3D・2D-CAD製図・模型製作・プランニング・Webと通販の担当など。

やりたかった空間デザインのイメージには合っていて、建築についていろいろと思考させてもらった時期です。
楽しくて、続けたかった仕事ですが、収入面で先が見えてしまったから辞めざるを得ませんでした。いろいろと複雑なものがあります(汗)

Web制作(自営) (00-10年代・兵庫)

制作会社の請負と、クライアントからの直請け案件。
すべての仕事をやりましたが、職能的には大きく分けて次の3つです。

Webデザイン

ツールは Adobe XD・Photoshop など。
デザインは得意ではないため、ガチで Illustrator やれるとかいうものではありませんでした。

コーディング

ツールは NetBeans・Dreamweaver など。
HTML・CSS・jQuery のコーディング。
制作会社の請負のときにかなりコーディングを実施して、スキルが高まりました。

CMS構築

ほとんどが WordPress の構築。他に EC-CUBE など。
制作会社の請負の WordPress 構築案件が多かったです。直請けでも使いやすいCMSで、クライアントにも知られているシステムでした。
WordPress は面白いけど、複雑だなあと思いました。

システム開発

受注管理システムなど、MySQLを使用したデータの入出力管理を基本とするシステムの開発。
というよりは、自分だけでコツコツと、自分のクライアントワークのためだけに作っていたようなものです。チームで仕事したこともありません。
よくあんな仕事してたよなーという感想です。

Web制作でさまざまな仕事をしましたが、今から振り返ると、もっとディレクションとかプロデュースとか、そっちの方を追求した方が後々のためにはよかったかもしれないですね。その方が向いていたんじゃないかと思うこともあります。

自営業なので続けるべきでしたが、心身の不調で廃業しました。

ルームメイク・メンテ (20年代・大阪)

ビジネスホテルのルームメイクとメンテ。
時給は高くてまあまあお金にはなる仕事です。

最初、メンテから入ったわけですが、人材不足の折、ルームメイクにまわされました。
ルームメイクはキツかったですね。数をこなさなければならず、要求レベルは高くて自分には無理でした。ちゃんとやれる自信はありましたが、スピードについていけませんでした。
あと、血圧が140以上あると働かせてもらえないことも、将来不安につながりました。

Webライター (20年代・大阪)

現職です。企業のWebサイト・オウンドメディア・ブログ等の記事の執筆。制作会社の請負。
いわゆるフリーランスですね。個人事業というほどのものにはなっていない状況です。

Webライターはとても勉強になる仕事で、色々な知識が得られます。
また、これまでの経験も活かせて、そういう案件をまわしてくれます。
最近ではマーケティング案件が多く、Web制作の頃にやれなかった部分を今、やっているような感じです。

時間も拘束されないし、働き方としては理想的だと思いますが、収入が雀の涙😢なので、その部分のアップデートが必要な感じですね。それが今後の重要課題です。

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