出版社を辞めた僕はキャバクラで黒服をすることになった。 #1
「そういうことならいいお店を紹介してあげる」
と、マッチングアプリで付き合いのあったキャバ嬢が教えてくれた。
6月初旬、僕は金とネタに飢えていた。
前年の春、2年間勤めた出版社を退職した。ライターとして独立するというかねてからの夢を叶えるためだった。
しかし執筆業の依頼など、ほとんど回ってこないまま1年が過ぎていた。時間はあっても金がない。電気代が払えないため、電気の止まった部屋で一週間生活したほどだ。
できることなら手っ取り早く生活費がほしい、そして同時にライターとしての肥やしになる体験がほしい。
そのことを周囲に相談して回っていた矢先のことだった。
「春にオープンしたキャバクラなんだけど、まだオープンスタッフを募集してるらしいんだよねー。私も同じ系列のお店でキャストやってるけど、労働環境としては悪くないよ」
彼女が店のHPのリンクを送ってくれた。中野区某所で開業したばかりの店らしい。
その地域は歌舞伎町のようにギラギラしていない、落ち着いた街という印象があった。
彼女いわくその店も物静かな場所にあり、客は常連の中年層がメイン、規模が小さいため仕事も少なくて楽だという。ホームページには時給1500円と大きく書かれていた。
紹介してあげると言ってもらったが、せっかくなら自分でぶつかりたい。
迷っていたら機を逃してしまう――
僕はすぐにその店に電話した。当日の17時に面接することになった。
出版社を退職して以来のワイシャツとスラックスを身にまとう。さらに葬式以外ではつけたことのない黒ネクタイを締めて最寄り駅に降り立った。
まだ空は明るく人通りも多い。緊張感を抑えつつ、グーグルマップを頼りに店へ向かう。
テナントビルの入り口に店の看板が見つかった。無駄にゴージャスなデザインが個人的にはあまり好みではなかった。入口からは階段になっており、地下に潜る仕様になっている。おそるおそる階段を降りていく。薄暗い廊下に繋がり、その奥に大きな扉があった。
扉を開くと小さな、だがたしかに水商売らしい雰囲気をまとった店がそこにあった。
すみませんと挨拶をすると、白髪の太った男が現れた。
「ああ、ようこそ。じゃあとりあえずこれ記入しておいて」
と履歴書を渡され、テーブル席で記入するよう指示される。
書き終えると今度は面接だ。
夜の仕事は初めてか、週に何日入れるか、酒は飲めるか、接客は大丈夫か、など基本的なことばかり聞かれて拍子抜けしてしまう。
しかし面食らったのは給与についての説明だ。交通費が支払われない上、時給は1200円なのだという。
「HPでは時給1500円と書かれてましたよね?」
僕がダメ元で確認してみると、男は少し気まずそうに黙った後にこう答えた。
「ああ、それは経験者の話だから。君、初心者でしょ?だったら1200円スタートね」
この時点で、僕はなんとなくこの店の体質を理解した。
キャストやスタッフを集めるために、ひいては利益を得るために、多少の嘘や隠し事は平気とする店なのだろう(後日わかったことだが、この店では経験豊富な社員たちですら時給1200円で働いていたのだ)。
それでもいい、この店なら日給制ですぐ金が手に入るし、ライターとして役立つネタもきっと掘り当てられる。ここまで来たならと覚悟を決め、僕は契約書にサインする。
こうして僕は中野区のさびれたキャバクラに黒服として入店することになった。
やがてその店の“嘘つき”な体質が恐ろしい事態を引き起こすことを、このときはまだ知る由もなかったのである。(牛)
(けっこう続く)
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