3度目の初恋
20代、30代があっと言う間に終わり、
僕は40代に突入した。
学生時代から長く付き合っていた彼女とは、28歳の時に結婚した。しかし同棲もしてから結婚したのにもかかわらず、結婚してから1年で別れた。
結婚しても何も変わらない、そのまま穏やかに過ごしていければそれでいいと思っていたのに、彼女は違ったようだ。
僕はしばらく2人での生活を楽しみたかったのだが、子ども好きな彼女は早く欲しかったようだ。
結婚前に意見をすり合わせておけばよかった。
「私は早いうちに子どもを産みたい。せめて20代のうちには」
焦ったように言う彼女にはどんな事情があったのか、今となっては分からない。
もっと早く結婚に踏み切っていれば、別れるようにはならなかったかもしれない。でも僕は一級建築士を取得し、ひと通りの仕事を自分でこなせるようになるまでは結婚しないと決めていた。僕の意地だった。
彼女との別れを機に、僕は独立を考えるようになった。
建築士といえば稼ぎが良さそうに思えるが、その地位を確立するまでが大変だというのは独立していった先輩から聞いていた。
幸いにも大手の建築会社に勤めていた僕は、〝35歳に独立する〟という目標を掲げ、『僕といえばこの建物』と言われるような自分の代表作を造ることに没頭した。
35歳になり、遂に自分の事務所を構えたのだが、やはり最初は難しい。チラシをポスティングしたり、手当たり次第に営業をかけてみたが、問い合わせは来ても2,3件。実際に仕事を依頼してもらえるのは1件あればいいほうで、現実の厳しさに押しつぶされそうになった。
貯金はあっと言う間に無くなった。会社勤め時代の給料が恋しい。戻りたいと思うことは何度もあったが、守るものが何も無い今、僕はただ我武者羅に営業を続けた。
先輩の事務所を手伝うことでいくらかの収入を得ながら働く。
様々な建築物を見て、独立した先輩達の話を聞き、〝僕が本当に造りたいもの〟を絞っていくことにした。
会社勤め時代は大きいものを造ることこそが自分の価値を高めるものだと思っていた。実際、依頼が来るのはそんな大きなものばかりだったから。しかし、独立すると大きな物は大きな会社へ。デザイン性を求める場合は有名建築家へ。僕のような大手上がりの建築士なんて腐る程いて、仕事が取りづらかった。
36歳になった頃、還暦を過ぎていた両親が実家を建て替えることにしたと連絡があった。2階建てを平屋にし、今後を考えてバリアフリーにしたいから設計してくれという依頼だ。
嬉しかった。自分の思い出が詰まった家を一新するのは少し寂しく感じたが、それ以上に僕を頼ってくれることが。
全てを取り壊しはせず、2階部分を取り除き、一階部分の天井を少しだけ高くした。そして内装も少しだけ変え、木のぬくもりと柔らかさを感じる減築リフォームになった。
思い出を残すことができる設計、リフォーム、それって良いなと思うようになった。その路線で行こうと決めた。
それから少しずつ依頼が来るようになった。リフォームが大半を占めるが、僕の過去に設計したものを見てくれて、規模の大きなものの設計を頼まれたりもした。徐々に収入も増え、日々に余裕が出てきた。
40代に突入し、数人雇っていた社員たちにほとんど仕事を任せられるようになった。そんな時、とある依頼が来た。
「祖父母から譲り受けた一軒家を店舗兼自宅に改装したい」
そういった内容だった。
依頼主の名前を見てみると、〝真月累(まつきるい)〟
─まさか、な。そんなわけ無いよな
そう思いながら『まずはお話を聞かせてください』そう返信した。
約束の時間、何度も時計を確認する。
─分かりにくいかな?迷ってる?看板はあるはずなんだけど…
待ち遠しくて、待ち遠しくて、もう十数年も会っていないはずなのに…
「社長、お客様です」
きた。
「すみません遅れました。真月です」
「お待ちしておりました。社長の長与(ながよ)です。分かりにくかったですか?」
「あ、いえ…そういうわけではなくて。あの、匡平(こうへい)くんですよね」
「はい。累、さん…ですよね」
「お久しぶりです」
「久しぶりだね。僕の事務所って知ってて依頼したの?」
「あ、うん。事務所の名前に長与ってついてるし、サイトに実家のビフォーアフター載せてるでしょ。それで分かった」
「よく覚えてたね、僕の実家とか」
「そりゃ、あの頃よく一緒に遊んでたし」
「そっかー懐かしいね」
懐かしい。あの頃を思い出すと、色んな後悔も思い出してくる。
「夢が建築家って言ってたでしょ。それでもし、私がなにか建てるときにはお願いしようとずっと思ってて。それで、夢だったカフェをやるために改装をお願いしに来たの」
「カフェかぁ。いいね。おじいさまから受け継いだ家ってどんなかんじ?」
「2階建ての日本家屋なんだけど─」
写真を見せてくれる。とてもきれいな家で、凄く大切にされているのがわかる。
「1階をカフェにして、2階は住居にしたくて」
「うんうん、いいね。すごく綺麗だからあまり手を加えすぎないほうが良いよね?あと、何人くらいで住む予定?」
「私一人だよ。だからそんなにスペースもいらないかなって。お店のものを仕舞える倉庫とかも2階に作ってもいいかなって思ってる」
「あれ、ひとりなの?」
「あ、うん。数年前に離婚して。子どももいないから気楽な独り身だよ」
「え、まじ?僕もひとり。バツイチ」
「え、別れてたの?知佳(ともか)ちゃんと。あんなに長く付き合ってたのに」
「うん、1年で別れた」
「そっかぁ。しかも私達会うの、その結婚式以来だよね…びっくりだよ」
「風の噂によると、知佳は再婚して子ども2人育ててるらしい」
「へぇ。あれ、お子さんは?」
「いない。僕はゆっくりでいいって思ってたからさぁ」
「あるあるだね。うちと逆パターン」
「そうなの?」
「旦那は子どもが欲しかったみたいで、結局若い子と浮気してデキちゃって、離婚」
「は、酷すぎ。離婚して正解」
「本当、離婚してよかった。しかも慰謝料しっかり取ったから今回のリフォームに充てる」
「よし、良いものを造らせていただきます!」
「お願いします」
「カフェにする1階なんだけれど、畳じゃなくてフローリングに張り替えたくて。テーブルと椅子を置いて土足でも上がれるように。あと、キッチンはもっと広くしたくて。奥の部屋をキッチンに組み込んで─」
「いいね。2階のキッチンは一般的なサイズでいい?スペース的にはアイランドキッチンとかもできそうだけど」
「うーん、動線的にL字がいいかも。料理はするから3口コンロ置きたい」
「浴室は?」
「あんまり拘りは無いんだよね。足を伸ばせるならそれでいいかも。あ、洗濯物はなるべく外に出したくはしたくないから、浴室で乾かせるといいなぁ」
「外から見えるのが嫌だったら、ランドリールームとかどう?太陽光は入るけど、外から見えないようにデザインして、洗濯機をここに置けばすぐ干せるし、浴室にも近くていいと思うよ。リビングは少し狭くなるけれど」
「ランドリールームかぁ、そんなのがあるんだね。良さげ。狭くなるのは構わないよ。ほとんど1階に居る予定だし。階段上がってすぐのところに店用の倉庫つくれそう?」
「作れると思う。あと、1階のこのスペースも倉庫にできるよ」
じっくり、何度も打ち合わせを重ね、無事施工に辿り着けた。
「「おつかれさまー」」
数カ月後、やっと累の家のリフォームが完了した。
「無事終わってホッとしたよ。素敵なデザインをありがとう」
完成したばかりのカウンターテーブルで祝杯をあげる。真新しい家の匂い、木の息遣いを感じて僕は好きだ。
「想像以上に素敵に仕上がったよ。我ながら天才だと思う」
「自画自賛…でも事実だから否定できないね。リフォーム考えてる友達にも紹介しておくね。天才建築士だって」
「宣伝感謝します」
また乾杯し、缶のビールを飲み干す。
「次、何飲む?まだ全然お酒揃えれてないからウイスキーと日本酒、匡平くんが持ってきてくれたビールしかない」
「んじゃ、ビールで」
「飲みすぎないでね」
「分かってるって」
あの頃はシャンディガフしか飲んでいなかった彼女も、缶ビールを少しずつあおっている。
「ビール、飲めるようになったんだね」
「馬鹿にしないでよ、もうとっくに大人だよ。でもやっぱり、ビールは1本で満足だなぁ」
頬を少し赤く染めながらそう言う彼女は、やはり強くはなさそうだ。
「ねぇ、真月」
冷蔵庫を開けている彼女に声を掛ける。
「なに?」
「僕の人生のパートナーになってくれない?」
「え?私はまだ再婚する気はないよ」
「うん、それでもいい。籍を入れるとか、そういうのは置いておいて、これからの人生一緒に居たいなと思ってる」
「私けっこうめんどくさいよ?頑固だし」
「知ってるよ、昔からの仲じゃん」
下を向いている彼女の手を取ると、目が合う。
彼女の瞳は少し潤んでいた。
「え、ちょっと何で泣いてんの。嫌だった?」
「なわけないじゃん。私、一生叶わないと思ってた。知佳ちゃんと結婚しちゃって、私は一生好きな人と一緒になれないと思ってた」
「僕のはね、真月が初恋なんだ」
「へ?」
「あの頃、真月はバスケ部の舜(しゅん)のことが好きだっただろ」
「あ、うん。でも言ってないよね」
「好きだったら気づくだろ、誰を想ってるかなんて」
「そっか」
「それで、真月を諦めようと思って他の人を好きになるようつとめて。少し気になった衣純(いずみ)に告白することにしたんだ」
「それで、私にラブレターを渡させた、と。酷くない?」
「少しでも僕のことを意識してくれたらいいなって気持ちもあって、ほんとゴメン」
「あの頃からさ、私の好きな人はすでに匡平くんだったのに。正直トラウマなんだよ」
「ほんっとごめん」
「実は僕、真月に3度恋をしてる。1回目はその中学の時で」
「うん」
「2回目は、大学生の頃かな。久しぶりに再会したとき」
「あれ?その頃には知佳ちゃんと付き合ってたでしょ」
「そうなんだ。その時すでに知佳とは数年付き合っていたからこのまま結婚するんだろうなと漠然と思っていたんだ。だから別れられなくて。真月のことも好きだった。奥底に押し込めていた好きという気持ちが抑えられなくて、手放したくなくて。だから付き合ってることは言わなかったし、真月が来るって聞いたら集まりには絶対参加した。ほんと僕って酷いやつだ」
「知佳ちゃん付き合ってること、友達を通じて知った時には凄くショックだったんだから。そのまま結婚しちゃったし」
「知佳とはうまくやってたし、1番好きではなくとも居心地がいい人と結婚するほうがうまくいくって自分に言い聞かせてたなぁ」
「私も、2番目に好きな人と結婚すると良いって言う言葉を信じて結婚した」
「結局2人共離婚」
「それで、3回目は」
「今だよ」
「こんなオバサンになってるのに?」
「それを言ったら僕もオジサンだよ。真月は、とても綺麗だよ」
「まぁ、子無し共働きでしたから自分にお金かけてますよーだ」
「シワシワヨボヨボになっても僕は真月が好きでいつづける自信があるよ」
「子どもは、望めない可能性が高いけれどいいの?」
「真月と2人で幸せに暮らせるなら、それで充分」
「でも、」
「姉ちゃんの子どもの世話を散々して子育ての大変さは分かってるし、なんならもう既に子育て経験して満足って感じ」
「お姉さん、紗楽(さら)さん元気?」
「元気だよ。たまにこっち帰ってくるけど、すごいパワフル。子どもが手を離れて時間を持て余しているみたいで、仕事の合間に色んな国に行ってるみたい。お義兄さんと」
「相変わらず仲いいんだね。2人共テレビでよく見るけれど、本当いつまでも老けない」
「そうなんだよ。お義兄さんが姉ちゃんにベタ惚れで、僕の理想の夫婦」
「匡平くんは私に3度も恋をするくらい、ベタ惚れなんでしょ」
「うん」
「カタチは違えど、私達らしく仲良く過ごしていこう」
僕は、二十数年越し、念願だった彼女を抱きしめることができた。
すっぽりと腕の中に収まる彼女は、僕が思っていたよりも華奢で、でもその中にしっかりと強さがあった。
そして叶わないと言われている初恋は、何度でも想い続ける事ができれば叶う。それを僕が身を以て証明できたと思う。
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