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PGAツアー天国と地獄
【テキサスでの出来事】
☆大会中の悲報☆今年のチャールズ・シュワブ・チャレンジは、デイビス・ライリーの優勝で幕を閉じた。この大会はそもそもコロニアル・インビテーショナルの名称で、ベン・ホーガンを称えたようなトーナメントである。会場のコロニアルCCは距離が長く、ハードな設定で知られていた。しかし、今年の大会前のテレビ放送だったか、「コロニアルは距離が短いですが……」と。道具の発達で、そんな事になっ
1970年代から、ゴルフ界もバブルに包まれていた。その裏側で様々な人種が蠢いていた。経済人、反社、マスコミ、政治家……㊙取材メモを紐解いてみよう。
――by Drifter(Koji Shiraishi) Tokyo Sports NewsPaperに約20年在籍した。日本のゴルフ界はもちろん、米国PGA、LPGAの会員記者としても活動した。
【病院を取られた?】
「うちのメンバーさんがやられたらしいんですよ。賭けゴルフでね」
1980年前半、埼玉県でも評判の良い、I.C.C.の支配人が語り出した。このゴルフ場はフロントの女性が、一度来
プロレス、サッカー、アジア大会……お隣の韓国へは何度も取材に行った。"独裁大統領"の戒厳令下では、危険を感じたことも何度かあった。今やアジアの観光スポットの一つである韓国の知られざる一面である。
――by Drifter(Koji Shiraishi) Tokyo Sports Press NewsPaperに約20年在籍した。海外取材としては、韓国が一番多かった。今、取材メモをめくってみることにしよう。
【戒厳令下のプロレス】
「お客さん、これ八百長です‼ 大熊が約束を破った‼ セメント‼ セメント‼」
1965年(昭和40年)11月28日、蚕室(チャムシル)体育館。満員の会場に
1978年秋、呪われる前の”鉄の爪"を訪ねた。ダラスのオフィス。「ちょっと来てくれ」「Yes sir‼」ブルーザー・ブロディは直立不動で、ボスの前に立った。
――by Drifter(Koji Shiraishi)。Tokyo Sports Press NewsPaperに約20年在籍した。1978年9月15日。ニューオーリンズでモハメド・アリの三度目の世界王座復帰を見た。そしてアメリカン・プロレスを探る旅に出た。
【大先輩からの電話】
2024年4月中旬、車を走らせていると、携帯電話が鳴った。発信元は大先輩、プロレス界のレジェンド的存在、T.M
PGAツアー事件簿――by Drifter
【再びテキサスにて】
1985年のことだったか、テキサスのトーナメントにて、とんでもない場面に遭遇することになった。PGAツアーへの張り付き取材で、何人かのプロと親しくなった。その中の一人にMプロがいた。才能があるのに試合になると、何かかみ合わせが悪く、予選を通ることが少なかった。アメリカのマスコミには変人扱いされていた。
「アメリカのマスコミはまともな奴がいない。優勝しても、取材拒否だ。覚え