見出し画像

初めての最終制作 終わってみて。

写真学生1年目の制作授業の締めくくりの制作課題。
やっと終わってくれた。
すっげえ雰囲気の悪い中で人前でプレゼンしてさ。
幸いなことに(?)先生方から蜂の巣にされることはなく、なんとか乗り切ることが出来た。
自分なりに思ってることを制作に反映させることができたと思うので、少しこちらで振り返ってみる。

もともと最終制作の構想自体はなんとなく思い浮かんでいたのだが、最終的にはがらっと方針が変わった。最初何を思っていたのかは下記URLをご参照いただきたい。

I'm here.|すけろく|note(ノート)https://note.mu/dc183_okhotsk/n/n5d8856cb469e

「I'm here.」では、言ってしまえば"鉄道写真のはずなのに、鉄道車両を端に退けた写真"に対する皮肉のつもりで作ってた。私自身、鉄道写真であるはずなのに鉄道車両を除け者のように扱う写真が正直に言うと好きになれない。なんとかならないのかって思いながらここ数年間モヤモヤしてた。
そんな中で最終制作の中間検討会(先生たちに"自分は今どんなことを考えて取り組んでます"と報告する会)で、担当の先生と自分の班の人たちの前で打ち明けた。「私はもっと、鉄道そのものが主題として扱われてるとはっきりとわかるような、藤川球児の火の玉ストレートのような写真を撮りたいんだ」と。
そしたら先生はこういう指示をくれた。

「なら自分が思う編成写真とは違う姿の、新しい形のストレートな写真を考えてこようか。2週間後までにある程度決めてみよう。」

"無いものがあるならつくればいいんだ"って言葉はもとから脳ミソにある程度浮かんでたけど、実際にこういう指示をもらった時、何をすればいいのかわからなかった。
でもとにかく動かなければならなかった。今回の制作では"使用レンズは標準域のみ"という制限があったので、それに従うようにどうすれば撮りやすいかを考えた。

出来れば野ざらしでテーマパーク化していない場所を探した。
調べてみると意外と数は少なく、行くべき場所はすぐに絞れることが出来た。

走っている姿をただ撮るだけだと編成写真になってしまうし、いろんな角度からじっくりやるためには「止まっていて、合法的に近づける車両」が望ましい。ということから、保存車両を被写体にすることに決めた。そうとなったらとにかく撮りに行くんだと言わんばかりに、全国各地の状態の良い保存車両を探すことにした。あからさまに保存車って感じに整備された環境だとアングルや光線に不自由が生じるため、なるべく不自然じゃないロケーションで…と探していた。

青森県七戸町の南部縦貫鉄道七戸駅跡。
車両が外に出るのは年に2回とのこと。

新潟、宮城、遠くは青森へと足を運んだ。もともと遠出するタイプの"鉄"なのでさほど苦ではなかったが、この時期が一番キツかったし、自分でもありえないほどの枚数を撮った。現像もキツかった…。

そんなわけで試行錯誤四苦八苦していたわけですが、ついに決定打となるカットに行き着きます。

ふと車両をファインダーの真ん中に配置した途端、高校生の頃にりんごを日の丸構図でグルグルにした記憶を思い出した。
ジャイロボールのような写真。これなら同じことをやってる人は少ないだろう。そう思い勝負に出た。

2週間経って先生にそれを見せる。今回は組写真が条件の1つだったため"全部このタイプの写真だと面白みがないから、残り二枚はもう少し工夫しよう。でもすごく面白い"と言われた。

最終的にはこの三枚になった。
テーマは「風化」
組み方は上から順に3枚で、明るいところから暗いところへ推移させることによって、いずれ訪れる最終的な「死」を想像させたいと思った。

最終的には群馬県の横川駅隣の横川機関区跡、碓氷峠鉄道文化むらで仕上げの撮影を行った。
ここなら2つの状態の189系が存在し、車両の内外を撮影できる。奥にあるサビ果てた189系は渦の中に配置するのにピッタリだとも思った。

保存車と言うと、共通項として"老いる""朽ちる""一度死んだ身である"という点があるが、2枚目の座席後ろのヨレヨレの網や、色あせた広告、取り外された頭部の白カバー、3枚目の閉鎖され立入禁止になった乗務員室などから連想できると思う。
また、閉鎖される場所が発生する原因は様々だが、なぜ閉鎖されたのかというところを想像してもらいたいと言う意図もあった。

ジャイロボールのような渦を巻いた写真は先生方の講評の中で意見が別れた。とはいっても最終的には前向きな形で終わることができた。鉄に限らずいろんなジャンルの写真をとにかくたくさん見ろ、どこかしらにヒントがあるから、と。

自分がどもりを持っているからというのもあるが、3分以内のプレゼンでは最低限のことしか話せなかった。ただ、写真学科生全員と、1年の担当教員の前で「自分自身、近年万人受けする傾向のある"鉄道車両を除け者のようにした写真"が好きになれず、どうにかしたかった」ということだけはしっかり話せた。あまり内容とは関係ないかもしれない。でも、主題がはっきりしない写真が多い昨今の流れをどうにかしたいという気持ちが全面に出た、そういう制作だったのかもしれないと思う。
実際、これから写真で生きていくためには今までの形とは違った新しいものを創り出さなければならないのだと思う。言い換えれば自分で自分の武器を錬成しなければならないということ。

自分が勝負できる球種(ジャンル)はなんなんだろう?よくわからないけど、基本(ストレート)があって初めて変化球というのが見えてくる。言われた通り多くの写真をもこれから見るとともに、少しでも理想に近づけるようにストレートな写真も磨いていきたいと思った。先ずは写真に集中できるよう、目先の試験類をぶちのめしていこう。

お読みいただきありがとうございました。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?