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国家安全保障

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2023年1月の記事一覧

日本の国家安全保障90年代 102

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

志方俊之 元陸上自衛隊北部方面総監の主張

志方俊之・元陸上自衛隊北部方面総監は

中国の軍拡、領土拡張のための手段を選ばない行動や、

北朝鮮の特殊部隊によるゲリラ戦、ノドン1号などの弾道ミサイルの脅威

などに警鐘を鳴らし、

防衛計画の大綱の変更を、ある面では評

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日本の国家安全保障90年代 101

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

鳩山由紀夫・民主党代表(当時、のちに首相)の主張

 鳩山由紀夫・民主党代表(当時、のちに首相)は

雑誌「文芸春秋」1996年11月号に

「私の政権構想」

と題し、

安全保障政策を披露している。

鳩山由紀夫・民主党代表(当時、のちに首相)

は、

国連、A

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日本の国家安全保障90年代 100

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

菅直人・民主党代表(当時、のちに首相、現・立憲民主党最高顧問)の主張

菅直人・民主党代表(当時、のちに首相、現・立憲民主党最高顧問)



雑誌「文芸春秋」1999年6月号に、

「第9条は覚悟なくして変えられない」

と題して、

「専守防衛に徹し」、

「それ

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日本の国家安全保障90年代 99

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

小沢一郎 代議士(立憲民主党)・元自由民主党幹事長・元新生党代表幹事・元民主党代表の主張

1990年代に力があった

 小沢一郎 代議士(立憲民主党)・元自由民主党幹事長・元新生党代表幹事・元民主党代表は

 「普通の国」

として、

国連待機軍

や、

国連警

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日本の国家安全保障90年代 98

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

堤清二 セゾン・グループ会長の主張

西武鉄道グループ創始者・堤康次郎の息子で、

西武百貨店、西友で知られた西武流通グループを西武セゾングループ、セゾン・グループへと発展させた

堤清二 セゾン・グループ会長は

1996年(平成8年)4月の雑誌「世界」での対談で、

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日本の国家安全保障90年代 97

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

坂井定雄・龍谷大学法学部教授の主張

坂井定雄・龍谷大学法学部教授は

1999年9月11日の

朝日新聞「論壇」において、

「TMD(戦域ミサイル防衛)より多国間安保急げ」

と題し、

「軍事力による威圧をやめて、

 東北アジアの多国間安保体制、非核地帯条約を

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日本の国家安全保障90年代 96

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

金子熊夫・東海大学教授、元外務省外務参事官の主張

金子熊夫・東海大学教授、元外務省外務参事官は

 1999年7月27日の

朝日新聞「論壇」において、

「感情論やタブーは排し、核抑止力は本当に役に立つのかどうか、

 『核の傘』に代わる安全保障政策として

 期

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日本の国家安全保障2000年代 9

#多様性を考える

第1節  小泉純一郎政権「安全保障と防衛に関する懇談会」 8

航空防衛力は

「戦闘機を含む航空機部隊の縮減・効率化を図る。

 誘導弾部隊については、ミサイル防衛力を整備する。」

提言としている。

1990年代、すでに中国の軍拡、中国の脅威は明らかになっていた。

中国は1993年にスホーイSu-27戦闘機を26機受領し

その後もスホーイSu-27戦闘機を輸入するとと

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日本の国家安全保障90年代 95

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

暉峻淑子・埼玉大学名誉教授の主張

暉峻淑子・埼玉大学名誉教授は

1999年5月3日の

朝日新聞「論壇」において、

「『大国』日本が残せるもの」

と題し、

「戦後、『大国』として日本が唯一、

 世界に対して手本となりえたのは平和憲法ゆえであり、

 二十一

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日本の国家安全保障90年代 94

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

加藤紘一・自由民主党幹事長の主張

加藤紘一・自由民主党幹事長(当時)



日本、アメリカ、中国の三国間の関係を

「二等辺三角形」

から

「正三角形」にすべき

と主張していた。

二等辺三角形というのは、

日本とアメリカが接近し(日米同盟)、中国との関係

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日本の国家安全保障2000年代 8

#多様性を考える

第1節  小泉純一郎政権「安全保障と防衛に関する懇談会」 7

海上防衛力は

「対潜水艦戦闘を中心とした編成・装備・配置から、

 島嶼防衛や弾道ミサイルの監視・対処、

 武装工作船による不法行為対処等に重点を移す。

 艦艇部隊、航空機部隊については、その体制を縮減・効率化する。

 その際、護衛艦を活用してミサイル防衛能力を整備する。」

と提言している。

1990年

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日本の国家安全保障90年代 93

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

吉田均・東京財団主任研究員の主張

吉田均・東京財団主任研究員は

1999年12月2日の

朝日新聞「論壇」において、

「平和による相互発展というイメージを周辺国に伝えるため、

 日本も自治体に役割を再認識し、

 二国間組織や多国間組織を積極的に活用する必要が

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