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日本の国家安全保障90年代

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#航空自衛隊

日本の国家安全保障2000年代 88

#私の作品紹介

第3項  

平成17年度以降に係る防衛計画の大綱における防衛力 航空自衛隊 25

次期主力戦闘機策定

ロッキード・マーティンF-35AライトニングⅡ戦闘機(三菱商事) 2

ロッキード・マーティン F-35AライトニングⅡ戦闘機



当初、

ロッキード・マーティン F-22Aラプター戦闘機と同じく

チタニウム合金を多用

することで

軽量化を目指していた

が、

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日本の国家安全保障90年代 77

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

 防衛大学校卒業後、航空自衛隊、外務省を経て杏林大学大学院非常勤講師、野村総合研究所主任研究員となった森本敏氏。

 森本敏氏は防衛大臣にもなった。

 1993年10月5日の読売新聞「論点」で、

「国際政治を動かす要因は結局のところ宝である。国際社会の秩序を確保す

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日本の国家安全保障90年代 65

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議

第1章 マス・メディアにおける論議 1990年代

世帯普及率 1997年

山陽の広島県での世帯普及率は、

中国新聞が59,6%、

読売新聞が14,7%、

朝日新聞が12,7%、

日本経済新聞が5,5%、

毎日新聞が4,6%、

産経新聞が1,8%

となっている。

広島県も典型的な地方型の展開である。

山陰の鳥取県で

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日本の国家安全保障90年代 24

日本の国家安全保障90年代 24



航空自衛隊 1995年 新・防衛計画の大綱における防衛体制2

支援戦闘機部隊は3個飛行隊のまま維持された。

ただでさえ少ないものを削減しようが無かった。

第8飛行隊(青森県・三沢基地)はF-1からF-4EJ改に機種更新された。

第3飛行隊は

次期支援戦闘機FSX三菱重工業/ロッキード・マーティンF-2(アメリカでの呼称・F-16SX-3)支援戦闘機

(自重9527kg、離陸最大重量

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日本の国家安全保障90年代 23

日本の国家安全保障90年代 23



航空自衛隊 1995年 新・防衛計画の大綱における防衛体制1

旧・防衛計画の大綱に定められていた航空警戒管制部隊は

28個群

から

8個群・20隊

と大きく削減された。

自動化が進んだこともあるが、正当な削減理由が提示されていない。

飛行隊には

E-2Cホーク・アイ早期警戒機に加え、

空中警戒管制システムで広範囲の捜索、高速度処理による管制、などで高い警戒管制能力を持つ

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日本の国家安全保障90年代 18

日本の国家安全保障90年代 18

支援戦闘機部隊は3個飛行隊とされた。

当初は、F-86Fセイバー戦闘機であったが、

1977年から三菱重工業F-1支援戦闘機

(初飛行1975年、自重6550kg、推力32,46kN×2)

に更新されていった。

第3飛行隊(青森県・八戸基地)、

第6飛行隊(福岡県・築城基地)、

第8飛行隊(宮城県・松島基地)に配備され、

1984年までに77機が生産された。

 航空偵察部隊は1個

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日本の国家安全保障90年代 4

審議は1994年2月28日に第一回会合を開き、1994年8月12日に報告書を完成させた。

報告書は、

多角的な安全保障協力をメインに、日米安全保障協力関係の機能充実、信頼性の高い効率的な防衛力の維持と運用など、ありきたりな提言している。

その具体的な内容は

自衛隊コンパクト化という情勢判断を見誤った提言、

ごくありふれて当然である機動力向上、海上交通輸送路の防衛、テロ、弾道ミサイル防衛、

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