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#45 海についての愛を語る

 海を眺めている時間が好きだ。

 何も目の前を遮るものがない。静寂の最中で、自分の心臓の音がドクドクドクドクと妙に大きく聞こえる。ふと上を見ると、かもめの群れ。やけにグルグルと回っているなと思ったら、不意に急降下して誰かの食べ物を掻っ攫っていった。なんて器用な奴ら。

 寄せては返す水の流れを見て、とりとめもない時が流れているのを感じている。さざなみの音を聞くと、ひどく安心するんだ。それは波のザザザザという音が、母親の胎動の音に似ているから。テレビが何も放映していないときに流れるノイズとも似ているらしい。

 波の満ち引きを決定づける満月。欠ける事のない完璧な月と、ただ当たり前のように広がる海を見ていると、自分の存在がいかにちっぽけであることを自覚させられる。わたしが内に抱えている何かの残骸も、放り出して仕舞えばあっという間に吸い込まれて消えてしまうだろう。

*

海でのはなし

 ただどこまでも広く、青い海を眺めていると、ともすると涙がこぼれそうになる。人類だけではなく、地球上のすべての生物たちを生み出した茫漠たる自然の姿。何かが始まるときも、何かが終わるときも、わたしは海のそばで自分の感情に揺さぶられたいと考える。

 思えば過去自分が撮った写真を改めて眺めてみると、圧倒的に海で撮影した写真が多いことに気が付く。自分が意図的に撮っていることもあるし、単純に足を運ぶ機会もそれだけ多いということだろう。かつてこの世界に陸地が存在しなくて、海だけしかなかった日のことを想像しようとする。

 今でも時折懐かしむように思い出す物語がある。大宮エリーさんが監督を務めた、『海でのはなし』。まるで自分語りをするかのように、スピッツの音楽とともに映像は進んでいく。なんか少し青臭い感じがするけれど、不思議と悪くないなという感情が芽生える。そういえば、スピッツ自体もとても好きだった。眠れない夜に聞き続けるほどに。

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真夜中の漂流物

世界は目印のない広大な海であり、木野は海図と碇を失った小舟だった。

『女のいない男たち』p.269 村上春樹

 ひどく悲しいことがあったときや、逆に飛び上がるほどうれしい出来事があったとき。気が付けば、足を向けている。誰かに話を聞いてもらいたくなった時、そっと海のかなたにいる誰かに向かって呟いてみる。真夏の海にはたくさんの人がいるから、真夜中だったり冬の季節だったりタイミングを見測りながら。

 渚に打ち寄せられているたくさんの漂流物。主をなくした貝殻、水流によって削られた色鮮やかなガラスのかけら、芸術性を伴うフォルムを象った流木。名も無き音を発する世界の中で、自分の中にある物語に耳を傾けようとする。渚の際をあてどもなく歩いていると、どこか自分の知らない世界に連れて行ってくれるような気がしてくる。水面に反射する月は綺麗だった。

 どうにもならないことがこの世の中にありふれている。お互いがお互いを思いやる瞬間ほど、慈しみ深いものはない。少年は水面の上を無邪気に泳ぎ、がっしりした体型のお父さんは釣り竿片手に今日の夜食を調達している。缶コーヒーとタバコを手にして黙々と瞑想に耽る男性。

 わたしも何があっても動じない強い精神が欲しいと思った。自分の心が折れそうな時には、何とか顔に出ないように極力冷静を保とうとする。誰かの感情に寄り添うと、心がどうしようもなくかき乱されていくのがわかる。その人の幸せを願いたいと思っているのに、気持ちとは裏腹にどうしようもなく、胸がくぼんだ感じになる。

 最近の世の中事情はどうなのだろう。先日日本を牽引していた人が、謂れのない理由で命を落とし、世間は悲しみの渦に巻き込まれた。海岸で産卵していたウミガメたちは、何者かによって首を刺されてほとんどが出血により死んでしまったらしい。明るいニュースを、懸命に目で追っている。

 どうも最近朝早く目が覚めてしまう。寝不足で、仕事中は少し気持ちが悪くなる。きっと、そうした悲しい事件のせいではないことをわたし自身がよく知っている。でも、悲しみに打ちひしがれているだけではいけない。いつだって、人は死と隣り合わせにある。わたしも、例外ではない。

*

 波の音に合わせて体をゆらゆらさせていると、ふと力を緩めた瞬間にシャワーのような穏やかな波のかけらがこぼれ落ちた。塩辛くて、ひどく乾いた味がする。海を眺めている瞬間だけは、誰かに優しくできそうな気がする。膝を抱えて少し目線を落とす。埋められないもののために、砂がサラサラと流れていく。

 昔、好きだった人と海で線香花火をした。チリチリチリチリと、小さな火花を伴って揺れる様子が可愛らしかった。どうして人は儚くて朧げなものを愛するのだろう。自分自身がきっと、そんな存在だからと自覚しているからだろうか。

 海は、優しくもあるけれど恐ろしくもある。特に夜の海は、見渡す限り真っ暗で自分が吸い込まれるような感覚に陥る。いっそのこと、からだ丸ごと取り込んでくれたらどんなに楽だったと思う。巨大な迫り来る波は、何か自分のことを追っかけてきた死神のようにも思えてくる。「いや、わたしはあと100年は生きるつもりだからね」、ポツリつぶやく。こう見えて、わたしは案外神経が図太いのだ。

 愛とは、何だろうか。きっと、受け入れてそれから受け入れられることなのだと思う。わたしが抱く何らかの感情を丸ごと。子どもの頃に親から一身にうけていた無償の愛は、やがて成長するにつれ自ら意志を持つようになる。一方通行の愛は、息をすることができなくて、そのまま宙へと消える。

 打ち破られて行き場を無くした愛は、パチンと泡のように岸辺で揺れている。残骸とも呼ぶべきものを、母なる海は優しく救ってくれる。だからかもしれない、わたしが海に対して柔らかな愛を抱くのは。

【少しだけ宣伝】

 確かnoteを始めてから半年くらい経ったころ、唐突に長い物語を書きたいという衝動に駆られて、『鮭おにぎりと海』という海が出てくる話を書いた。それからもせっせせっせと新しいストーリーを書くたびに、あれまた海が出てきたわ……と驚愕するわけだが、でもきっとそれはそれで自分の中の原風景だと思うことにしている。

 実は『鮭とおにぎり』は自分の中でもう一度きちんと消化したいという思いもあって、少しずつリライトしていた。改めて読み返してみると、誤字脱字が多いし表現がイマイチやなというところが目立つ。ということは、2年くらいで自分の文章力が上がったのか……とポジティブに考える。

 今日が海の日だということもありキリがいいので、ステキブンゲイという小説サイトにて本日から毎日公開していく予定です。もし興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、お立ち寄りいただけると嬉しいです。(すでに読まれたこともある方も、暇があれば是非!)


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