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ポジティブなコミュニケーションに度肝を抜かれた話。【たぶん駄文】

いじめられっ子でした。幼少の頃は「ともだちが少ない」くらいの話だったのですが、中学高校時代は明らかにいじめられっ子、爪弾き。とはいえ陰湿ないじめというワケではなくて、無視・ハブ・陰口・吹聴・呼び出し程度でしたけれども。

本日のノートについて

本日のノートは、ポジティブなコミュニケーションに度肝を抜かれた話。そして、いじめられっ子だった私が大人になったいま思うこと。過去に苦しんだ経験がある方や今しんどい思いをしている方へ、いくばくかの慰めにでもなりますことを願いつつ。

文章はとっ散らかります。ご容赦ください。

ほぼ記憶がナイものの、過去のことを思い出してみる。

中学時代は「一度休んだら二度と行けなくなる」「親や教師を巻き込んだらもっとややこしい・面倒なことになる」と思っていたので、誰に相談することもなく、学校へも意地だけで行っていました。危害を加えられるタイプのいじめではなかったからそれができたのですけれどもね。高校時代は基本的には教室、ときに図書室や保健室へ避難しつつ。休憩時間は他のクラスにいる軽音部員のところや部室に顔を出したり。※私自身は軽音部の所属ではなかったという不思議。

今思えば、一人きりになろうがなんだろうが学校には行っていたし、そもそも我が強いから目をつけられたのだと思うし、自分なりの主張があるタイプだったからその程度で済んだのだと思うし、色々ありますわね。うん。

女子女子した女子が嫌いな理由

これらの時代に、もはや因縁という謎案件もありまして。「○○くんがアンタのこと好きだって?気に入らない!(○○くんがアンタのこと好きだって知ってムカついたから、私も〇〇くんのこと好きになったから!)」っていう、「え?ごめん、ちょっとなに言っているかわからないよ?」という絡まれ方もあったりして。

女子って怖いなと。「興味ないし、迷惑かけてもいないところでこじつけて絡んでこないで!」みたいな経験が多くて。以来すっかり女子女子した女子が苦手になってしまった。それと同時に仲良くなるのは男子が多くなり、それはそれでまた周りの女子女子した女子が面倒なことに。

そんなワケでして今も女子感満載の女子が苦手です。

とにかくまぁ、この時代には煩わしいことが多過ぎ、ゆえに群れることもなく大人になりました。今も単独行動が多いし、恋愛・色恋や感情に振り回されがちな女性が徹底してダメです。

世間話レベルでも後々あらぬ噂を立てられたり噛み付かれたりで嫌な思いをしてきたので怖くて近寄りたくないし、とにかくなるべく関わりたくない。男女問わずそれが気にならない方からは「あの子、いい子なのになんで苦手なの?」と怪訝な顔をされることもままありますが、ダメなものはダメだし、そのあたりは価値観の違いでヨシとしています。

また、見出しの「女子感」というのは言動やビジュアルの話ではなく、本質的な部分の話。これは実体験に基づく統計(自分が出会ってきた人たちの中での話)だけど、土台になる「思考の発展の仕方」は極めて似ていて、これがどうも肌に合わない。とらえ方や表現の仕方、執着するポイントに個人差があることを加味しても、私には合わない。

や、今日はそんな話をしたかったわけではなく。

そんな経緯があり、組織や仲間内における関係性とかコミュニケーション、そういう大切なことを学ぶべき時に学べないまま大人になりました。だもんで、いまだに人との適切な距離感がわからない。勉強中。近すぎたり遠すぎたり、相手が望む距離に落ち着けなかったり。エサをくれる人に寄ってはいくけれど本質的な野良の部分は変わらない野良猫みたいなもので、懐っこいんだけど懐かない、みたいな変な距離感があったり。

やはり「人は手の平を返すものだ」という思いと緊張感はずっとある。

悲観しているわけでもないし、相手を信用していないわけでもない、ただ、期待し過ぎてはいけない・甘え過ぎてはいけないという思いがある。これで苦しむなんて言うことはまったくないのだけれど、人間関係において常に緊張感がある。(反面、これが執着がなくニュートラル、自立しているように見える要因かと思うので悪いとも言い切れない。)

ところが

最近の自分の周りを見回すと。手の平を返すなんてことは絶対に無さそうな、やさしいひとばかりなのだよね。ガッツリ関わりのある人たちは皆やさしくあかるくポジティブなコミュニケーションのできる人。

困っている人が居たらパッと動いてフォローできるような人たちばかり。(たまに、人の世話焼いているような場合ではないのに突っ込んじゃってドボンしている人もいて、そういう時には「まずは自分を大切にしてください」と思うんだけどさ。)

これはすごいことだ。たぶん各々大変な思いをしてきているからそれができるのだと思うけれど、それにしたってだ。社会に出て、自分の居場所を探す中で出会い、ご縁を育てて繋がりが強くなった、そういう人たちだ。

ポジティブなコミュニケーションの力を知る

最近ではそういう人たちとのコミュニケーションがあるおかげで、緊張感さえもやわらぐような瞬間もあったりして、ポジなコミュニケーションがもたらす効果ってすごいんだなぁと実感しています。そうやって周りの人たちに教えてもらい感謝しながら、私も誰かの力になりたいなぁ、誰かを支えられるようになりたいなぁと思うわけです。

やりすぎポジティブは疲れるし不自然でシラケるけれど、適度にポジティブで自然体・建設的というのは最高だね。自身、常にそうありたいと思うよ。

さいごに

noteお題企画によせて。このテキストはもともと #8月31日の夜に とは無関係に執筆していましたが、書き終わったころにお題企画の存在を知り、加筆修正を経て公開することにしました。

前述の通り、自分に対して尊敬や信頼や愛情を持って接してくださる方々との間にポジティブなコミュニケーションの波が広がり「ああ、こんなに安心して接することができる人たちがいるのだなぁ」と思ったことが執筆のキッカケ。

ボロボロだった時代を生き抜き、生き延びてよかったと心底思いました。生きててよかった。これがこのタグを知らなかったら書かなかったであろう本音の本音。

ずっと、ずうっと続く、出口なんかないんじゃないだろうかと思えるトンネル、真っ暗闇。一縷の光さえささぬ。つらいよね、苦しいよね、潰れそうなら、潰されそうなら逃げればいい。逃げていいからどうか生き延びて。私も生きるか死ぬかを幾度となく考えて過酷な方の道を選んだ結果のいまです。

あの頃、自分がこの歳まで生きているとも思っていなかったけれど、たしかに生きているし、気がつけば周りには自分のことを大切にしてくれる人がたくさんいて、とても幸せを感じています。

そんなワケで。本日のノートは、ささやかな幸せを感じ取れるようになった「背景」の話でした。なんだかイロイロあるけれど、演劇とデザインに救われています。



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