マガジンのカバー画像

書評

148
運営しているクリエイター

#記憶

石沢麻衣(2021)『貝に続く場所にて』講談社

例えば頭の中で、遠い異国に旅をしてみる想像をするとして、脳内のイメージを余すことなく繊細に文章化するとこんな小説になるだろう。題名からも感じるかもしれないが、難解である。村上春樹的な要素がある。日本人が何故か好きな要素でもあるので、見事に芥川賞も受賞したのだろう。

テーマは、東日本大震災後の喪失感、しかし生き残った者・直接津波を経験していないものとしての疎外感、過去と現在の複雑な重なり合いと追想

もっとみる

燃え殻(2018)『ボクたちはみんな大人になれなかった』新潮文庫



果てしない名作。人間である以上、避けては通れない、そして大きく乗り越えることも小さくあしらうことも出来ない、自分そのものとして等身大の気持ちで向き合わなければならない唯一のもの、人間関係。

誰かを愛しいと思ったり、親しいと思ったりする気持ちの、不可侵性。時の移ろいにも、誰かの悪意にも、全く揺らぐことのない感情。それを持ち続けている僕らはみんな大人になれず正しさのなかを生きている。尊いほどに。

宇山佳佑(2018)『この恋は世界でいちばん美しい雨』集英社



人は変わりやすい、良くも悪くも。環境が変わるたび、心の中に新しい感情がふつふつと湧いてきて、これまで絶対だと思っていた気持ちも色合いを変えてしまう。それでも、失ってはいけない気持ちが、僕たちにはあるのだろうか。

バイクの免許欲しいなと思っていましたが、やっぱり怖いなと思っちゃいました。冗談です。生きるなら、誰かを傷つけないように生きたい。人間が、そこまで生きたいと願う生き物であるのなら。

天童荒太(2019)『ムーンナイト・ダイバー』文春文庫



真っ暗で、冷たく、死の匂いのする海に潜るのは、かつてあった生の記憶を探し出すため。大震災が人々の心に残していった、希望という感情の一つの形を描く。光は道しるべとなるが、時に恐怖ともなる。

決定的ライフイベントとして多くの人に共通の記憶を植え付けたことで、その後の結びつきを作るのにあたってある程度プラスに働いたのは事実だろう。願はくは犠牲を払わず心の紐帯を結べればいいのだが、そんなに素直じゃな

もっとみる

ドリアン助川(2019)『新宿の猫』ポプラ社



どうしても時は流れていくもので、でもその中でぶつかり合う人間の紡ぎ出すドラマが、また時を超えて、記憶とともに僕たちを温め直してくれることがある。変わるものと変わらないもの。変わらないと思えるナニカを持てたのなら、それはとても幸せで、貴い。

ふと遠い昔を思い出すときが誰にでもある。過ぎていった時は二度と戻らないことが当然のようにわかっているのに、意外にも、手を伸ばせばそこにあるようで、今でも取

もっとみる

寺地はるな(2018)『月のぶどう』ポプラ文庫



姉弟という、いざという時に頼ってもきっといいんだと思わせてくれるような関係が尊い。さらに心に残るのは、どれだけ長くやってきたからといって、それだけで自分にだけ「資格」があるわけではないという主人公の気づき。

ある日突然、天職のようなものに出会って、一躍有名人になるなんてことはあんまりない。でも、目の前には今やるべきことがきっとあるから、とりあえず手を伸ばそう。誰か相棒を見つけて。ワインでも飲

もっとみる

町田そのこ(2017)『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』新潮社



これもそう。生まれてふいにもたらされた、どうしようもないほどの困難に、綺麗な夜空を見たり美味しいおかずを食べたりして、向き合い乗り越えていく物語。そして、振り返ると忘れられない記憶に。

今を生きる僕たちが一つ気をつけておくことは、生きている今がいつかの未来の日に振り返る記憶になっているのだということ。今は決してやり過ごせたりはしなくて、むしろ繰り返し繰り返しよみがえる。明日の記憶として。