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【劇評・やや賛】映画『ボーはおそれている』(後編)(ネタバレ有り)

最近、寝る前にブルガリアヨーグルトのプレーンを少し食べる時間が至福のひとときになっております。
乳製品って、働いているときはすぐおなか壊していたから食べられなかったけど、プレーンヨーグルトっておいしいなあ。しみじみ。

今日もお読みくださってありがとうございます!
『ボーはおそれている』後編です。今日は映画館に掲示されていた公式のビジュアルです。
8月にDVD出るらしいです。なんと。
これもいいけど、くらたは『ネクストゴールウィンズ』を円盤化してほしい。


「わからないこと」は苦痛を伴う

くらたにはこの映画を理解するための知識や物差しがなかったことを、昨日書きました。

「わからない!」という実感は、とてもイライラするものですね。
なんでなんでしょう。

「?」「?」と、わからないまま話を追い続けるのも辛いし、「わかっているひとがいるのに自分はわからない」ということは、大変な傷つきと怒りという苦痛を伴うことを、今回改めて認識しました。もしやこれが、早稲田メンタルクリニック益田院長が言ってた「認知不協和」かな?
ともすれば、この苦痛を回避するために、「こんな映画面白くなかった!」と査定者的立場に立とうとしてしまう。
……ハッ!Tちゃんが常にナチュラルに査定者側に立っていたのは、こういう苦痛を回避するために身に着けた方法だったのかも……?まあ真相はわかりませんが。

わからない、と思ったときに自分がどういう状態になるか、このことはよく覚えておきたいと思います。

わからない映画は宇多丸さんに聞け!

こういうときにくらたがおすがりするのは、

  • ライムスター宇多丸さんの映画評

  • 町山智浩さんの映画評

です。宇多丸さんは映画時評をしていなくても、ラジオ番組『アトロク』のフリートークの中で触れている場合もあるので、それも検索して聞きます。

宇多丸さん、なんと今回はアリ・アスター監督が好きすぎて、特別試写会や監督インタビューなどさまざまな企画をされたとのこと!
なんとそれは聞かねばなるまい。

わからなくて当然だった

特別試写会で上映が終わった後、拍手が起こりそうになって、「いやちょっとまて」という戸惑いが広がって、シンとした場内。トークの冒頭で宇多丸さんも「ご理解いただけたでしょうか。『おいおい、ちょっと待て』という感じの、変な映画でしょ、説明のしようがない」とコメント
え、宇多丸さんも「変な映画」って言ってる!なるほど、変な映画って思っていいのか。少しこの映画に対して親近感がわきました。

凝ったグラフィック、パンフレット

この特別試写会に招かれたグラフィックデザイナー大島依提亜さんは、日本版のポスターデザインやパンフレットを制作した方です。
ポスターにはマンガ『カイジ』からインスパイアされた方法を使っているそうです。くらたはカイジは未読ですが、プロが全く別ジャンルのプロからインスピレーションを受け取るエピソードは興味深かったです。

パンフレットがまた凝っていて、こぶりなA5サイズなのですが、映画内で出てくる小道具が付録的にわんさか織り込まれていて見ごたえがあります。
映画序盤でボーのアパートに貼りだされている猛毒グモの注意貼り紙とか、ボーの部屋に投げ込まれる「うるさいから音楽のボリュームを下げてくれ」というメモ書きとか、少年時代のクルーズ旅行で知り合った少女のポラロイド写真とか。
ヒグチユウコさんの描き下ろしイラストもあってくらたはそれに惹かれて買ったのですが、モノとしての芸術性がすごい。

極度の心配性の人の元に一千倍返しの恐怖

宇多丸さんと大島さんは、「極度の心配性の人の元に、心配事、一千倍返しの恐怖が次々とやってくる映画」と語られていました。恐怖にさらされたと思ったら解決する前にさらなる別種の恐怖が襲って来て前の心配事がチャラになってしまう、と。

おお確かに。
映画内で起きる出来事が、序盤だけでも、

  • スラム街のアパートの前で前身タトゥーの男に襲われた。

  • アパートに入ったら、猛毒グモが出たと注意の貼り紙。

  • 家に帰ったら、音楽もかけていないのに「ボリュームを下げろ」との投書。それも何度も。文章がどんどん過激になっていく。

  • 投書が恐ろしくて眠れず、寝坊して、実家に帰省するための飛行機に乗り遅れる。

  • 母親に連絡したら、母親が亡くなっていると知らされる。

  • 茫然自失の状態で風呂に入ったら、天井に見知らぬおじさんがへばりついていた

  • 裸で外へ飛び出して警官と一悶着

という感じで、あまりの荒唐無稽さに気を取られて気が付きませんでした。
「心配事がひとつ解決する前に次々とやってきて前のやつがそれどころじゃなくなってしまう」って、そういうことなら現実でもよくあるやつじゃん。かぐや姫課長が命じる仕事とか。
個人的な妄想の世界と現実世界の乖離のような話だと誤読し、自分の思い込みによって、共感できる余地のあった映画を見過ごしてしまったことに気が付き、反省。

上記音声によると、70~80年代は主人公が次々とひどい目に遭い続ける映画が結構あったそうです。おそろしいけど、そういう自分が知らなかった映画の歴史などに触れられたのも今思えばよかった。音声も聞いてよかった。

ユダヤ人には「あるある」?

町山智浩さんもご自身のラジオで語っておられましたが、この映画はユダヤの方にとっては「あるある」なんだそうです。上記音声の中では宇多丸さんが「あるあるなんだ?!あるあるってどの部分?!」とおっしゃっていて思わず笑ってしまいました。ほんとだよ、あの映画みて「あるある」って言われても「どこがどんなふうに?!」と聞きたくなってしまう。

上記音声で語られていたのは、

  • どこまで行っても母親の手のひらの上から逃れられない、母親の家系の中における支配は「あるある」

  • ユダヤ教の厳しい戒律は、主人公のボーが極度の心配性であることと無関係ではない。

  • (途中の挿話に水害で一家が離散する物語が出てくる)水害のイメージ=ノアの箱舟のイメージ

  • 上記挿話の一家離散や、ボーがなかなか落ち着けない=流浪の民のイメージ

といった内容でした。
あのterribleな女性描写は、ユダヤの人々の文化的背景からは「あるある」なんだ……。宇多丸さんも「一人っ子甘やかされおじさん」の立場から共感を寄せていらっしゃいました。

なんでも、この映画のもとになったのは同監督の短編作品で、主演はアフリカ系の俳優さんだったそうです。その俳優さんが残念ながらすでに亡くなってしまい、ホアキン・フェニックスが主人公となり、ユダヤ系の人物として描きなおされたのだとか。短編と今回の作品を見比べると、世界や社会に対して感じる恐れは、アフリカ系の人とユダヤ系の人とで異なることがよくわかるとか。

機会があれば短編も観てみたいなあ。
全く異なる文化的背景を持つ人がどんなふうに世界を見ているのか、その視点からは何を恐怖・脅威と感じるのか。
そもそもそれを想像するチャンネルを、自分の中で持っていなかったことに気づかされました。

理解できないのが多様性

早稲田メンタルクリニックの益田院長は繰り返し、「理解できないのが多様性。話せばわかるようなものは多様性ではない。理解できない他者とどう共生していくか」という話をされています。

くらたがまったくチンプンカンプンだったこの映画を「あるある」と言って観る人たちが世界にいるならば、批評家面して「NFM(Not for Me)」などと言って分離するのは軽率でありました。

※とはいえ、「理解できない相手と対峙し続けるのも、「認知的不協和」が起きて難しい。多様性にも限界がある」ともおっしゃっています。
↓↓ 「付き合わない方が良い人間」 ↓↓
https://youtu.be/RsngDD8FDeE?si=6f0vFMcGOKOP0IJx

ホラーと喜劇は表裏一体

話がずれました。
宇多丸さんは、「ホラーと喜劇は表裏一体」とおっしゃっていました。

そういわれてみると、昨日書いた嫌な女性のステレオタイプ的な造形は、上記ユダヤ系の母親の影響力の強さもあるでしょうが、それ以前に喜劇的な要素なのかも。『かぐや姫の物語』や『バービー』『哀れなるものたち』など、フェミニズム要素のある映画における男性が過度に愚かに描かれる場合がありますが、その鏡合わせ版というか、皮肉を込めた喜劇、のようなものなのかな、と思いました。

自宅の風呂の天井におじさんがへばりついてるとか、警官と話が通じないとか、喜劇とホラー表裏一体だったのか。

また、ティーンエージャーの女の子がペンキを飲んで自殺しようとするシーンを挙げて、

「まさに悪夢的。夢分析、みたいなことはいったん置いておいて、夢っぽい変さをまずはそのまま受け取って、『あー、変な夢見たァー!』というのが正しい楽しみ方では?

とおっしゃっていました。

へえ、ナイトメア的とはくらたも感じていて、そこは間違っていなかったが、「あー、変な夢見たァ!」とそのまま受け取るとは目からうろこ。

終わってみるとあの夢にもう一回帰ってみたいと思う、どんな悪夢でも夢はちょっと懐かしい、そういう点でも、今回の映画は悪夢的。

おおお、言い得て妙。確かに見に覚えのある感覚です。感じたことのあることを言語化してくれているものに出会うと、なぜかしらうれしい思いがしますね。
そういえば以前、東京都立大学の生涯学習講座で「人間はなぜ共感を求めるのか」という脳科学の講座を受けたのですが、内容を忘れてしまいました。そのときの参考文献も、取り寄せて見たものの専門書が難しすぎて断念。またやらないかな。

確かに、今改めてパンフレットをパラパラめくって写真を眺めていても、懐かしい感じはちょっとあります。うーん、確かにちょっと懐かしいけど、今回の映画は、もう一回は、いらない……かな。
大島さんは6回も観たそうです。6回って18時間だよー!

でも、その悪夢的な、わけわからなくても懐かしさを感じる、夢をみた後と同じ体験、そういう体験を映画で観客にさせるって、すごい
どういう仕組みで、この映画の中の何がどう作用して、観客にこの体験をさせているのかが皆目わからない。説明できない。
くらたが最初、「理解できない。すごいものをみたんだろうけど…」と感じたのは、このあたりのことかもしれません。

書いたとおりエログロ猟奇描写はあるので万人にはオススメいたしませんが、総じて、ほかの映画ではできない、新鮮な映画鑑賞体験ができたことは間違いありませんのでご興味あればご覧になってください。

本日もお読みくださってありがとうございました!

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