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【読書】日本とユダヤの古代史&世界史 その3

出版情報

本稿の構成

本稿は下記のような一連のシリーズの3. ユダヤ人と日本人の関わり キリスト教関連です。

  1.  ユダヤ人とは何者か

  2.  ユダヤ人と日本人の関わり

  3.  ユダヤ人と日本人の関わり キリスト教関連

    • 古代日本にユダヤ人が来ていた!そのうち第5波

    • 大航海時代と改宗ユダヤ人

  4.  ユダヤ人と日本人のこれから

  5.  次なる探求へのヒント

著者のひとりである田中英道の方法論 フォルモロジー(形象学)に関しては、2-1 古代日本にユダヤ人が来ていた!そのうち第1波〜第2波まで に記載しています。

ユダヤ人と古代日本人との関わり

 田中は古代ユダヤ人は5波に分かれてきたという。

  • 第1波 前13世紀 出エジプト|縄文時代・日高見国・スサノオ

  • 第2波 前722年以降 アッシリア捕囚と失われた10支族|日本建国

  • 第3波 前3〜2世紀 秦の始皇帝・徐福と3千人|秦氏各地に渡来

  • 第4波 3〜4世紀 弓月国から秦氏2万人|応神天皇が受け入れ

  • 第5波 431年以降 エフェソス公会議・ネストリウス派|蘇我氏

このうち本稿では第5波を扱う。
 また、本稿ではキリスト教つながりとして本書 第6章にある戦国時代にきたキリスト教宣教師についても扱う。彼らは実は改宗ユダヤだったのだ!

第5波 ネストリウス派の蘇我氏

蘇我氏の野望と聖徳太子

 田中史観によれば、蘇我氏はキリスト教ネストリウス派のユダヤだという。蘇我馬子のお爺さんは蘇我高麗という名だし、馬子自身、大陸とのつながりが強く、高校の教科書などにも仏教推進派だったとある。蘇我氏は渡来人系だろう。なので、まあ蘇我氏ネストリウス派ユダヤ説はなんとか受け入れよう。だが次の説には驚かざるを得ない。

田中:ネストリウス派たる蘇我氏は、日本で”自らの宗派のキリスト教”を広めようとしました。

日本とユダヤの古代史&世界史 p194

そして聖徳太子の『厩戸皇子』という名前にも、蘇我氏の『”自らの宗派のキリスト教”を広めたい』という野望が秘められているという。茂木はいう。

茂木:お母様である穴穂部間人皇女が磐余池辺双槻宮の庭の《厩・うまや》、つまり馬小屋の前で産気づいて生まれてきた王子という逸話ですが、これは福音書のイエス・キリストの出生エピソードそっくりです。

日本とユダヤの古代史&世界史 p194-p195

これは蘇我氏が意図的に作り出したエピソードだというのだ。意図的に聖徳太子を日本のキリストにしようとした!

田中:…蘇我氏はつまり、《聖徳太子を日本のキリストにしたかった》のです。

日本とユダヤの古代史&世界史 p195

田中:…すでに仏教は入ってきていましたから、そこにキリスト教を上乗せしていこうと考えました。それが蘇我氏のやり方といってよいでしょう。

日本とユダヤの古代史&世界史 p199

蘇我馬子と聖徳太子の年齢差は23歳。何人もいる太子の妃の一人は馬子の娘だ。いくら才能のある若者とはいえ、馬子は天皇(崇峻天皇)すら弑虐する男だ、若造のひとりくらい取り込むのは容易だと思っていただろう。いや才能のある男だからこそ、取り込みたかったはずだ。だが、

田中:しかし、聖徳太子は、拒否しました。拒否したというより、元々彼は天皇の皇太子です。心は神道なのです。十七条憲法の冒頭は「和をもって貴しとなす」ですが、日本の伝統的な思想も十分に心得ており、そういった日本人の心を見事に文字化しました
茂木:元々やまと言葉にはなかった抽象概念を文字化できたのは、仏教の言葉を学んだからともいえそうですね。…
田中:その通りです…聖徳太子が政治家として経験を積み成長していく中で、蘇我馬子の太子に対するコントロールはどんどん効かなくなっていきました。

日本とユダヤの古代史&世界史 p195

そして蘇我氏は使い用のなくなった聖徳太子を暗殺する。記録としては『病で薨去』となっているが、その前日には馬子の娘とは別の妃が亡くなっているp195。しかも太子に対して殯(もがり)も行われなかったp199。これは暗殺された崇峻天皇と同じ扱いだ。その後の太子の子孫たちの運命を見ても暗殺説には一定の信憑性は、あると思われる。

田中:蘇我馬子は、天皇も皇太子も殺している日本史上最大のテロリストといっていいでしょう。

日本とユダヤの古代史&世界史 p196

そして、乙巳の変大化の改新へと続いていく。

田中:その時代の心ある忠臣だった中臣鎌足(なかとみのかまたり)などの新しい勢力が、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)を立てて蘇我入鹿を斬るという「乙巳の変」(645年)を起こし、蘇我宗家を滅亡させ、「大化の改新」と成し遂げるのです。

日本とユダヤの古代史&世界史 p196-p197

それ以降、有力豪族が皇室に対してテロを企てるという物騒なことはなくなる。「太子の意志を引き継いだ人たちが日本を統治することとなり、聖徳太子信仰はずっと続いて残っていくのです」p203
 日本最大のテロリストが千年以上前の人。日本は大陸などとはだいぶ違う歴史を持っている。

秦氏による神社創建:神明神社と明神神社

 蘇我氏なき後、有力な渡来人勢力は秦氏とその周縁の一族ということになった。秦氏=渡来系ユダヤ人は「政治の世界での出世は望めなかったものの、絹織物や農耕、鉱物資源、温泉の開発といった分野で、全国にわたって活躍」p208する。
 そのかたわら、仏教の隆盛と呼応するように神社が建造され、祭祀が整備されていった。当時の先進国、隋や唐で鎮護国家のために信仰された仏教がある種のグローバルスタンダードとして扱われた。一方で日本が国家として独立を貫くためには、独自の文化があることも自覚され強調してする必要があったのかもしれない。そのために神社という建物、その中での祭祀も整えられていったのではないだろうか。webで検索した程度では、総体としての『神社の起源』がどういうものだったのか、がはっきりわからない。田中はいう。

田中:日本の信仰はあまりにも素朴すぎた太陽や山や岩や木を拝めばそれいいのですから。…実体を信仰するのですから…それが焼けてなくなるとか朽ち果ててしまう場合がある。秦氏たちはそれらの前に「ほこら」や「やしろ」をつくって永続化しようとしたといっていいでしょう。それが神社なのです。
茂木:弓月君の一族が大量に渡ってきた応神天皇の時代には、まだ仏教は入っていませんでした。自然崇拝的な、本当の古神道みたいなものしかなかったのでしょう。そこにユダヤのような、かなり体系化された宗教が入ってきましたこれは衝撃だったでしょうね。
田中:”神社”というスタイルを採用することで宮司や神職という役割が必要となり、祭祀というものが永続的に続けられていくということになります。彼らの組織力というかシステムを作る能力はまったく巧みだなと思いますよ。

日本とユダヤの古代史&世界史 p218-p219

神社の社が作られ祭祀が整えられて行く。そこにも秦氏たちが果たした役割が大きかったのでは、と田中は言っている。

 神社に必ずある鳥居。鳥居には素朴でシンプルな《高天原系の神明鳥居(しんめいとりい)》赤くてゴージャスな《秦氏系の明神鳥居(みょうじんとりい)》がある。伊勢神宮などは神明鳥居だそうだ。秦氏系の神社は八幡神社や稲荷神社だ。八幡神社の主祭神は応神天皇、そのほかよく祀られているのは神功皇后、仲哀天皇、仁徳天皇だそうで、それぞれ応神天皇のお母さん、お父さん、お子さんだ。プラス名前はいろいろに変わるが奥さまが祀られている。このご一家に秦氏は頭があがらない、というところなのだろう。何しろ応神天皇は弓月国から2万人もの難民を受け入れたのだから。稲荷神社の主祭神はウカノミタマ。五穀をつかさどる神だという。
 明神系鳥居の赤はユダヤ教にちなんだ羊の血の色だという説や、イエス=
キリストの血の色
だという説があると本書では紹介されている。さらに

田中:…「イナリ」というのは「INRI」という説もあります。「INRI」
とは、イエス・キリストが磔刑に処せられた時、その十字架の上に掲げられた罪状書の頭字を並べたものです…意味は「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」です。…
茂木:…京都の伏見稲荷神社の祝詞には、衝撃的なことが書いてあります。「それ神は、唯一にして御形(みかた)なし、虚(きょ)にして霊有り」。稲荷神は唯一の神であり、形がない、と。これって『旧約聖書』のヤハウェ神と同じじゃないですか。

日本とユダヤの古代史&世界史 p217

なんだか、ありえないほどの状況証拠。ユダヤ人が本当に日本にやってきていたのではないか? そう考えるのは妥当だ、と思えるほどの。田中は「秦氏の末裔は、神を捨てきれずに、神を隠そうとしたのかもしれない」p217という。

田中:…決して自分たちの信仰を強要することをせず、神道の中にまぎれこませたそれが非常にうまくいったわけです。…地元の人たちは、彼らの考えに、ある種の神秘的な意味を感じ、かえって尊敬を集めるということになりました。

日本とユダヤの古代史&世界史 p218

もし、そうであれば本当に不思議な、奇跡のようなマリアージュ。もしかしたら、古代にはそんな奇跡もいっぱい起きていたのかもしれない。

山伏とユダヤ教徒

 蘇我氏が去った後。前述したとおり秦氏=渡来系ユダヤ人は「政治の世界での出世は望めなかったものの、絹織物や農耕、鉱物資源、温泉の開発といった分野で、全国にわたって活躍」p208 する。そのほか田中は、

田中:秦氏は、さらに言葉もよくできるから、日本語の文字形成にも力を発揮しました。『古事記』や『日本書紀』が生まれたのも彼らのおかげでしょう。…稗田阿礼や太安万侶といった人たちも、やはり秦氏系だと見ています。
茂木:日本神話の物語の中に、ギリシア神話や『旧約聖書』の神話が混ざっているところも、その影響といえそうです。…
田中:…日本人がつくり続ける物語というものは、《皇統を守り続ける精神》と通じています。そして、日本人がその感覚をしっかりと保持している間は、彼らは一貫して日本人を助けるという形で存在する…という伝統があるようです。

日本とユダヤの古代史&世界史 p212

『古事記』や『日本書紀』は手持ちのエピソードの中から神話の枠組みに合うよう編纂された、皇統を権威づけるための物語というレヴィ=ストロースの言葉。それはこういう形で成し得たのかもしれない。

 山伏などの山岳修行にもユダヤ人たちは影響を与えていたようだ。

角笛を吹くユダヤ教徒と法螺貝を吹く山伏 世界の髪型美術館 髪型の歴史より

古墳時代の武人埴輪に続いて、角笛を吹くユダヤ教徒と法螺貝を吹く山伏もあまりに似すぎている。頭につけているテフィリンという小さな箱のようなものと、山伏の頭の頭襟(ときん)も。

田中:…あとからやって来た秦氏系の人たちの信仰スタイルは、どちらかというと、山にこもったりなどして、個人を深く探究するという形になっていきます。聖徳太子が目指した、街の中で一般の人々がゆるやかな共同体をつくる信仰というより、山伏や天狗、鬼という特異な方向の信仰に発展していきます

日本とユダヤの古代史&世界史 p212-p213

イエス=キリストは40日間荒野を彷徨った、と聖書にある。ユダヤ教にはカバラという神秘主義の伝統があり、仏教密教との類似性が指摘されてもいるようだ。またイエスはエッセネ派であったという説もある。(エッセネ派は禁欲的な共同体として活動し徹底した非暴力主義であるようだ)。ネストリウス派はイエスは人間である、と主張する一派であったという。それは、「自分たちも禁欲し修行することでイエスに近づける、イエスのようになれる」という希望をも含んだ宗派だったのではないか…これは私の妄想ではあるのだが…。

 個人の内面に向かう場を自然の中に求める思想と、縄文的な自然と共存し自然の中で生きる心性。山伏の姿はそんな出会いを彷彿とさせる。

幸せな羊太夫

 多胡羊太夫は上毛(群馬県)に生きた奈良時代初期の帰化人だ。「胡」とあるのは大陸の西方の人という意味で、まさに弓月国の地からやって来たp220。彼は朝廷から碑文まで与えられている。これを多胡碑という。不比等他、何人もの官吏の名前(署名的な)も入った立派なものだ。他にも同じような石碑が2つある。合わせて上毛三碑といい2020年にユネスコの「世界記憶遺産」に登録されている

高崎市にある多胡碑 高崎市のホームページより

 そもそも上毛国(群馬県)、下野国(栃木県)は毛野(けの・けぬ)といったという。

茂木:面白いのは、毛野に関する神話は全然なく、いきなり巨大古墳がドカンと出てくるというところです…これは私の想像ですが、この地は浅間山の噴火が激しくて、しばらくほとんど人が住んでなかったのではないかと思うんですね。古墳時代になってようやく、秦氏系の渡来人の入植があり拓かれていった土地なのではないか

日本とユダヤの古代史&世界史 p226

 日本に来た多胡羊太夫が行ったことは資源探しだ。

田中:…群馬と埼玉あたりに銅が見つかった…極めて純度の高い精錬不要の自然銅「和銅(にぎあかね)(熱銅)」でした。そこで彼らは、ヤマト政権の大納言の地位にあった藤原不比等に「これで貨幣を作りましょう」と提案します。それが受け入れられたのです。

日本とユダヤの古代史&世界史 p221

ご存知、和銅開珎(わどうかいちん)日本初の貨幣だ。正確には2番目らしいのだが。本格的に流通させようとしたのは日本初。その頃の天皇は元明天皇(第43代・女帝)。「銅の発見をお喜びになり、年号を「和銅」にあらためました(708年)」p221-p222. 年号をあらためてしまわれるほどの喜びよう。それほどきっちり根回しし色々吹き込んでいたのだろう。そして貨幣の発行。いかにもマネー主義のユダヤ人らしい発想だ。流通させるための仕組み作りや法整備も入念に行なった。だが、その試みは失敗する

茂木:貨幣は信用。交換できてなんぼですから、当時の人々は「銅のおもちゃ」なんかより実物のコメや布をくれ、と思ったのでしょうね。

日本とユダヤの古代史&世界史 p222

この価値観は現在まで続いている、と田中はいう。

田中:「一石」という一年で食べるコメの量を基準とした…単位を元に、絹、塩などの生活必需品の価格が定められていました…貨幣は独立した一つのフィクションです…日本人は…抽象的な金銭感覚になかなか魅力を持てなかったわけです。…非常に重要な日本人の価値観であり、ある意味でユダヤ的な価値を簡単に認めないということの一つの大きな証拠だと思うのです。こういった感覚は、今の日本人も保持していると思います。例えば、投資で資産運用する割合も欧米に比べ圧倒的に低い昔から変わらない日本人の一貫性といっていいでしょう…変わらない日本文化がしっかりと保持されている。

日本とユダヤの古代史&世界史 p222-p223

貨幣の流通は失敗したが、多胡羊太夫には他にもたくさんの功績がある。そうでなければなかなか碑文などもらえるものではない。本書の脚注には「焼き物や養蚕、羊、馬など新しい技術を導入」p221 したとある。

田中:…群馬を馬の大産地として整備し、日本を馬の国にしたのもおそらく羊太夫の功績でしょう。

日本とユダヤの古代史&世界史 p225

さらに多胡羊太夫に関する驚くべき話は続く。なんと江戸時代に羊太夫に関する伝承が伝聞の形ではあるが、平戸の藩主 松浦静山の随筆に残っている

茂木:…「JNRI」この蛮文、上野国なる多胡羊太夫の碑の傍より先年石槨を掘出す。其内に古銅券あり。その標題の字この如し。…
《現代語訳》先年上野の国・多胡羊太夫の碑の傍から石室を掘り出したが、その中から古銅券(銅板)が出た。その表題の字が「JINRI」となっている

日本とユダヤの古代史&世界史 p230

えええ!これは「INRI」=「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」ではないか。IとJの誤読はあるけど。

茂木:…もし本当のことであれば、羊大夫はまさにキリスト教徒、名前も迷える子羊からとったに違いないです。さらに静山は「羊太夫の墓から十字架も見つかった」と書いています
田中:…多胡氏はネストリウス派の蘇我氏とのつながりがあるでしょう…大変興味深いですね。特に古墳大国の群馬にこれがあったということは、むべなるかなという感じです。

日本とユダヤの古代史&世界史 p230-p231

古代に大活躍して碑まで建ててもらった多胡羊太夫は名前からしてキリスト教徒だった!!だが…もしかしたら、羊大夫はだんだんと心変わりをしていったかもしれない。あるいは羊太夫の次の世代、次の次の世代には、すっかり日本人に同化することになったのだろう。江戸時代には「INRI」の意味もわからず、突然の十字架の発掘にただただ驚くばかりだった。

一神教を骨抜きにする日本に住む幸せ

多胡羊太夫は、土地をもらって大喜びしただろう、と田中はいう。

茂木:「多胡碑」には大和朝廷が多胡羊大夫に「新しい郡をつくれ」と命じたことが漢文で記されています。「300戸の家で新しい郡をつくって、そこの郡司(長官)に多胡羊大夫を任命する、名前は”多胡郡にしなさい”」と書かれています。
田中:…土地をもらって、彼らは本当に大喜びしたのでしょう。この喜びが、日本に定着する要因なのです。外国人が土地をもらうなどということは他の国ではありえません…土地を持っているということこそ財産であり土地を持っている人は伝統を守っていかなければならないということです。

日本とユダヤの古代史&世界史 p229

土地を持つ喜びは日本人にとっても同じだ。いやむしろ日本人を通して、ユダヤ系秦氏、あるいはあらゆる渡来人=帰化人は学んでいったのかもしれない。
 田中は昔から日本人は、あまり容姿で差別しない民族だ、という。それはもしかしたら、縄文の昔でも、いろいろな民族が海流に乗ってこの列島にお訪れてきたからかもしれない。

田中:…日本には古来の頃より、外国の血が入ってきているのです…日本人は、あまり容姿で差別をしません。鼻が異様に高かったり、体格が大きかったり、目の色や肌の色が違ったりといった人たちが日本にいても、皆、同化させてしまいます。特に海沿いの人々などは、旅人に寛大なのです。秦氏や蘇我氏は娘を天皇に嫁がせたりなどして何とか国を変えようと試みましたが、結局、大きな変化にはなりませんでした
茂木:先生は《日本の同化力》を見くびるなといつもおっしゃっていますね。今の日本人の顔を見比べると、非常にバラエティーに富んでいることがわかります。日本人形みたいな「典型的日本人」の顔って、むしろ少ないですね。

日本とユダヤの古代史&世界史 p206

そして、稲荷神社に「INRI」(=「ユダヤの王、ナザレのイエス」)を紛れ込ませ、「唯一にして、形なく、霊あり」(=一神教的思想)と祝詞を奏上している秦氏も、活動が形式化していくという。

田中:…京都に神社が盛んに建てられるようになる7世紀あたりから、秦氏の活動は急激に形式化していきます日本化というべきでしょうか。彼らに一神教を捨てさせる力が日本にあったということです…実際に日本に来た人々には、日本は十分すぎるくらいに福音する価値のある土地だということがわかったのです…彼らの神は、自然から生まれるものではなく、観念の中から生まれますそれは言葉の神といってもよいでしょう。対して日本は《目の前にある自然がすべて神》となりますから、どうしたって考えが異なりますよね…我々はこのことをもっと意識すべきです。

日本とユダヤの古代史&世界史 p211

日本人にとって土地とはどういうものなのか、という田中の考察(洞察というべきか)で、この項を終わりにしよう。これは田中の国家観だ。一神教を骨抜きにするくらい日本に住む、というのは幸せなことなのだ…としたら日本を母国とする日本人はもっと幸せ、ということにはならないだろうか。

茂木:日本の自然豊かな国土は、日本人の誇りといっていいですよね。
田中:それと同時に土地を所有することの素晴らしさというものもあります…聖武天皇によって「墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)」も制定され(743年)、土地所有が可能になったわけです。これを機に、人々は財産としての土地を持ち始め、荘園も登場します。農民は土地を持たないにしても、そこで働くことによって収入を得ます。土地というものが所有されることによって日本の国家は安定していくのです。金銭の流通よりも、土地を耕したり、木材や生物などの資源を活用したりすることの方が大事である…というわけです…
 土地を持っているということによって、どんなことがあっても自分は生きられる、という確信があるからこそ世の中が安定するそれが日本という国家です。安定しているから革命も起きません。確固たる伝統があるからこそ、日本では革命が起きないのです。

日本とユダヤの古代史&世界史 p224


大航海時代と改宗ユダヤ人

 スペイン・ポルトガルの大航海時代。コロンブスが活躍し、日本に宣教師が来たり鉄砲がもたらされるのも、このころだ。世界の西洋化が進んだ時代、と言っていいだろう。西洋の膨張か。

改宗ユダヤ人とは

 改宗ユダヤ人について説明するためには、イベリア半島が数百年にわたってイスラム教徒によって支配されていた、というところから始めなければならない。イベリア半島は8世紀からイスラム教徒によって支配されるようになった。もちろん現地のカトリック教徒たちは黙っちゃいない。ピレネー山脈の向こう(フランス・ドイツ・イタリアなど)では十字軍が組織され、盛んにエルサレム奪還を試みている時代。時代が下るにつれピレネー山脈のこちら側(スペイン側)ではレコンキスタという国土回復運動が盛んになっていく。イスラム支配に対するキリスト教徒の反撃である。長い時を経て15世紀(1492年)にやっとカトリック教徒はイベリア半島をイスラム教徒から奪還することができた。そしてそれまではイスラム教徒たちへの対抗勢力として重用されてきたユダヤ人が、お役御免とばかりに「カトリックに改宗するかこの地を去るか選べ」と迫られることとなる(ユダヤ教徒追放令。数十万人いたユダヤ人の約半数が国外退去を選び、残り半数がコンベルソ(改宗ユダヤ人)となって国内(スペイン)に残った。厳しく差別されながらも大いなるスペイン文化の担い手となっていったコンベルソ。スペイン・ポルトガルから国外退去したユダヤ人たちはスファラディと呼ばれ地中海世界、イスタンブールなどからイギリス、オランダまで散っていく。ピレネー山脈の向こう側で十字軍などの影響で迫害を受け、ドイツやポーランド経由でロシアなどにたどり着いたユダヤ人アシュケナージと呼ばれ、この二つの系統はユダヤ人社会を二分する勢力として、違った道を歩む

*註 :世界の窓での名称はセファルディ、アシュケナジームであるが、本稿では本書の訳を採用し、スファラディアシュケナージとよぶ。wikiではアシュケナジムセファルディムと呼んでいる。

 実際のところ、スペインはコンベルソがいなければ国が回らなかっただろう。歴史系総合情報サイトである世界の窓によれば、ユダヤ人追放令を出したイザベル女王の側近にもたくさんの改宗ユダヤ人=コンベルソがいたようだ。またコロンブスなど冒険家に資金を提供したのもコンベルソの実業家たちだった。コロンブス自身もコンベルソである、という説も

茂木:ところで、コロンブス自身もユダヤ人説があるようですね。
田中:…『ユダヤ人名辞典』(東京堂出版)によると、イタリア・ジェノヴァ生まれの改宗ユダヤ人である織工の息子説と、スペイン・ポンデヴェドラ生まれの改宗ユダヤ人の息子説があり、学問的にも論争の種となっています。

日本とユダヤの古代史&世界史 p246-p247

このように王宮で重用され、経済的にも豊かで活躍するコンベルソがいる一方で、コンベルソは常に疑いの目で見られることとなり異端審問による迫害はとても厳しいものだった

大航海時代へ

 それまで住み慣れた土地を離れて大洋に乗り出す。無事故郷に帰って来れる保証もない。目的地も「多分あるだろう」ぐらいのあやふやさ。そんな中で大枚を出資するスポンサーを見つけ仲間を集め大航海に出発する。並大抵のことと思えない。一般的に言われている動機は、以下の4つである。

アジアに対する知識の拡大(13世紀のモンゴルの侵入、マルコ=ポーロなど)
・羅針盤・快速帆船・緯度航法など、遠洋航海術の発達
・肉食の普及にともなう香辛料の需要の増大とオスマン帝国による妨害
レコンキスタが進行して、キリスト教布教熱が高まっていたこと

世界史の窓 大航海時代 大航海時代の要因より抜粋 

レコンキスタが終わり大勢のユダヤ教徒がスファラディとなって、イスタンブールなど中東世界に移住したのは前述の通り。それまでイタリア商人を介して入手してきた香辛料はオスマン帝国の台頭によって入手困難になってきた。これってもしかしたら「スルタン様、香辛料は儲かります。ヨーロッパの奴らに一泡吹かせましょう」と進言したスファラディが大勢いたから??かもしれない。こんなふうに玉突き的に事象の因果に妄想を巡らせるのも歴史の楽しみのひとつである。迫害され追放されて世界を放浪せざるを得なかったユダヤ人に着目することで、見えなかった糸=因果がたくさん見えてくる可能性があるのではないだろうか。

レコンキスタが終わっても、外に向かう宗教的な情熱や野心は止まないままだった。茂木はいう。

茂木:この時代、スペインと世界を2分していたのがポルトガルという国です…このポルトガル船が運んできたのが、鉄砲と宣教師でした。当時のカトリック教会は…全世界のカトリック化を計画していました。その先兵となったのがイエズス会とフランシスコ会です。イエズス会はポルトガル勢力圏フランシスコ会はスペイン勢力圏で布教しました日本はポルトガル勢力圏とされ、やってきたのはイエズス会の方です

日本とユダヤの古代史&世界史 p249

田中はこれが世界の経済グローバリズムの先鞭となったと言っている。

田中:イエズス会というのは、キリスト教のグローバル化と共に、世界の経済的グローバリズムの先鞭をつけました…彼らの活動が完全に植民地支配に結びついたわけです。これがよくなかった。彼らが持ち込んだ疫病で、ほとんどの国の人口が減少しました。また同時に、地元の住民たちが完全にキリスト教化して、搾取され、奴隷のように扱われた西洋資本主義を成立させた要因です。

日本とユダヤの古代史&世界史 p249-p250

一方日本では、国のトップである秀吉や家康がその野望を阻止する。田中はいう。日本は反グローバリズムの拠点だと。少なくとも一部のユダヤ人からはそう思われている、と。

田中:日本では、秀吉や家康が彼らの策略に気づき、彼らを撃退したので、植民地になることはなかった。だからこそ、日本の文化、伝統、あるいは天皇を守ることができた日本がある種の《反グローバリズムの拠点》という認識があるのは、こういったところにも現れています。

日本とユダヤの古代史&世界史 p250

ザビエルも改宗ユダヤ人!?

私たちがよく知るフランシスコ・ザビエルにもコンベルソ説があるという。

茂木:イエズス会の創始者イグナティウス・デ・ロヨヲとフランシスコ・ザビエルは…バスク地方の貴族の出ですが、改宗ユダヤ人説があるのですか?
田中:ロヨヲの母方…周りの人間は、ほとんどがコンベルソ商人だったそうです…ロヨヲ本人にもコンベルソ説があるようですが…そもそもユダヤ人かどうかっていうのを彼らは…
茂木:隠しますからね。下手すれば火あぶりですから。
田中:…未知の土地へ行く勇気や覚悟というのは、当然ユダヤ人にしか持ち得ないものです。故国がないから、帰る場所がないから、必ず結果を出して財産を作らなくてはいけないユダヤ人とはそういう立場なのです…平気で見知らぬ土地で暮らすし、同化に躊躇しない

日本とユダヤの古代史&世界史 p250-p251

支倉使節団と宣教師ソテロ

 1613年という微妙な時期に伊達政宗によって慶長遣欧使節団が組織され派遣される。世はすでに徳川の御世だ。1614年にはキリスト教禁止令も出されている。島原の乱(1637年)は、まだ起きていない。政宗の娘は確かキリシタンで当時は半ば幽閉のような形で城に居住していたはずだ。政宗自身はキリシタンに悪い印象は持っていなかったのかもしれない。

宮城県慶長使節船ミュージアム サン・ファン館より サン・ファン・バウティスタ号航海図

 航路を見ると日本からの船は2回出ているが、使節団としては1回のようだ。ノビスパニア(メキシコ)経由でスペイン・ローマまで行き、スペイン国王に面会し、ローマ教皇にも謁見している。またキリシタンの仙台藩藩士や水夫をスペインに置いてきている。日本での弾圧のことを思えば、それが彼らの望みでもあったのだろう。子孫はハポン姓(日本)を名乗っているという。
 この道案内をしたソテロという宣教師ついて田中は、

田中:ところがソテロがはっきりと「セビリア(スペイン)のユダヤ人だった」という研究が出てきたのです。これは意外と最近のことです…まさにコンベルソだったという可能性が大きいスペイン国王、ローマ教皇、伊達政宗、あるいは徳川家康という一国のトップと折衝ができるというのは…まさにユダヤ人にしかできない当時最新鋭のスペインと同じレベルの船…その技術を教えたのもソテロだろうとみています。…
茂木:なるほど…ソテロは一種のスパイであり、諜報活動家だった

日本とユダヤの古代史&世界史 p253-p254

ソテロには秘密裏の計画があったのでは、と田中はいう。

田中:「伊達政宗は、徳川に成り代わって日本を統治するという野心を抱き、スペインと直接交渉をした」という説があります…イエズス会もフランシスコ会も、最終的な目的は、日本を支配・占領するということ…ローマ教皇に出した手紙にも「伊達政宗は次の皇帝だ」と…示唆しています。しかし、結局そうはならなかった…伊達政宗にはそんな野心はなく、日本を我が物にしようという気持ちなどなかったのです。

日本とユダヤの古代史&世界史 p255

支倉たちはマニラ経由で仙台まで帰るが、ソテロはマニラに残る。政宗は「ソテロの処遇をどうするか」徳川重臣に判断を仰ぐ。待ちきれないソテロはマニラから薩摩まで密航し捕まってしまう。政宗らも助命嘆願に動くが結局火あぶりの刑となる。

田中:西洋人というのは対立すれば必ず、「相手を倒して自分が天下を獲るのだ」という考え方があるものです。ユダヤ人たちは、いつもそれをうまく利用しようとするソテロも最後は…日本まで戻ってくるのですが、スペインやイタリアより、日本に住みたいという欲求があったとも取れるわけです。…日本に宣教師が居着いてしまう現象もありました。そしてキリスト教を棄教して日本人になる…そういう人も多いのです。そこがまさに古代の秦氏と近いな…という感覚を私は持っています。

日本とユダヤの古代史&世界史 p255-p256

ソテロは慶長の大地震と大津波も体験している。地震の規模については諸説あるようだが、現代の人々が東日本大震災の時の東北の人々の様子に感じるものがあったように、ソテロにも感じることがあったかもしれない。あるいはそれまでの日本での布教の過程で。身の危険を冒してまでも日本に戻りたい、と思わせる何かを。

日本に渡来したキリスト教徒たち:古代と近世

 戻る必要のない日本に戻り、火あぶりとなったソテロの悲劇と、マネーの流通にこそ失敗したが、土地をもらって幸せに誇らしく晩年を過ごした多胡羊大夫。
 地球上のすべての人々に牙をむくグローバリズムの先兵となった宣教師たちと、そんな牙はもともと要らなかったのだと牙を放棄した古代の渡来人=帰化人たち。どちらが幸せだったのだろうか。

 そして私たちは…そんなふうに自然に幸せとなるような国土に生まれたことに感謝し、そういう国土を守れているだろうか? そういう国民性を守れているだろうか?



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おまけ:さらに見識を広げたり知識を深めたい方のために

ちょっと検索して気持ちに引っかかったものを載せてみます。
私もまだ読んでいない本もありますが、もしお役に立つようであればご参考までに。

昭和の少女漫画、日本史部門の金字塔。でも絵柄もステキで色褪せない。漫画家 山岸涼子。大人買い!? 元祖BL!?

こちらも昭和の本。これで聖徳太子のことを知った。法隆寺は太子の魂を閉じ込める装置で鎮魂の寺だ、と。この本での太子暗殺説の首謀者は中臣鎌足。夢殿の秘仏 救世観音菩薩アルカイックスマイルがなんか、怖かった。今見ると何でもないんだけどね。

支倉使節団のスペインに残った人々の話のようです。

2013年当時の皇太子さま(現天皇陛下)がハポン(日本)姓の人々と懇談した。支倉日本スペイン協会の人々。「日本という姓を持つことができて非常に幸せ。本当に誇りに思っている」。そう思ってくださっていることがうれしい。スペインの地で幸せに暮らすことができたからこそ、の発言でしょうから。

ワーナーブラザーズが作ったスペイン語のドラマ。日本の皇室の時期天皇候補としてスペインのハポン(日本)姓の人が選ばれる、というファンタジー。なんか面白そう。だけど日本語字幕版は流石に制作されないんだろうなぁ。

私めが学校に通っていた頃は、和銅開珎を「わどうかいほう」と読んでいました。今はまちまちだけど、「わどうかいちん」が多くなっているようですね。

ちょっと毛色は変わっているかもしれないが、田中の説く土地所有の素晴らしさが揺らぐような事態が起きている。土地を確定するためには測量が必要だが…それには所有者の同意が取れている必要がある。相続による土地所有者の変遷、所有者の移転により所有者に連絡がつかないなどで、実質的に売買ができない土地が問題になりつつあるのだ。公図混乱地域というそうだ。
相続などによって、所有者が何人もいる田んぼもあると聞いている。将来世代への禍根とならなければいいのだが。


茂木誠のyoutubeチャンネル

田中英道のyoutubeチャンネル


wikiによると、田中英道のyoutube番組で面白そうなのは、コレらしい。


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