【読書】日本とユダヤの古代史&世界史 その3
出版情報
著者:茂木 誠、田中 英道
出版社 : ワニブックス (2023/6/9)
単行本 : 304ページ
本稿の構成
本稿は下記のような一連のシリーズの3. ユダヤ人と日本人の関わり キリスト教関連です。
ユダヤ人と日本人の関わり
ユダヤ人と日本人の関わり キリスト教関連
古代日本にユダヤ人が来ていた!そのうち第5波
大航海時代と改宗ユダヤ人
著者のひとりである田中英道の方法論 フォルモロジー(形象学)に関しては、2-1 古代日本にユダヤ人が来ていた!そのうち第1波〜第2波まで に記載しています。
ユダヤ人と古代日本人との関わり
田中は古代ユダヤ人は5波に分かれてきたという。
第1波 前13世紀 出エジプト|縄文時代・日高見国・スサノオ
第2波 前722年以降 アッシリア捕囚と失われた10支族|日本建国
第3波 前3〜2世紀 秦の始皇帝・徐福と3千人|秦氏各地に渡来
第4波 3〜4世紀 弓月国から秦氏2万人|応神天皇が受け入れ
第5波 431年以降 エフェソス公会議・ネストリウス派|蘇我氏
このうち本稿では第5波を扱う。
また、本稿ではキリスト教つながりとして本書 第6章にある戦国時代にきたキリスト教宣教師についても扱う。彼らは実は改宗ユダヤだったのだ!
第5波 ネストリウス派の蘇我氏
蘇我氏の野望と聖徳太子
田中史観によれば、蘇我氏はキリスト教ネストリウス派のユダヤだという。蘇我馬子のお爺さんは蘇我高麗という名だし、馬子自身、大陸とのつながりが強く、高校の教科書などにも仏教推進派だったとある。蘇我氏は渡来人系だろう。なので、まあ蘇我氏ネストリウス派ユダヤ説はなんとか受け入れよう。だが次の説には驚かざるを得ない。
そして聖徳太子の『厩戸皇子』という名前にも、蘇我氏の『”自らの宗派のキリスト教”を広めたい』という野望が秘められているという。茂木はいう。
これは蘇我氏が意図的に作り出したエピソードだというのだ。意図的に聖徳太子を日本のキリストにしようとした!
蘇我馬子と聖徳太子の年齢差は23歳。何人もいる太子の妃の一人は馬子の娘だ。いくら才能のある若者とはいえ、馬子は天皇(崇峻天皇)すら弑虐する男だ、若造のひとりくらい取り込むのは容易だと思っていただろう。いや才能のある男だからこそ、取り込みたかったはずだ。だが、
そして蘇我氏は使い用のなくなった聖徳太子を暗殺する。記録としては『病で薨去』となっているが、その前日には馬子の娘とは別の妃が亡くなっているp195。しかも太子に対して殯(もがり)も行われなかったp199。これは暗殺された崇峻天皇と同じ扱いだ。その後の太子の子孫たちの運命を見ても暗殺説には一定の信憑性は、あると思われる。
そして、乙巳の変、大化の改新へと続いていく。
それ以降、有力豪族が皇室に対してテロを企てるという物騒なことはなくなる。「太子の意志を引き継いだ人たちが日本を統治することとなり、聖徳太子信仰はずっと続いて残っていくのです」p203
日本最大のテロリストが千年以上前の人。日本は大陸などとはだいぶ違う歴史を持っている。
秦氏による神社創建:神明神社と明神神社
蘇我氏なき後、有力な渡来人勢力は秦氏とその周縁の一族ということになった。秦氏=渡来系ユダヤ人は「政治の世界での出世は望めなかったものの、絹織物や農耕、鉱物資源、温泉の開発といった分野で、全国にわたって活躍」p208する。
そのかたわら、仏教の隆盛と呼応するように神社が建造され、祭祀が整備されていった。当時の先進国、隋や唐で鎮護国家のために信仰された仏教がある種のグローバルスタンダードとして扱われた。一方で日本が国家として独立を貫くためには、独自の文化があることも自覚され強調してする必要があったのかもしれない。そのために神社という建物、その中での祭祀も整えられていったのではないだろうか。webで検索した程度では、総体としての『神社の起源』がどういうものだったのか、がはっきりわからない。田中はいう。
神社の社が作られ祭祀が整えられて行く。そこにも秦氏たちが果たした役割が大きかったのでは、と田中は言っている。
神社に必ずある鳥居。鳥居には素朴でシンプルな《高天原系の神明鳥居(しんめいとりい)》と赤くてゴージャスな《秦氏系の明神鳥居(みょうじんとりい)》がある。伊勢神宮などは神明鳥居だそうだ。秦氏系の神社は八幡神社や稲荷神社だ。八幡神社の主祭神は応神天皇、そのほかよく祀られているのは神功皇后、仲哀天皇、仁徳天皇だそうで、それぞれ応神天皇のお母さん、お父さん、お子さんだ。プラス名前はいろいろに変わるが奥さまが祀られている。このご一家に秦氏は頭があがらない、というところなのだろう。何しろ応神天皇は弓月国から2万人もの難民を受け入れたのだから。稲荷神社の主祭神はウカノミタマ。五穀をつかさどる神だという。
明神系鳥居の赤はユダヤ教にちなんだ羊の血の色だという説や、イエス=
キリストの血の色だという説があると本書では紹介されている。さらに
なんだか、ありえないほどの状況証拠。ユダヤ人が本当に日本にやってきていたのではないか? そう考えるのは妥当だ、と思えるほどの。田中は「秦氏の末裔は、神を捨てきれずに、神を隠そうとしたのかもしれない」p217という。
もし、そうであれば本当に不思議な、奇跡のようなマリアージュ。もしかしたら、古代にはそんな奇跡もいっぱい起きていたのかもしれない。
山伏とユダヤ教徒
蘇我氏が去った後。前述したとおり秦氏=渡来系ユダヤ人は「政治の世界での出世は望めなかったものの、絹織物や農耕、鉱物資源、温泉の開発といった分野で、全国にわたって活躍」p208 する。そのほか田中は、
『古事記』や『日本書紀』は手持ちのエピソードの中から神話の枠組みに合うよう編纂された、皇統を権威づけるための物語というレヴィ=ストロースの言葉。それはこういう形で成し得たのかもしれない。
山伏などの山岳修行にもユダヤ人たちは影響を与えていたようだ。
古墳時代の武人埴輪に続いて、角笛を吹くユダヤ教徒と法螺貝を吹く山伏もあまりに似すぎている。頭につけているテフィリンという小さな箱のようなものと、山伏の頭の頭襟(ときん)も。
イエス=キリストは40日間荒野を彷徨った、と聖書にある。ユダヤ教にはカバラという神秘主義の伝統があり、仏教の密教との類似性が指摘されてもいるようだ。またイエスはエッセネ派であったという説もある。(エッセネ派は禁欲的な共同体として活動し徹底した非暴力主義であるようだ)。ネストリウス派はイエスは人間である、と主張する一派であったという。それは、「自分たちも禁欲し修行することでイエスに近づける、イエスのようになれる」という希望をも含んだ宗派だったのではないか…これは私の妄想ではあるのだが…。
個人の内面に向かう場を自然の中に求める思想と、縄文的な自然と共存し自然の中で生きる心性。山伏の姿はそんな出会いを彷彿とさせる。
幸せな羊太夫
多胡羊太夫は上毛(群馬県)に生きた奈良時代初期の帰化人だ。「胡」とあるのは大陸の西方の人という意味で、まさに弓月国の地からやって来たp220。彼は朝廷から碑文まで与えられている。これを多胡碑という。不比等他、何人もの官吏の名前(署名的な)も入った立派なものだ。他にも同じような石碑が2つある。合わせて上毛三碑といい2020年にユネスコの「世界記憶遺産」に登録されている。
そもそも上毛国(群馬県)、下野国(栃木県)は毛野(けの・けぬ)といったという。
日本に来た多胡羊太夫が行ったことは資源探しだ。
ご存知、和銅開珎(わどうかいちん)。日本初の貨幣だ。正確には2番目らしいのだが。本格的に流通させようとしたのは日本初。その頃の天皇は元明天皇(第43代・女帝)。「銅の発見をお喜びになり、年号を「和銅」にあらためました(708年)」p221-p222. 年号をあらためてしまわれるほどの喜びよう。それほどきっちり根回しし色々吹き込んでいたのだろう。そして貨幣の発行。いかにもマネー主義のユダヤ人らしい発想だ。流通させるための仕組み作りや法整備も入念に行なった。だが、その試みは失敗する。
この価値観は現在まで続いている、と田中はいう。
貨幣の流通は失敗したが、多胡羊太夫には他にもたくさんの功績がある。そうでなければなかなか碑文などもらえるものではない。本書の脚注には「焼き物や養蚕、羊、馬など新しい技術を導入」p221 したとある。
さらに多胡羊太夫に関する驚くべき話は続く。なんと江戸時代に羊太夫に関する伝承が伝聞の形ではあるが、平戸の藩主 松浦静山の随筆に残っている。
えええ!これは「INRI」=「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」ではないか。IとJの誤読はあるけど。
古代に大活躍して碑まで建ててもらった多胡羊太夫は名前からしてキリスト教徒だった!!だが…もしかしたら、羊大夫はだんだんと心変わりをしていったかもしれない。あるいは羊太夫の次の世代、次の次の世代には、すっかり日本人に同化することになったのだろう。江戸時代には「INRI」の意味もわからず、突然の十字架の発掘にただただ驚くばかりだった。
一神教を骨抜きにする日本に住む幸せ
多胡羊太夫は、土地をもらって大喜びしただろう、と田中はいう。
土地を持つ喜びは日本人にとっても同じだ。いやむしろ日本人を通して、ユダヤ系秦氏、あるいはあらゆる渡来人=帰化人は学んでいったのかもしれない。
田中は昔から日本人は、あまり容姿で差別しない民族だ、という。それはもしかしたら、縄文の昔でも、いろいろな民族が海流に乗ってこの列島にお訪れてきたからかもしれない。
そして、稲荷神社に「INRI」(=「ユダヤの王、ナザレのイエス」)を紛れ込ませ、「唯一にして、形なく、霊あり」(=一神教的思想)と祝詞を奏上している秦氏も、活動が形式化していくという。
日本人にとって土地とはどういうものなのか、という田中の考察(洞察というべきか)で、この項を終わりにしよう。これは田中の国家観だ。一神教を骨抜きにするくらい日本に住む、というのは幸せなことなのだ…としたら日本を母国とする日本人はもっと幸せ、ということにはならないだろうか。
大航海時代と改宗ユダヤ人
スペイン・ポルトガルの大航海時代。コロンブスが活躍し、日本に宣教師が来たり鉄砲がもたらされるのも、このころだ。世界の西洋化が進んだ時代、と言っていいだろう。西洋の膨張か。
改宗ユダヤ人とは
改宗ユダヤ人について説明するためには、イベリア半島が数百年にわたってイスラム教徒によって支配されていた、というところから始めなければならない。イベリア半島は8世紀からイスラム教徒によって支配されるようになった。もちろん現地のカトリック教徒たちは黙っちゃいない。ピレネー山脈の向こう(フランス・ドイツ・イタリアなど)では十字軍が組織され、盛んにエルサレム奪還を試みている時代。時代が下るにつれピレネー山脈のこちら側(スペイン側)ではレコンキスタという国土回復運動が盛んになっていく。イスラム支配に対するキリスト教徒の反撃である。長い時を経て15世紀(1492年)にやっとカトリック教徒はイベリア半島をイスラム教徒から奪還することができた。そしてそれまではイスラム教徒たちへの対抗勢力として重用されてきたユダヤ人が、お役御免とばかりに「カトリックに改宗するかこの地を去るか選べ」と迫られることとなる(ユダヤ教徒追放令)。数十万人いたユダヤ人の約半数が国外退去を選び、残り半数がコンベルソ(改宗ユダヤ人)となって国内(スペイン)に残った。厳しく差別されながらも大いなるスペイン文化の担い手となっていったコンベルソ。スペイン・ポルトガルから国外退去したユダヤ人たちはスファラディと呼ばれ地中海世界、イスタンブールなどからイギリス、オランダまで散っていく。ピレネー山脈の向こう側で十字軍などの影響で迫害を受け、ドイツやポーランド経由でロシアなどにたどり着いたユダヤ人はアシュケナージと呼ばれ、この二つの系統はユダヤ人社会を二分する勢力として、違った道を歩む。
*註 :世界の窓での名称はセファルディ、アシュケナジームであるが、本稿では本書の訳を採用し、スファラディ、アシュケナージとよぶ。wikiではアシュケナジム、セファルディムと呼んでいる。
実際のところ、スペインはコンベルソがいなければ国が回らなかっただろう。歴史系総合情報サイトである世界の窓によれば、ユダヤ人追放令を出したイザベル女王の側近にもたくさんの改宗ユダヤ人=コンベルソがいたようだ。またコロンブスなど冒険家に資金を提供したのもコンベルソの実業家たちだった。コロンブス自身もコンベルソである、という説も。
このように王宮で重用され、経済的にも豊かで活躍するコンベルソがいる一方で、コンベルソは常に疑いの目で見られることとなり異端審問による迫害はとても厳しいものだった。
大航海時代へ
それまで住み慣れた土地を離れて大洋に乗り出す。無事故郷に帰って来れる保証もない。目的地も「多分あるだろう」ぐらいのあやふやさ。そんな中で大枚を出資するスポンサーを見つけ仲間を集め大航海に出発する。並大抵のことと思えない。一般的に言われている動機は、以下の4つである。
レコンキスタが終わり大勢のユダヤ教徒がスファラディとなって、イスタンブールなど中東世界に移住したのは前述の通り。それまでイタリア商人を介して入手してきた香辛料はオスマン帝国の台頭によって入手困難になってきた。これってもしかしたら「スルタン様、香辛料は儲かります。ヨーロッパの奴らに一泡吹かせましょう」と進言したスファラディが大勢いたから??かもしれない。こんなふうに玉突き的に事象の因果に妄想を巡らせるのも歴史の楽しみのひとつである。迫害され追放されて世界を放浪せざるを得なかったユダヤ人に着目することで、見えなかった糸=因果がたくさん見えてくる可能性があるのではないだろうか。
レコンキスタが終わっても、外に向かう宗教的な情熱や野心は止まないままだった。茂木はいう。
田中はこれが世界の経済グローバリズムの先鞭となったと言っている。
一方日本では、国のトップである秀吉や家康がその野望を阻止する。田中はいう。日本は反グローバリズムの拠点だと。少なくとも一部のユダヤ人からはそう思われている、と。
ザビエルも改宗ユダヤ人!?
私たちがよく知るフランシスコ・ザビエルにもコンベルソ説があるという。
支倉使節団と宣教師ソテロ
1613年という微妙な時期に、伊達政宗によって慶長遣欧使節団が組織され派遣される。世はすでに徳川の御世だ。1614年にはキリスト教禁止令も出されている。島原の乱(1637年)は、まだ起きていない。政宗の娘は確かキリシタンで当時は半ば幽閉のような形で城に居住していたはずだ。政宗自身はキリシタンに悪い印象は持っていなかったのかもしれない。
航路を見ると日本からの船は2回出ているが、使節団としては1回のようだ。ノビスパニア(メキシコ)経由でスペイン・ローマまで行き、スペイン国王に面会し、ローマ教皇にも謁見している。またキリシタンの仙台藩藩士や水夫をスペインに置いてきている。日本での弾圧のことを思えば、それが彼らの望みでもあったのだろう。子孫はハポン姓(日本)を名乗っているという。
この道案内をしたソテロという宣教師について田中は、
ソテロには秘密裏の計画があったのでは、と田中はいう。
支倉たちはマニラ経由で仙台まで帰るが、ソテロはマニラに残る。政宗は「ソテロの処遇をどうするか」徳川重臣に判断を仰ぐ。待ちきれないソテロはマニラから薩摩まで密航し捕まってしまう。政宗らも助命嘆願に動くが結局火あぶりの刑となる。
ソテロは慶長の大地震と大津波も体験している。地震の規模については諸説あるようだが、現代の人々が東日本大震災の時の東北の人々の様子に感じるものがあったように、ソテロにも感じることがあったかもしれない。あるいはそれまでの日本での布教の過程で。身の危険を冒してまでも日本に戻りたい、と思わせる何かを。
日本に渡来したキリスト教徒たち:古代と近世
戻る必要のない日本に戻り、火あぶりとなったソテロの悲劇と、マネーの流通にこそ失敗したが、土地をもらって幸せに誇らしく晩年を過ごした多胡羊大夫。
地球上のすべての人々に牙をむくグローバリズムの先兵となった宣教師たちと、そんな牙はもともと要らなかったのだと牙を放棄した古代の渡来人=帰化人たち。どちらが幸せだったのだろうか。
そして私たちは…そんなふうに自然に幸せとなるような国土に生まれたことに感謝し、そういう国土を守れているだろうか? そういう国民性を守れているだろうか?
引用内、引用外に関わらず、太字、並字の区別は、本稿作者がつけました。
文中数字については、引用内、引用外に関わらず、漢数字、ローマ数字は、その時々で読みやすいと判断した方を本稿作者の判断で使用しています。本文内『「」pページ』の「」中は、pページ内文章をそのまま記述していることもありますし、pページ内に記述されている重要部分を本稿作者により要約していることがあります。
おまけ:さらに見識を広げたり知識を深めたい方のために
ちょっと検索して気持ちに引っかかったものを載せてみます。
私もまだ読んでいない本もありますが、もしお役に立つようであればご参考までに。
昭和の少女漫画、日本史部門の金字塔。でも絵柄もステキで色褪せない。漫画家 山岸涼子。大人買い!? 元祖BL!?
こちらも昭和の本。これで聖徳太子のことを知った。法隆寺は太子の魂を閉じ込める装置で鎮魂の寺だ、と。この本での太子暗殺説の首謀者は中臣鎌足。夢殿の秘仏 救世観音菩薩のアルカイックスマイルがなんか、怖かった。今見ると何でもないんだけどね。
支倉使節団のスペインに残った人々の話のようです。
2013年当時の皇太子さま(現天皇陛下)がハポン(日本)姓の人々と懇談した。支倉日本スペイン協会の人々。「日本という姓を持つことができて非常に幸せ。本当に誇りに思っている」。そう思ってくださっていることがうれしい。スペインの地で幸せに暮らすことができたからこそ、の発言でしょうから。
ワーナーブラザーズが作ったスペイン語のドラマ。日本の皇室の時期天皇候補としてスペインのハポン(日本)姓の人が選ばれる、というファンタジー。なんか面白そう。だけど日本語字幕版は流石に制作されないんだろうなぁ。
私めが学校に通っていた頃は、和銅開珎を「わどうかいほう」と読んでいました。今はまちまちだけど、「わどうかいちん」が多くなっているようですね。
ちょっと毛色は変わっているかもしれないが、田中の説く土地所有の素晴らしさが揺らぐような事態が起きている。土地を確定するためには測量が必要だが…それには所有者の同意が取れている必要がある。相続による土地所有者の変遷、所有者の移転により所有者に連絡がつかないなどで、実質的に売買ができない土地が問題になりつつあるのだ。公図混乱地域というそうだ。
相続などによって、所有者が何人もいる田んぼもあると聞いている。将来世代への禍根とならなければいいのだが。
茂木誠のyoutubeチャンネル
田中英道のyoutubeチャンネル
wikiによると、田中英道のyoutube番組で面白そうなのは、コレらしい。
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