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#私なりの生きづらさ論

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私の脳内にある生きづらさ論を文面に投下したものです。
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#考えたこと

我慢・強がり・見えない生きづらさ #私なりの生きづらさ論

我慢・強がり・見えない生きづらさ #私なりの生きづらさ論

※こちら深夜の連投ツイートをまとめたものです。

強がりをとっぱらい、言動の奥の願望を知る必要がある話。不登校について語る時に、「行きたいけど行けない」「行かないから行かない」って子ども達がいるという話をする。

また、「行きたかったけど、諦めて行かない選択をした」子も含まれて、全てが別物であるとも話をする。

これはどんな言動でも言える話で、例えば人を頼ることだったり、助けを求めることだったりで

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「幸せだ」そう言える人生は美しい。

「幸せだ」そう言える人生は美しい。

この記事は卒業式が終わった翌日に書きました。ブログにはN高のことは書きませんでした。

N高生として卒業について、卒業式について書きません。それらは、きっとただの節目に過ぎず、何も変わることはないから。

今回は、生き方について。

「逃げ」はれっきとした選択肢。学校を辞める
仕事を辞める
休学する
長期休暇をとる
引きこもる
ニートになる

こういった選択をすると、周りはこう言います。

「逃げ

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お風呂か、温泉か。#私なりの生きづらさ論

お風呂か、温泉か。#私なりの生きづらさ論

このお風呂か、温泉かって言うのは、私にとって、「他者による自己肯定」であるか「自分による自己肯定」であるかという話です。

自己肯定の形は大きく分けて、2つあると思っています。

1つ目は、誰かの物差しではかる自己肯定。

これは、先ほどのマウンティングだったり、テストの順位だったりする、誰かからの評価を元に自己肯定する方法。

2つ目は、自分の物差しではかる自己肯定。

これは、誰かがどうだとか

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私たちは幸せに生きる権利がある。

私たちは幸せに生きる権利がある。

私たちは幸せに生きる権利がある。

2年半前に書いたこと、今でも思い返します。この記事があったから大学で人権を考えようと思ったのかもしれません。

幸せか不幸かは自分が決める
最近あちこちで見かけます。# 不登校は不幸じゃないってやつ。

この取り組みすごく好きです。社会全体が不登校の今を知ってもらえる、学校に行かないが当たり前の選択肢としてある未来になるきっかけになる良い試みだと思います。

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後天的な器用、人間的な不器用。

後天的な器用、人間的な不器用。

私の精神衛生の悪さがピークに達したときに、必ず吐き捨てるセリフがある。
「もっと頭悪く、人に頼らざるを得ない人間に生まれたかった。」

このセリフだけを聞くと反感を買う可能性が高いが、正直私は頭が良いと思っているわけではない。いや、そうではなくって。
セリフをわかりやすく訳すと、
「人に頼りたいのに、頼る前に自分で丸め込むなどして解決してしまう無駄な要領の良さが生きづらい。」
ということを言いたい

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