⭐️友だちはいいな、友だちといれば、心が落ち着くの……【Oちゃん】
拝読したら、ふと思い出した彼女との時間
折角だからここにアーカイブ
そうすれば、いつでも彼女に会うことができる
心の抽斗にはしまってあるんだけどね
#花咲ありす様 ⤵️
友だち•親友のことについては殆ど書いてない
だって居ないし、要らないから
こんなことを書くと「又そんなことを言って‼︎」という声が聞こえそう
きっと「友だち」や「親友」っていう肩書きの範囲が、私には解っていないのだと思う
友だちについて書いたのはこちら⤵️
作中にも書いたけれど、どなたかこの歌をご存知ではありませんか?
※コメント参照
※母校ではありません⤵️
小1で同じクラスになった
幼稚園は別だったのかな?
このときが「初めまして」
馴れ初めなんかは全く覚えてない
家も出席番号も背の順も離れている
お姉さんがいらして、思ったことを口にできる積極的なOちゃん
私は多分、引っ込み思案でどちらかというと人見知りだったような気がする
共通点はどこだ?
Oちゃんに「守ってあげたい」と思わせちゃったか?
お誕生会に呼ばれた
少食だった私には考えられない量のサンドイッチが出てきて四苦八苦
漸く食べ終えたら、未だケーキが出ると言う
お腹が破裂するかと思った
このときに覚えたキャベツとコンビーフのサンドイッチは、後年自分で作ってみた
さぞかし美味しいと思ったんだろうね
ホームこたつの座卓を隠れ家に見立てて遊んだり、再放送のテレビアニメを観たり、お姉さんの漫画を読んだり散々遊んで、薄暗い夕方の道を帰った
他に誰が招待されていたのかは思い出せない
まるでOちゃんと私にだけライトが当たっている二人芝居のよう
私の学年のクラス替えは変則的だった
1年、2•3年、4年、5•6年
児童数?教師の配置の都合?
3年と6年だけは持ち上がりだったけど、何故だか私のクラスは毎年担任が変わった(産休などの理由で)
余談だけど、幼稚園には1年しか行かなかったのに、途中で先生が変わった(前担任の夫様が市議選に立候補されたから)ので2名の担任が居た
今でも全員の先生のお名前を言える
何の役にも立たないけれど
3年生のときOちゃんと一緒に写ってる遠足の写真が実家にあったけど、Oちゃんとはそんなにベタベタとくっつき合っていた訳ではないみたい
KさんがSさんに虐められたとき「ちゃりれれさんみたいな人をKさんの親友と言うのですよ‼︎」と担任の先生がSさんに言うのを聞いて「へぇ〜、私ってKさんの親友だったの?」と思ったことがあった
そう言えば、Kさんのバレエの発表会を観に行ったな
学校から帰ったら、何故だか凄くヤンチャな男の子が遊ぼうと待ち構えていることもあったしね
因みにKさんとは、今も年賀状のやり取りが続いている
6年生の音楽の時間
音楽室でOちゃんと隣同士に座っていて、ほぼ同時にトイレに行きたくなった
行きたい波は、引いては返しながら切羽詰まってきた
2人なら恥ずかしくないと「先生、トイレに行かせて下さい」と思い切って言ったら「休み時間があったでしょう
今は授業中です、我慢しなさい」
それはそうなんだけどね
今なら「人権侵害」って言われるよ
前の授業が長引いたのか?音楽室への移動に時間がかかったのか?遊びに夢中でトイレに行きそびれたのか?これくらいなら保つと根拠のない自信があったのか?今となっては判らないけれど、Oちゃんも私も「意地悪な先生」と刷り込んだ
合唱コンクールの楽曲を決めるとき、「○○先生(担任)のクラスなら『気球に乗ってどこまでも』がいいんじゃない?○○先生がお好きだから」と意地悪先生が言った、知らんがな……
採用はされなかったけれど、「○○先生なら」って何だろう?と私の中に疑問が残った
私達が卒業した後で、○○先生と意地悪先生がご結婚されたことを知り、「ははぁ〜ん」と腑に落ちた
在学中は噂にもなってなかったから、お上手にお付き合いされていたのね
実はOちゃんとは一緒に卒業していない
前日まで休んでいたOちゃんが○○先生に連れられて教室に入ってきたと思ったら「お家のご都合で急に転校することになった」と帰って行った
それは予期せぬ突然のお別れだった
中学•高校の頃にはOちゃんが時々便りをくれて、繋ぎ合わせるとOちゃんのご事情が判ってきた
ご両親が離婚されお姉様とご一緒にお母様のご実家に住まわれていること
お母様は恐らく郷里では旧家のお嬢様であること
お姉様もOちゃんも私立のミッション系名門一貫校に通っていること
お父様はお一人で、私達が誕生会でお邪魔したお家で生活されていること
高校生のある日、私の知らないイントネーションでOちゃんが電話をかけてきた
修学旅行でこちらの方面に来てるから会おうって‼︎
そんなことしていいのっ⁇
どういうカラクリか、Oちゃんは本当に我が家にやって来た
支店があったコロンバンで買ったケーキを一緒に食べて、知らないイントネーションのOちゃんと喋った
その後も1回会ったかな?
未だ食べたことがないのだけど、間違いなく美味しいと思う🤤⤵️
私が結婚しても、子どもが生まれても、転居しても、郵便のお付き合いは続いた
あるときはお母様のご実家から、スコットランドから、イギリスから、またスコットランドから
そして北海道で酪農をしているからと、スモークチキンやスモークエッグやアスパラガス等を時々送ってきた
クリスマスにいかがですか?⤵️
生食したときの自然な甘さと香りが忘れられない
※発送時期にご注意下さい⤵️
一人暮らしのお父様ががんに罹患され、Oちゃんが1人で住み込んで支えたと聞いた
私が未だ実家住まいならOちゃんに度々会うことができるのにと思っているうちに、お父様が亡くなられた
お家は直ぐに片付けられてしまった
ある年「さる先生に診てもらって名前の漢字を変えた」と馴染みのない漢字でOちゃんから便りが届いた
ただの趣味なら構わないけれど、もしかしてOちゃんに何かあった?
辛い思いをしていない?
お互いに思い合いながらも、その距離を縮めることは、どちらもしなかった
何年経っても慣れることのないOちゃんの名前
私から便りを出すときには、つい書き間違えそうになる
ある年、Oちゃんががん治療を受けたようなことを書いてきた
直接的ではない書き方に、信じたくない私は「まさかね」と見なかったことにした
だってね、スコットランドにイギリスに北海道にお母様のご実家にお父様のお家にと、エネルギッシュに飛び回っていたじゃない?
色んな物を贈ってくれたじゃない?
治療を受けたってことは、治ったってことよね?
弱虫の私は、Oちゃんに詳細を訊くことができなかった
次の年の年賀状が届いたときには心底ホッとした
ほら、やっぱり‼︎
お互いに離れていても、「存在している」と判りさえすれば大丈夫‼︎
Oちゃんと私の仲じゃないの‼︎
ちょっとやそっとでは切れる訳がない
それでも自分から訊ねようともしない私は卑怯者だった
そして、その次の年からOちゃんの便りは届かなくなった
今も届かない
年賀状すら届かない
お母様の旧姓もご実家のご住所も知っている
もしお母様がいらっしゃらなかったとしても、お姉様が継いでいらっしゃる可能性は充分にある
連絡すれば懐かしんでいただけるだろう
Oちゃんが今は何処で何をしているのか教えていただけるだろう
一切の確認をしないまま、一体何年の時が経ってしまったんだろう?
弟(いまは極力接触を断っている)や妹との会話の中で「O-次郎(Oちゃんが自分のことをこう表記していた)がさぁ」と話題に出ることがある
つい先日も妹が「O-次郎が送ってくれたアスパラガスってねぇ」と話していた
私達の中では今もエネルギッシュに動き回っているんだよ、Oちゃんって人は
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