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幼なじみがいない

私は父の仕事の都合で、
幼稚園年中の時と、小学1年生の時に引っ越し、
転園・転校したため、小さい頃から
つきあっている友達がいない。

小学生からのつきあいだった友達とも
だんだんつきあいがなくなり、
現在、一番古い友達は
高校1年生の時からのつきあい。
いわゆる幼なじみがいない状態なのだが、
チビ子は生まれてから10年間、
同じところにいるため、
児童館やベビースイミング、保育園で一緒だった、
0歳や1歳の時から友達、
という幼なじみが何人もいる。
幼なじみのいない私にとって、
これはずっと羨ましかった。

いないから憧れるだけなのかもしれないけれど、
幼なじみってきょうだいみたいな感覚と似ていて、
どんなに格好つけても
小さい頃から知っている仲だし、
素のままでつきあえる関係というか、
なんか特別なものを感じる。
…幻想化し過ぎ?

でもそんな幼なじみとも、
一生つきあえるかと言ったら、
そうでもないのかもね。
自分だって小学校1年生からの友達なら
今までずっとつきあうこともできたはずなのに、
途中から途切れていったものね。

何歳からつきあおうと、
友達は必要なら続いていくものだし、
必要のなくなった人とは切れていくものなのかも。
必要なくなったというと聞こえが悪いな。
自分がつながり続ける努力を
怠った人とは切れていく、ということか。

学校とか職場とか、
同じ環境にいない状態になった場合、
続けていく努力をしなければ、
友達関係はだんだんと切れていく。
だから同じ環境にいなくても
つきあい続けている友達って、ある意味貴重だ。
お互いに続けていく意思を持って
つきあい続けているのだから。

でも腐れ縁ということもある?
でも腐れ縁って、でもどちらかが切りたくても、
どちらかはつながっていたくて
つながりが切れていないってことだよね。
これもどちらか一方の努力が、
関係を続けさせている状態とも言える。

話がどんどんそれてきたが、
要するに幼なじみでも
大人になってからできた友達でも、
お互いが必要としていなければ切れていく。
だから今続いている大切な友達を
大事にしていけばいいんじゃないかな、
というのが最終的な結論。
もし友達がいないなら、その人にとって友達は
さほど必要ではないということなのでは? と思う。
自分の一番の友達は、自分なのかもね。


今日で9か月連続投稿だそうです。
明日投稿すれば200日連続投稿のようです😊

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