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#35 もんくたれぞう 大食いコンテンツとTV、そしてSDGsに噛みつく

巷では、未だに大食いコンテンツというものが存在するようです。
いつだったか、割と最近だったと思うのですが、そういう内容のTV番組を偶然目にしたんです。
それで私は、あぁ、90年代的なものって根強いのだなぁ、などとぼんやり思うと同時に、やはり厭な感じというか違和感を持ちました。

食料をいたずらに消費してウケとカネを稼ぐという謎の商売。
飯を食うことで、飯を食う?なんだかとんちみたいですね。なんだかわけがわからなくなってきました。
こちとら飯を食うためにお金を払っているのですけどね。
当たり前じゃないですか、消費にはカネがかかるんです。
過剰な消費する人と、中庸の消費をする人とではどちらがいいですか。
答えは明白でしょう。

私のような無職は、確かに生産性はないかもしれません。
しかし、いたずらに消費することもありません。
予算制約のせいでできないという事情もありますが、沢山消費する必要がないこともまた知っているんです。
生みだすばかりが能ではないでしょう。(とはいえ私は作曲と文筆とハーブ栽培をやっていますからね!無職なめんなよ。火傷するぜ!)
しかも、トリックによって無理やり需要を作って、そこに供給するというマッチポンプ的なまやかしの行為は、そもそも生産的ではありません。
それはただのハッタリです。詐欺です。残念ながら、それは珍しいことではないと思います。
兎にも角にも、消費しない能力というのも、もっと認知・評価されていいのではないか、などと思ったのです。
どうも人はアクセルばかり見ている気がします。ブレーキがないと、死にますよ。
花火ばかり見て、後片付けをする人を見ていないと言うか。(微妙な喩えですね、、、、)
やはり、それは目に見えない(見えづらい)性格に起因しているのでしょうかね。不可視は報われないのでしょうか、気の毒に。

私は栄養不足の者や、腹が減っている者が食うべきだと思っています。
資源の不均衡がここにも。ワォ。
「大食いコンテンツはシンプルにダサい」という一般意志が形成されていなければおかしいのです。そもそも。
そこは昭和平成を踏襲する必要なくないすか?
昭和の敗戦の後遺症でこの国はバグってしまったのですかね。
その余波が平成~令和まで影響している気がしてなりません。

そういえば、食べ物を粗末にする→フードロス→SDGsといった連想で、SDGsのことを今、思い出しました。それについても書きたくなってしまいました。ここからは、コーダのようなものです。気の利いたおまけです。
TV局では「SDGs」を宣伝することもあったと記憶しますが、TVそのものがアンチSDGs的な性格が強いと私は感じます。
それは「ウケるために食い物を平気で粗末にする」というような、俗悪な形で立ち現れます。
また、芸能人のジェンダーの雑な扱いもそうですね。日本人が不用意にジェンダーで揉める元凶だとすら私は思います。
昔話題になったダウンタウンの黒塗りだって、ミンストレルショウのことを知っていれば如何にナンセンスか解るでしょうし、無知であっても普通やりません。慈悲が働きますから。つまり、考えずともわかるものです。あれは避けるべき人種差別表現でしょう。それが面白いと感じるなんて感情がないのでしょうか。それで庶民にはSDGsに取り組め、ですか。はーいい身分ですねぇ。流石、第4の権力としか言いようがありません。真正の上級国民ですね。
TVは搾取してませんか?
「ウケるため」にどれだけの犠牲を出しましたか?
それはエシカルですか?
そもそも、SDGsは個々人の努力とは無縁でしょう。正直、一市民としてはてやんでえ、べらぼうめ、バカヤロー、コノヤローって感じです。私は江戸の者ではないんですけど。
あれは、「企業がどうあるべきなのか」という指針でしょう。
なんだか、単なる個人レベルのエコ運動に歪曲して報じていませんか。個人レベルじゃ社会は変えられないから企業レベルにしたんでしょうが。
さらにいうと、私はSDGsそのものに対してとても懐疑的です。というか、直球ですが、好きじゃないんです。すみません。
だって結局、既に強い企業がより有利になりはしませんか。
SDGsに取り組めば、必ずリターンがあるとは限らないんですよ?全ては投資家の気分次第じゃないですか。それで中小零細、借金して投資しようと思いますか?
で、中小零細は「SDGsに消極的な御社とは取引致しかねます」とか言われるでしょ。大企業から。
で、立場が弱い方が頭を掻きむしる、と。これのどこが画期的で、何がいいんですか?何がエシカルだよ、ふざけやがって。ただのトレンディだろ。永劫バブリー脳め。
結局、あれは金融ありきの資本主義を肯定するための指針に思えてなりません。
資本家を頂点とするこの世の序列を単に延命させる策のように感じます。世直しの必死さゼロでしょ、あんなもの。庶民は気づいてますよ。
だって、投資家は思っているでしょう。SDGsに取り組む企業に投資する義理などないことを。彼らは利潤を上げるための選択をするんですから。
ここでも生殺与奪の権は他人に握られています。
すべては資本家の仰せのままに。
それでいいんですかね。

さて、今日は少し怒り気味でしたかね。
私が好きでない物事を愛してやまない方もいるでしょうから、少し大人げなかったかなと反省しています。勢いで書き過ぎたように思います。
でも、たまにはいいのではないかしら、とも思うのです。
だって私も人間ですから。波があるの。笑って許して。
というか、私のnoteは所詮「便所の落書」ですので、そこはご容赦ください。
よし、ちょっと頭冷やしてきます。それでは。

※お金を払って大食いしている人は別に構わないと思います。それは各人の自由でしょう。(素晴らしい行いだとは思いませんが・・・・)
私が疑問視しているのは「大食いコンテンツ」ですからね。

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