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エッセイ

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1つのテーマを深掘りしたり、考察していきます。 一つの考え方として参考にしていただければ。
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#エッセイ

エッセイ~人見知りについて~

エッセイ~人見知りについて~

みなさんは人見知りはするほうでしょうか?
私はといえば10~20代あたりはしていましたが、
年を取るとともに薄れてきました。

例えば公共の路上で弾き語りをするという行為。
人の目に晒されるという意味での緊張感はありますが、
そこで見ず知らずの人とコミュニケーションを取ること自体には
特に気負いも感じられなくなったと思います。
自分の中では気付かぬうちに、徐々にそうなっているので
ここらでその変化

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エッセイ~気付きについて~

エッセイ~気付きについて~

前回、自分の変化を楽しむ=生きる目的ということについて
書いていきましたが、きっとほとんどの人が
10代の頃の自分、20代の頃の自分、
30代、40代と思い返せば価値観や思考は
10年単位くらいで見ていくとかなり変化しているのではないでしょうか。

10代の頃は未体験が多く、
色々な発見に恵まれた時期とも言えるでしょう。
最近思うのはやったことがあるorなんとなく想像がつく
ことが増えて、期待を裏

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エッセイ~変化について~

エッセイ~変化について~

「生きていく目的というのは、むしろ自分の変化を楽しむ方にある、と僕は感じる」
~森博嗣 道なき未知より~

「自分の変化」について考えてみると、
やはり幼少期や青年期に比べると
少なくなっていますね。
よくとらえれば「確立」してきたとも言えますし、
年と共に空白の部分が減るのは当然の事だと思います。

ただ真っ白な状態から取り入れるだけが変化ではない。
自己が確立しているからこそ、いい意味で自分と

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エッセイ~適応障害再発~

エッセイ~適応障害再発~

人はなぜ同じ過ちを繰り返すのか。
自分の愚かさは忘れてしまうように思います。

4月に私は新しい仕事を始め、
今はまた適応障害が再発してしまいました。
高圧的な人間関係に耐えられなかったのです。

1度目の適応障害では半年ほど休み、
「自分は完治して適応障害以前の自分に状態に戻った」
と認識していました。
でもそこが甘かった。
ストレスは花粉症のように
1度溢れてしまうと
何度も過敏に反応してしま

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エッセイ~新しく仕事をしての雑感~

エッセイ~新しく仕事をしての雑感~

お金を得るという事

最近になってまた仕事に明け暮れる毎日に復帰しました。
ブランクがあるとやはり体がきついですが、
久々に脳みそフル回転、アドレナリン全開モードになる
楽しさも感じています。
お金を得るための手段として「仕事」を選んだのは
自分にとってそうした「体感」が重要だからでしょう。

ちなみに私は株はやらないし、やろうと思いません。
向いていないというとざっくりしてますが、
そこまでお金

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エッセイ~経験という共通言語について~

エッセイ~経験という共通言語について~

夫婦をやっているとお互い価値観の違いを感じることが多々あります。
当たり前と言えば当たり前かもしれませんね。
性別、経験、出身、あらゆるものが違った環境で生きてきたもの同士なのですから。
違いをどうとらえるか、
長所は短所、短所は長所足り得る中で
私達はお互いをどう向き合えるでしょうか。

例えばお金について。
私はそこまでお金に執着心がありません。
どちらかといえば物や経験に重きを置いてますので

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エッセイ ~比較社会での心構えついて~

エッセイ ~比較社会での心構えついて~

私達が生きる上で避けては通れない「比較」。
それは学校、職場、または家族、
組織に身を置くと必ずと言っていいほど存在します。
なぜなら社会自体が「競争」を燃料として
成長しようとするからです。

学校で言えば勉強や運動で優劣がつけられるでしょう。
頭が良かったり運動神経が良ければ
優越感に浸れたり、ストレスなく生活を送れるかもしれません。
しかし学校が終わっても競争はなくならないし、
長いスパンで

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エッセイ~議論と体験について~

エッセイ~議論と体験について~

議論している中でしばしば起こりうることとして
目線が自分の正当性だけを向いてしまうということです。
最近流行りの言葉でもある「論破」という概念。
ただそのひと時「論破」できていたとしても
両者は分かち合うことができるのでしょうか。

そもそも「自分の正当性、正義」はどこから来るのでしょうか。
ひとつには「体験」があると思います。
例として「体罰」を挙げてみましょう。
大雑把に「体罰」はよくない派閥

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エッセイ~愚痴との上手な付き合い~

エッセイ~愚痴との上手な付き合い~

今年一発目のエッセイのテーマは
「愚痴」についてです。
愚痴というとあまりいいイメージがないかもしれません。
しかし世の中には「愚痴」で溢れてますし、
触れたくなくても触れる場面が多いと思います。

ちなみに私は愚痴というものが苦手です。
無意識に零れることはあるだろうけれど
進んで言う事に抵抗があります。
それは私の育った家庭環境によるものだと思いますが、
最近はそれが世の中の当たり前ではないぞ

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エッセイ~一年の振り返り~

エッセイ~一年の振り返り~

今年もあっという間に終わる、
毎年そう思いながら終わることを繰り返している。
人生全体では40/1年。
10代、20代の頃の1年の感覚とは違いますが、
それでも振り返れば色々試行錯誤してきました。

まず何はともあれ今年は仕事を辞めたことが
一番のターニングポイント。
体調がある程度回復してからは
色々な新しい事にチャレンジすることにしました。

【①近所付き合い】
これまで仕事ばかりで全く接点が

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エッセイ~勝ち負けとの付き合い方~

エッセイ~勝ち負けとの付き合い方~

私は自分で負けず嫌いだと思います。
勝負がかかると熱くなり、
負けると怒りや癇癪を起こしたくなったりします。
普段の私を知る人は意外だと思うでしょう。
平常運転では穏やかなほうですし、
熱くなるのも表面には出てないかもしれません。

学生のときなんかは今よりも顕著でしたね。
サッカーゲームを興じて負ければ涙が出るし、
実際フットサルの試合なんかでも
ちょっとラフなプレーをされただけで
大きな声で審

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エッセイ~弾き語りについて~

エッセイ~弾き語りについて~

以前のエッセイ「幸せの粒子」の回で、弾き語りについて触れたことがありました。今回は弾き語りという行為が自分にどういった役割をもたらしているのか、別の視点でを考えてみたいと思います。

例えて言うと「食事的な側面」があります。
食事って何が食べたいとか気分がありますよね。
肉ばっかり食べてたらそろそろ野菜多めにしたいなぁとか、
最近カレーばっかりやから違うもの食べたいなぁとか。
また「栄養素的」にも

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エッセイ~表現することへの解釈~

エッセイ~表現することへの解釈~

私はギター弾き語りで学生の頃から曲を作っているので
どちらかというと「歌のための詩」を書いています。
最近では詩だけをTwitterに投稿することもあり、
周りの詩人さん達の作品を見ては
その表現に圧倒されています。
また「普段使わないような言葉」をどうやって
自分の引き出しに保存したり出したりを
うまくコントロールできるのだろうと
感心させられっぱなしです。

私は詩を書くことを毎日はしていませ

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エッセイ~夢について~

エッセイ~夢について~

「いつかって言っている間は、夢は終わらないよ。美しい夢のまま、ずっと続く。かなわなくても、それもひとつの生き方だと私は思う。無計画な夢を抱くのも、悪い事じゃない。日々を楽しくしてくれるからね。」
~お探し物は図書館まで 青山美智子著より~

叶える夢と寝て見る夢が同じdreamだって初めて知りました。
今回は叶える夢についてです。

私には20代の頃、お店を持つという夢がありました。
コーヒーをメ

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