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「希死念慮」の先を見据える

まず最初に、初めてこのワードに触れる方に向けてご説明をさせて頂きます。

「希死念慮」とは、しにたいと願うことを指します。似た言葉に「自殺企図」があります。こちらは、自殺するための計画を立てることを意味します。これには、首吊りやリストカット、オーバードーズ(過量服薬)も含まれています。

ではここから、本題に入っていきます。


希死念慮を認めてOK


希死念慮、とても辛いですよね。私も自殺企図までしていた人間ですので、お心分かるつもりでおります。
私としては、希死念慮が湧くことを責めずに、そのまま肯定して良いと思っています。

その上でご質問ですが、どのようにして居なくなりたいとお考えでしょうか?
現実的な方法が思い浮かんでいる方は、まずは、その方法を徹底して調べてください。ネットや書籍も大いに活用しましょう。

そして、その方法のリスクや失敗談にもしっかりと目を通してくださいね。
通販で商品を買うとき、皆さんレビューを参考にしますよね?それと同じことです。

失敗した場合を考える


日本の自殺の方法として、一番多いとされている首吊りですが、失敗した場合どのようになるかご存知でしょうか?
料理でも、受験でも、成功する人がいれば失敗する人もいます。


失敗した場合には、蘇生後脳症、低酸素脳症などにより植物状態となります。食事はおろか、排泄や寝返りも介助が必要になります。

筋肉や骨が固くなりながら縮んでいき、床ずれによっておしりの骨の部分に穴が開いて、膿が溜まることもあるといいます。
その臭いは激しく、意識がある場合、痛みは叫び声をあげるほどだそうです。

自然死するまで何年もその状態が続くということは、多額の金銭の支払いも生じるということです。

重篤な状態に至らなかったとしても、閉鎖病棟に入る場合もあります。
監視カメラのある部屋での身体拘束、導尿カテーテル・おむつの使用、飲水は決まった時間のみ、食事は点滴・胃ろう、看護師の厳しいチェックの下での投薬・・・

ここまで読んで、いかがでしょうか?

死ぬことは、生きることと同じくらい難しい事であるといいます。

生きるのを辞める選択をするということは、同時に、失敗した場合は上記の状況に置かれることも受け入れるということです。

気持ちを吐き出せる場所


私は精神疾患でさえ生きるのが大変なのに、これ以上障害が増えた状態で生きる自信はありませんでした。
それならば、別の道を探そうと。

けれど、行政の相談窓口や有料のカウンセリングは酷いものでした。
たらい回しもいいところで、人の話を聞く気があるのか?と。

そこで私は、このような窓口ばかりでは、本当に助けを求めている人たちが救われないと思い、自分自身でオンライン相談を開くことにしました。


これまで、知的障害、精神障害、身体障害、様々な障害をお持ちの方のカウンセリングをさせて頂いてきました。
加えて自身の闘病経験も生かして、悩める方のお力になれればと考えています。

気になった方は下記リンクよりご連絡をいただけますと幸いです。


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