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掌編小説、随筆

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掌編小説と随筆をまとめています。
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#随筆

小説らしいとは

「行間の空いている小説、あれはライトノベルでいいんですか?」

 行間を空けて読者に読みやすくしている小説を見かけることがある。それらを見る度に私は、これはライトノベルか否かを考えるのである。そもそも一般的な小説とライトノベルは別物なのかも分からない次第である。しかし、ライトノベルにも色々ある。昔、カルロ・ゼン作の『少女戦記』を読んだことがある。外見は俗に言う鈍器本だが、それもラノベだと聞く。しか

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散り散りの自分

散り散りの自分

 僕は「散り散り」だ。
 あれを考え、これを考え、色々考え、いっぱい考え、しかし、どこにも収まらない。本棚から出した本たちが片付けられずに積まれて置かれている。これが、僕の生活だ。僕自身だ。

 僕は努力をやめた。自分の力を見たくなくて、努力をして、頑張って、それでも何も出来なかったらどうしようと不安になって、だから、やめたんだ。

 きっと、最近になって始めたことも、なあなあになって終わるだろう

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苦手なスピ系の人

苦手なスピ系の人

 元気で弾けのあるスピ系の人が苦手だ。僕自身もスピ系に属している人間だけれども、僕はスピリチュアルに静けさを求めている節がある。そういう訳で元気で華やかなスピ系の人が苦手なのだ。

 何ヶ月か前に、やっとスピ系のお話が出来そうなお店が近所にあることを発見し、その瞑想会に行ってみた。瞑想は楽しかった。しかし、その後の会話が苦痛だった。周りが女性だらけなこともあり、話は大いに花を咲かせていた。そうして

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最近のことを書くだけ

最近のことを書くだけ

 最近のことをつらつらと書いていきます。
 まず、何気ない日々が一番の幸せだと気づきました。些細なことに心を込めるということも学びました。それと、エナドリを飲むことを「命の前借り」と言うように、スマホ決済は「お金の前借り」だということに気づきました。

 「返って自分のためになる」という考えは無く、ただひたすらに奉仕の精神で、人のためになることをしたいと思っています。でも、僕は手元不如意です。体力

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物書きの原稿用紙

 現代の物書きが原稿用紙を使って小説などを書くことは極めて少なくなったと思う。プロットまでは紙に書くが、下書きまたは初稿からはスマホやパソコンを使うという人がほとんどであろう。自身も詩を書く時にはスマホで直感的に書いている。スマホの便利な所といえば、すぐ書ける、書くのに難しい漢字をすぐ表記出来る、間違えたらすぐ消せる等々、便利ずくめである。現代よ、なんて素晴らしいんだ! と思いつつも、高級な原稿用

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青い初恋

青い初恋

 初恋は忘れられないものである。
 高卒で清掃員として働き、一人で黙々と作業をしていた時のことである。その日は、初夏の清々しい空気が渡り、綺麗な青空が広がっていたのを記憶している。空き缶の回収をしていると、突然、声を掛けられたのだ。その人が言うには、自分も清掃員としてアルバイトをしているため、もし相談事があれば聞くとのことであった。最初はからかわれているだけだと考え、その人が去った後、会話で中断し

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徒然を連れて 3

 神出鬼没のライターと化した三葉治です。

 今日は、仕事場の向日葵の水やりに行った時に、後脚を片方無くした茶色のバッタに出会いました。私は脚を無くした昆虫を見る度に「お前はいま何を思って生きているのか」と問うことがあります。脚が無くなって悲しいのか、痛いのか、それともなんとも思わず今日のご飯のことを考えているのかと。でも虫は当たり前のように答えません。私の存在を感じて警戒しながらじっとしているだ

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徒然を連れて 2

 一昨日から日記を書き始めた。
 日記の中身には「もういやだ」とか「もう書けない」ばかりが目立つ。その他にも「もうやめたい」「嫌いだ」「ずっと寝ていたい」「疲れた」がある。これらは小説書きのことについてだ。

 日記にはすごい力がある。思ったことをそのまま書いても大丈夫。どんな文章でも受け入れてくれる。日記が大好きになりそうだ。日記ならいくらでも書ける。数えてみたが、一日に三十行近くは書いている。

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徒然を連れて 1

 人付き合いをしていて、否、本当に人間関係があったかどうかさえも怪しくなり始めて、孤独を感じている今日この頃。いつものごとく布団の上で衾を被って寝転んでいる。土日はいつも予定は無く、特に暇な日だ。暇な時間に出来ることは山ほどあるが、やりたくない。そんな気分じゃないからだ。色んなことを後回しにしてごろ寝している。そんな生活。

 そういえば昨日にサプリメントを買ってきた。お金が底を尽きようとしており

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不幸の楽しみ方

不幸の楽しみ方

 時に天地は万物盈満、されど我が心は地に伏して枯れ枯れなり。心おさまる寄辺や閨は何処にもあらじ。さすらふ人生にて、嗚呼、哀哉。

 五月。新緑が眩しい。
 案の定、五月病を患い、やる気がなくなっているところに、衝動による急な出費で貯金も僅かしか残っておらず、食費が一週間で千円という落ちに堕ちた生活を送っている今日この頃。最早「清貧」と言う言葉を以てして生活をしなければ精神が保てなくなった。それかい

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主人公補正というもの

 主人公補正というものがある。主人公になることによって付く良運みたいなものらしいが、そんなものがあってたまるかと思った。ストーリーを潤滑に進めていくためのものではあるのだろうが、主人公には是非とも運の悪さからどん底に突き落とされ、そこから微かな希望の細糸を見出し這い上がっていくことをして頂きたいと考えている。

 まず主人公には親ガチャというものをしてもらう。必ず「当たり」を引いてくれ給え。母子家

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感情の記憶

 私はふと思った。
 思い出せない記憶はどこにあるのだろうか、と。

 しかし、簡単に理解した。
 感情に記憶されているんだ、と。

 今の私の感情のどこかに、昔の記憶が残されているのだ。それは癖となり、トラウマとなり、考えの基盤となり、私を作り上げている。

 ここでまた、ふと思う。
 思い出せない記憶によって、これから先の人生は作られていくのか。癖、トラウマ、考えの基盤……それらによって作られ

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三葉治の自己紹介

 新緑が輝きを増し、梅の実が大きく膨らむ頃、「三葉治」は誕生した。

 とある文豪の名を冠するその人物は、散歩中に梅の木を見つけて、そうして想像の任せるままに、ある文章を書き始めた。それが初の掌編小説『青梅』である。

 当時、死にたがりだった自身の想いと、毒物でもある青梅を題材にして小説を書き上げた。その出来栄えは、初心者であるが故の稚拙な文章であったが、自分でも文章を書けるという新発見、文章を

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『古今患者の残穢』

 二○二一年十一月十七日。精神病院に入院した。退院目標は、手元不如意のために、一週間、長くても二週間に設定した。
 私は個室で過ごすことになった。
 ベッドと机、クローゼット、洗面台が備え付けられており、風呂とトイレは共同となっている。個室の窓から見える外の景色といえば、向かいの患者達の窓群と、職員と来客のための駐車場、それから少し離れた所に体育館のような建物があり、そのずっと奥に薄く靄のかかった

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