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働くことは、好きですか?~仕事に求めていたのは「社会とのつながり」だったと再確認した話

こんにちは、水無瀬あずさです。

ガンと診断されていた実家の父ですが、無事原因となった部位(?)が特定し、あれよあれよという間に治療が始まりまして、なんと今週末退院することが決まるまでに回復しました。え、そんなことある?泣きながら帰った私だというのに。

あの日の涙を返せ、とは思いませんが、色々なことを考え巡らせて悩み、泣いていた日々が嘘のようです。まだ予断は許せませんが、回復を純粋に喜びたいと思います。

で、退院もいきなり決まったようで駆けつけられないものの、「入院中に顔を見せに来い」と父から理不尽なお達しをいただきまして、急遽明日、名古屋まで日帰りでお見舞いに行ってきます。15分の面会時間のために新横浜ー名古屋間の新幹線往復(自腹)はなかなか厳しいんだぜとは思うものの、そこは先月副業で過去最高の収益になったこともあり、ああ働いていてマジで良かったと思いました。お金がなければ親孝行もできない。

思えば入院中の父はかつて、仕事一筋の典型的など根性社畜人間でした。報道記者として長年働き、定年であっさり退職したので、仕事ロスになるんじゃないの?と心配していましたが、「まだまだやりたいことが山のようにある」らしく、ああ私はこの人に似たんだなあと思わずにはいられません。退院したらきっと、大好きなラグビーをまた見まくって、人生を謳歌しまくることでしょう。頼むよほんとに。

そんな父にも投げかけてみたい質問、「働くことは好きですか?」。noteでお知り合いになったコジマサトシさん@tonari_kojima)からのこの問いに答えながら、これまでの仕事人生を振り返り、いろいろと考えさせられることがありました。あの頃だから感じたこと、今だから思うこと。せっかくの機会なので、私にとっての「働くこと」をじっくりと考えてみようと思います。よろしくお付き合いください。


「働くことは好きですか?」

noteを始めた当初にたまたま「おすすめ」かなにかで記事を拝見し、コメントを通じてなんとなく繋がっていたコジマさんの記事で、「働くことは好きですか」についての意見を募集していました。

コジマさんは以前、就職氷河期についての記事を書いたときに「あ、同世代じゃん!」的な感じで(そんなフランクなものではなかったけど)交流して以来、陰ながら応援していたもので、なんとなく私も参加してみたいと思いました。で、書いたコメントがこちら。

結構時間をかけて考えて書きました

こちらの内容が、ありがたいことにコジマさんのPodcast「働くひとのたち話」で紹介していただけました。紹介されると知っていたのに、名前が呼ばれたとき一人で「ふぉおおお!」とビクッとなったのはここだけの話。

私がコメントに書いた「社会の一員である」っていう部分。このカギカッコ、ちょっと含みを持たせて書いたつもりだったのですが、コジマさんと一緒に配信されているフナダさん(@andc_funada)がカギカッコの部分をきっちり拾ってくださり、すごい!伝わってる!と感動したんですよね。

で、紹介されたからってことでもないのですが、私にとって「働くこと」ってどういう意味があるのかなってことを改めて考えるきっかけになったという意味で、大変ありがたいお題だったなあと思いました。

私の「働くこと」を振り返る

就職氷河期を経て、新卒でエンジニアになってから、44歳になった今に至るまで、いろいろな仕事をしてきました。働いていない期間もあります。それも含めて、私にとって「働くこと」の意義というものを、改めて振り返ってみようと思います。

楽しさより辛さが勝った正社員時代

報道記者の父の背中を見て育った私は、新聞記者になることを夢見ました。「ペンは剣より強し」を実践したかった。そして就職活動に臨み、まあ見事に散りました。見事にね。

不本意ながら就職浪人を免れるべくなったITエンジニアの世界。新卒の新人研修で、ロン毛の上司が言っていた言葉が胸に刺さりました。「プログラムによって世の中を便利にするのが我々の仕事だけど、我々が作るそのプログラムは一つ一つが手作りなんだ」と。ノーコード・ローコードが当たり前になりつつある現代は残念ながらこれに当てはまらないわけですが、当時の私は「ほんとだ!すごい!」と感動したんです。エンジニアってすごい!と。

新聞記者のようにペンで世の中を変えられないかもしれないけど、プログラムという別のクリエイティブな仕事によって何かを変革できるのかもしれない。エンジニア職に対してワクワクし、楽しさが生まれた瞬間でもありました。

ただ現実は厳しかった。プログラミングやら業務知識やら、学ぶことが多くて楽しかった反面、就業環境は超絶ブラックで。終電上等、ストレスでお酒の量とゲーム時間は増え、睡眠不足に栄養失調、生理もまあ狂う狂う。それでも倒れなかった私の健康体ったらすごいと思うので、丈夫に産んでくれた両親には心から感謝したいです。

「たぶんこれ一生続けられる仕事じゃないんだろうなあ」と思いながら、転職して神戸から拠点を横浜に移し、夫と出会い、結婚を機に辞めました。辞めたときの清々しさは今でも忘れませんね。「もう二度と戻るかあ、こんな仕事おぉぉ!」とちゃぶ台をひっくり返したい気分でした。思えばあの頃は、仕事が「楽しい」と思うより辛さのが勝っていたんだと思います。

憧れの!?専業主婦時代

夫との結婚を機に仕事を辞め、憧れの専業主婦になりました。もう通勤電車の時間に悩まされたくないと思ったので、失業保険を受け取るまでひたすらダラダラしようと心に決めました。

ただ、仕事を辞めると一気に使えるお金が減ります。収入ゼロなので、夫からもらう生活費+αが私の使えるお金。少し前まで手取り30万円超えを毎月自由に使っていた身からすると、もはや何もできないわけです。

当時(2007年だから16年前)は今のように在宅ワークが一般的でなく、エンジニア以外の仕事をしてこなかった私が働くとしたら外に出ていくしかありません。でも働きたくない、自由がほしい、遊びたい。ただ金はない。結果、食料品などの買い物をする以外は家でダラダラとテレビを見て過ごす生活が始まりました。

朝夫のお弁当を作り、夫を見送ってからゴロゴロすごし、部屋の中を掃除し、ワイドショーを見てゴロゴロ。適当にお昼を済ませて、数日に一度は近所のスーパーに買物に行き、ダラダラと昼ドラを見て過ごし、夕方から夜ご飯を作り、夫が帰るのを待つ。平日の私の生活、なんて味気ない。帰ってきた夫に「おかえり」と言いながら、「あれ、今日私、朝から誰とも喋ってなかった」と感じることもしばしばで、私って何のために生きているのかなと疑問を感じたりしました。

そうなってくると気持ちも荒むもので、当時仕事が絶好調だった夫が毎日忙しくも楽しそうにしているのが面白くなくて仕方ありません。「私はこんなに鬱々と過ごしているのに、なに楽しそうにしてんじゃ!」とか思うわけです。飲み会帰りの日なんか超絶イライラして、口も聞かずに寝てやったりしました。ええわかります、完全なやつあたりです。

仕事をやめて1ヶ月ほど過ぎたある日、スーパーへ行ったとき、レジのおばさんとなにか会話をして(「◯◯どうしますか?」『あ、大丈夫です」みたいなどうでもいい会話)、久しぶりに夫以外の人と喋ったなあと感じながら帰って、誰にいない家に入ったとき、ふと「いま私がここで倒れて息を引き取っても、夫が帰ってくるまで誰にも気づかれない」と思いました。

ああ私、いま、社会から完全に切り離されて、隔絶されている。夫がいることでギリギリ社会と繋がっている。そう気づいたとき、震えるほどの恐怖が来ました。

「私、働きたい」―帰ってきた夫に開口一番言ったその日は、私にとってほんとうの意味で「働くこと」の大切さに気づけた日だったと、今は思います。

自由を手にした派遣社員時代

派遣会社の求人サイト(何だったか忘れた)で仕事を探し、家から比較的近い事務の仕事へ応募しました。で、派遣社員として仕事を始めたのは確か4月ごろ。エンジニアを辞めたのが2月の後半だったので、本当に1ヶ月ちょっとのお休みでした。

いや専業主婦、私向かなかったんだなあ。母が当たり前のように専業主婦だったから気づきませんでした。いやはや。

派遣社員として働くようになってからは、家事をする時間は減ったし、使えるお金は相変わらず限られていたけど、生活が色づいたように充実していました。職場でさまざまな人と触れ合い、ときに笑い合い、ランチにも行っちゃったりして、なにかするたびに「ありがとう」「助かった」と言ってもらえる環境に、心が満たされたのです。そうか私、夫だけじゃなくて誰かに必要とされたかったんだなあと思いました。私にとって「社会に属する」ってこういうことなんだと。

派遣社員として大手企業2社を経験し、長男の妊娠が発覚したタイミングで仕事をやめました。切迫早産で入院することになり、仕事どころではなくなってしまったのでした。ずーん。

出産・育児を経て専業主婦へ

長男の出産を経て、再び専業主婦へ返り咲いた私。昔の「社会から隔絶されている」という恐怖感はありつつ、でも「今の私はあのときとは違う」という確証がありました。子どもです。

子どもを持つと、「行政のサービスが全然追いついていない!」と怒る方もいますが、とはいっても市区町村や地区によってさまざまなサービスが展開されていて、自分でアクセスすればいろいろなことができるんですよ。

社会から隔絶されたくない症候群だった私は、子どもをダシにきっかけに、行政サービスを始めとするさまざまなところへ出かけ始めました。区の育児サービスはもちろん、赤ちゃん会(区の子育てイベント)やら子育て支援施設、民間のイベントまで、横浜市広報を隅々までチェックしていろいろなイベントに参加まくりました。行動力はあるのよ。

車は乗れないので電車やバスで出かけまくっていたら、ママ友からは「子どものためにあちこち行ってあげて本当に偉い」とか言われましたが、全然子どもためではないのです。ただどこかと繋がっていれば、誰かと関わっていれば、生産性はなくてもなにか次のステージに行けるかもしれない。そんな淡い期待が始まりだった気がします。

まあ最終的には子どもそっちのけで誰よりも自分が楽しんでいたわけですが、子どもたちはそういう環境が当たり前だったせいか、今やすっかりコミュ力おばけになりました。公園には連れて行ってあげなかったし、絵本もあまり読んであげなかったけど、色々な人と関わるといいことあるよって感じています(もちろん良くないこともある)。

再び社会へ、そして現在

子どもたちが小さいうちは、その成長過程を一番近いところで見たいと思ったので、仕事することを諦めました。社会とのつながりはなかったものの、幼稚園の役員やPTA役員をやることで、先生や地域の方々と繋がることの大切さを知れたのは大きかったかな。あと夫が「仕事しろ」ってうるさく言わなかったのもありがたかったです(「本当は働いてほしかった、生活きつかったから」と後になって言われたけど)。

次男が小学校に入学するタイミングで今の会社へ。考えてみれば、今の会社への応募はもともと「ライター」志望だったのですが、たまたまエンジニアにお声がけいただき、エンジニアに返り咲きました。あのときライターとして採用されていたら今の私は絶対になかったはずで、これもご縁だったんだな。

通勤する日々からコロナが始まり、リモートワークになり、副業を始め、今に至ります。おかげさまで副業収入もだいぶ安定しました。

社会から隔絶されないように、社会の一員として属していたいという願望から仕事を再スタートした私でしたが、今改めて、本業も副業もものすごく楽しいと感じます。紆余曲折はあったけど、誰かと、どこかと、何かと繋がっていられる今の状況は私にとってとても幸せなものです。

「働くことは好きですか?」と聞かれたら、それはそれはもう本当に満面の笑みで、「大好きッス!!」と答えられる自分を、誇りたいと思います。

結び

一応言っておくと、「専業主婦が社会から隔絶されている」っていうのはあくまでも私が自分のことをそう感じただけであり、専業主婦みんながそうであるということではないです。今は家に居たってスマホひとつで世界中と繋がれる環境があって、16年前とは全然状況が違うので、どうか気を悪くしないでいただければと思います。

仕事とは人生であり、キャリアであり、道しるべである。大層なことを言ってみたけど、別に私が大したことをして生きてきたわけでもなければ、何かを成し遂げたわけでもなくて。ただ仕事に対する感じ方、考え方一つで、人生ってこうも色を変えるんだなあってことを、身をもって感じた次第です。働くことってなんてステキ。

今仕事が楽しいと感じている人も、楽しくないって感じている人もいると思うけど、見方や向き合い方を変えたら、なにか違うものが見えてくるのかもしれません。

働くことは、好きですか?この問いが、みなさんがこれまで働いてきた人生を振り返り、次に踏み出すきっかけになればいいなと願います。

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