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昔取った杵柄~10年ブランクでもエンジニアに復帰できたアラフォー主婦の話

こんにちわ、アラフォー主婦OgAzです。

副業Webライターとして日々奮闘中の私ですが、本業はリモートワークでシステムエンジニアをやっています。最近老眼が急にやってきまして、会社から支給されているディスプレイモニターが小さくて困っていました。ダメ元で大きいものに変えてもらえるようお願いしたら、「至急対応します!」とか言われ、1週間も経たないうちに届きました。対応早いな!

左のやつが新しいディスプレイです

夫と子どもたちには「でかっ!」と言われました。27インチ、確かにでかい。ノートパソコンが委縮しているようだ。でもDELLのディスプレイで、しかも新品ピカピカなのがちょっと嬉しい。

カニとヒヨコが見守ってくれています

そういえば、noteでは主に副業関係のことを書いているのですが、たまには本業についても書いてみようかなと思いました。今回は、10年ブランクを経て今の会社にエンジニア復帰したときのお話です。

エンジニア業界の今昔

Webライターのお仕事で「エンジニア向けの記事執筆」が何度かあり、エンジニア業界の現状についていろいろ調べました。いやビックリですね。私が新卒で入った20年前とは状況が違いすぎていました。

経済産業省が2019年3月に発表した「IT人材需給に関する調査」によると、2018年を起点として2030年まで、国内のIT人材不足は年々増加するとされ、最悪のシナリオでは2030年時点で約79万人のIT人材が不足すると試算されています。世界的なIT需要の高まりや労働力不足が原因として挙げられており、IT人材の確保は国内で急務ということがわかります。このような背景から、学校教育でプログラミングの義務化なんて話が出てきたようです。

今やインターネット広告には転職・副業として「未経験エンジニア」の文字が踊り、エンジニアは完全に売り手市場。かつては「エンジニア35才定年説」なんてのが一般的だったんですが(「新しい人材がどんどん新技術を習得するから、経験を積んだ古いエンジニアなんか要らん、さっさと辞めてほかの仕事に就くかマネージャ職にスキルアップしろ」という考え方)、年齢の壁もなくなりつつあるとのこと。時代は。時代は変わったのだ・・・。

「ブランクがあっても、エンジニアならいくらでも仕事があるよ」と夫(同業・マネージャ職で採用などもやっている)にも言われました。そんな馬鹿な!!私が知っているエンジニアとは、「3K」=汚い・くさい・キツイと揶揄されたド底辺業種だったはず。それが今は、子どもの「なりたい職業」の上位に名前が出るほどの花形職業になるっていうんですから、世の中何が起こるかわからないものです。

12年ブランクでエンジニア復帰

私が今の会社に入社したのは、次男の小学校入学からすぐの時期でした。今年次男が5年生になるので、まる4年が経過したことになります。

入社したきっかけは、うちの会社がパートのWebライターを募集していたこと。今でこそ副業Webライターなんてやっていますが、当時は全くの未経験で、「文章を書くのが好きだから大丈夫でしょ」と軽い気持ちで応募しました。

書類選考を通過し面接に行ってみたら、通常の(?)面接試験のあと、「ちょっと待っててくださいね」と待たされて社長が登場。「え、ここってただのパートの面接に社長出てくるのん?」とビビッていたら、おもむろに「OgAzさん、エンジニアの仕事ってどう思う?」と聞かれました。

10年以上前にリタイアした仕事のこと聞かれてもな・・・と思いつつ、身体的肉体的にストレスが半端ないから育児しながらは無理と伝えました。ブランクも長すぎるし、復帰なんて夢のまた夢だと。当時の私は、エンジニア業界の現状を全然知らなかったのです。

大丈夫ですよOgAzさんなら。たぶん」と社長がとても雑な感じで励ましてくれました。多分てなんだ多分て。聞けば、どうやら「既存の社内システムを拡充していきたいのでエンジニアを探したいけど、どういう人を募集したらいいかよくわからない・・・」という状況だったようで。たまたま応募してきた私の職務経歴書を見て、「あれ?こいつイケんじゃね?」となったようなのです。なんというタイミング。

社内システムなので納期などもないしスケジュールは緩い、子どもの予定を完全に優先してOK、そのうえで「ちょっとずつ思い出しながらでもいいから、やってみる気はない?」と言われました。エンジニアの仕事は、ストレスがすごかったので結婚と同時に辞めたものの、仕事自体が嫌いだったわけではありません。そこまで言ってくれるのを断る理由もなく、「12年ブランクでも必要としてくれるなら・・・」という気持ちで、復帰を決めたのでした。

研修は睡魔との闘い

入社から初めの1か月は、「既存システムの仕様理解」が私の仕事でした。既に稼働している社内システムの概要を理解するのがミッション。辞めてからプログラミングのプの字も触っていないので、どうなることかと不安でしたが、不思議なもので手がコーディングを覚えていました。新卒で身につけた知識は、10年経っても消えないんですよ!!これは個人的にすごい発見でした。

とはいえ、仕様書も設計書もなく、断片的なメモを確認しながら他人の書いたコードを読むって、苦痛以外の何物でもありません。何が正解か分からないので、正しい動きなのか不具合なのかもわからんのですよ。本当に毎日睡魔と格闘していました。

何がつらいって、コードがいちいちひどい。「これで合ってる・・・?」「これでたぶんOK。」のようなソースコメントが入っていたり(普通は納品前に消すものなのだが?)、変数名のスペルミスなんかはありすぎて普通のことです。別に驚かないぞ。特にひどい間違いが不明値の定数名で、「UNKOWN」(おそらく正しくは「UNKNOWN」)とか書いてあって、まじウン〇と思いました(ごめんなさい)。これに関しては別記事で書きました。

パンデミックでフルリモートワークに

ツラい研修期間を経て業務が始まり、既存システムの改修や仕様変更とともに、APIの導入を任されました。Google広告、Yahoo広告など、一流システムを導入するための受け口を作る業務です。これはやりがいがありましたね。なんせ天下のぐーぐるさん、やふーさんです。サンプルコード、難解すぎて全然解読できねえよ・・・ドキュメント英語ばっかりだよ・・・と悩みつつも、最新技術に触れられる喜びを思い出しました。ああ、何て楽しいんだ。

苦労の甲斐あってAPI導入はもろもろ成功し、社員さんたちにすごい勢いで感謝されました。何せ今まですべて手動で行っていた作業をすべて自動化したわけで、日々の雑務とオサラバできた喜びだったんでしょう。社長にも「働き方改革の最先端いってるよ!」とか、よくわからない褒め方をされました。どうもどうも。

そんななか突如降りかかったパンデミック。全国一斉休校が決まり、子どもたちが学校にいけないことが決まり、「ああもう仕事できない・・・」と諦めの境地で出社してみたら、朝イチで社長に呼ばれ、ノートPCを渡され、「明日からリモートにするから準備して!」と言われました。この対応の早さ、本当にありがたかったです。

それまでは9時から14時まで働いていましたが、リモートワークになったら子どもたちの帰宅時間を考える必要がなくなり、16時まで働けるようになりました。もう少し増やしてもいいかな。パンデミックが落ち着いてもリモートワーク継続が決まり、毎日快適に働けています。そうか、気づかなかったけど、通勤ってこんなにもストレスだったんだなあ。

結び

想定外のエンジニア復帰ではありましたが、あの時あのタイミングで声をかけていただかなければ、きっと復帰しようとは思わなかったでしょう。本当にいい出会いだったとつくづく感じています。気づけば入社してから丸4年がたち、人生で最も長く勤務している会社になりました。これからいつまで働き続けられるかはわかりませんが、いただいたご縁は大切に、楽しくのびのびと働いていけたらなと思っています。昨日届いた大きなディスプレイを見ながら、また頑張ろうと心に誓ったのでした。

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