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お世話になった人たち

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社会に出てから、仕事やプライベートなどで、親交があって、印象に残っている人の事を書いて行きたいと思います。
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#アルバイト

お世話になった人⑫

お世話になった人⑫

さて、私が幼少期から場面緘黙で、母から黙っているのはだめだと散々に言われて、コンプレックスになってしまい、私は、自分の性格とは真逆の飲食の仕事で、自分を磨こうと思ったのでした。、

21歳から23歳までお世話になったある中国料理レストランでの話の最後になります。

今日お話するのは、そのお店で食器を洗ったり、厨房の簡単な盛り付けの補助などをする洗い場を担当していたパートの年配の女性についてです。

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お世話になった人⑩

お世話になった人⑩

今日は、21歳から23歳までアルバイトでお世話になった中華料理店で出会った人についてのお話です。

売上の不調に会社の上層部が店長交代の辞令を出し、私を雇ってくれた店長は去っていき、新しくとある高級中華料理店の総支配人だった人が来ました。その人については、「お世話になった人⑨」でお話しています。

今日は、その新店長が一緒に連れてきた私より歳がひとつ上の社員だった女性についてです。社員という事もあ

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お世話になった人⑨

お世話になった人⑨

今日も私が21歳から23歳まで、アルバイトをしていた中で、出会ってお世話になった人について、話していきたいと思います。

私が応募した時に面接を担当してくれた総支配人でしたが、売上を伸ばす事ができず、会社の上層部より、交代の命令を受けてしまい、あたらしく外部から総支配人となる人が来ました。

横浜の中華街などにある高級中華料理店のひとつの店長などをしていた人で、年齢は当時40歳という事でしたが、白

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お世話になった人⑥

お世話になった人⑥

さて、今回お話するのは、私の人生の中で、大きい影響を受けた人たちの中の一人です。

音響制作の会社を辞めた私は、幼少期より場面緘黙の症状があり、高卒以降はやや改善していたものの、それに伴い性格的に消極的、引っ込み思案、人見知りな面が強く見られました。また、私がこの「場面緘黙」という言葉を聞いたのは、20歳頃、聖路加病院の院長であった故、日野原重明先生の著した音楽療法の本からでした。

また、幼少期

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