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学校の勉強は有益な意味があることを伝えたい

私の中で勉強とは、これまでの自分には未知である新しいことを知ること、それを自らの人生の何かしらの糧にしていくことです。

以前の記事で、子どもと大人で勉強の意味が異なると書きました。子どもは単に知識の習得を求められるのに対して、大人はそれらの知識を応用して新しい成果の創出を求められます。

この隔たりにうまく適応できず、私はうつ病を経験しました。現在もこの問題に苦しむ時があります。私に何かできることはあるのか。それを時に考えています。

勉強という存在が軽んじられている

学校で行う勉強は、言わば学問の障りの部分だと思います。私はそんな学校での勉強が好きなタイプでした。新しいことを知る喜びもありましたが、テストなどのアウトプットの場で結果を出せたこともあります。

子どもの勉強に関して言うと、高学歴を得ることに話が発展しがちです。私もその恩恵を受けてきたひとりだと思います。ただし、私の中では理系方面の学問を更に突き詰めたいと思えた部分でもありました。

例えば、高等数学は社会に出ても使う機会が無いと言われる代表格です。ただし、私は現在の仕事でも使う場面が多いので、数少ない対極の存在です。

だからということもあるのですが、学校の勉強を不必要な存在と切り捨てる人が多いように感じるのです。

ポジショントークになるかもしれませんが、学校の勉強は学歴に留まらず、己の人生にの基盤になる大切な存在だと考えています。

過去の栄光という話ではない

いつまでも学歴の話を引きずる人がいます。学生時代が人生のピークであるような人です。確かに、これではあまり格好良いとは言えません。

一方で、簡単に過去の話と切り捨てて、まるで学校での勉強が意味のない存在のように扱う大人が多いようにも感じるのです。

私も学校の勉強が好きな立場でしたので、勉強という存在がこれまでの私の人生を決めてきました。簡単に切り捨てられる存在ではありません。

その中には過去の栄光と思える出来事もあります。それでも、私の人生を象徴するような存在であることに変わりありません。言葉で発さずとも、自らの誇りのような存在だと自負しています。

学校の勉強が私の後の人生を創り上げています。そこに自信を持たずして、何に自信を持てば良いかということなのです。

学校で創作した基盤を活用すること

学校を通して作り上げた「勉強」という名の基盤。これを活用するもしないも、その人次第です。

私は先々で学問に対する知識を深めることを選択しました。それは高専や大学院での研究活動に繋がります。勉強を通して得られた新しい知識を様々な人に伝えてきました。

そのスタンスは現在も変わりません。ブログの世界で自分が得てきた知識や経験を分かち合うこと、これから学んでいくことも付け加えたら良いです。

大人の段階で求められる成果とは関わらないかもしれない。それでも、成果を創るための道具として皆さんに利用していただけたら。そう思う次第です。

おわりに

人生常に勉強であると言う人がいます。子どもと大人で意味は違えど、勉強は人生が続く限り営まれるべきことです。その中でも、学校の勉強は何事にも通ずる基盤だと考えています。

私は学校で得てきた「勉強」をかなりの割合で利用してきました。それは学問を突き詰めるためであり、現在の仕事に活かすためでもあります。

一方で、子どもと大人のそれぞれで「勉強」の意味が違うために、精神的に苦しんだ時期がありました。その落差を埋めるためにできることを考えながら、自分の知識と経験をこれからも伝えていきたいです。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。実際は非定期ですが、毎日更新する気持ちで取り組んでいます。あなたの人生の新たな1ページに寄り添えたら幸いです。何卒よろしくお願いいたします。

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