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「コラムの手前のざっとした文」或いは「小説未満」

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「私」を題材とした創作です。
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#文章

一人の怠慢な中年の「萌え」の始まりと葛藤と「猿の根付」

一人の怠慢な中年の「萌え」の始まりと葛藤と「猿の根付」

家に帰る途中で、くたびれた。

乗り換えの電車に乗るのさえも、億劫になってしまった。

寄り道をして喫茶店で一服していたらば、隣席で熱烈に、「推し」とその「萌え」のポイントについて語る妙齢のご婦人方の声が聞こえてくる。

ご婦人の推しはどうやら、とある漫画の登場人物だ。
妙齢で二次元萌えとは業の深いことよ、と物知らずに思うが、結局愛のあるファンほどプレゼンに最適な人物はいない。
私は自然に耳をそば

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締切のはなし

締切のはなし

守れなかった締切の向こうにあるのは、無の世界である。

無の世界は怖い。

だから何があってもその期日だけは守らなければならない。
しかし、あろうことか、時にその締日を伸ばしてしまうことがある。この時点で締切は守られていないが、日にちを伸ばした瞬間に開放感が生まれる。
まさに金を借りて喜んでいる博打野郎状態、もっと悪く言えば、馬鹿の無双状態である。
借りた時間なのに、もらった気になっている。

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療養日和

療養日和

白粥ばかり食べていると顔立ちがぼんやりする。

鏡を見なくても分かる。
薄い粥の中の沈んだ米粒のように、私の顔も曖昧になっているはずだ。
そう思いながら、日向を背中に当てて横になっている。

入院生活は快適だった。
痛いことは多かったが、私は自分の身体が良くなることだけを目指せばよかったし、誰の目も気にせずに、身なりも構わず、まるで子供に戻ったように決められた時間に眠り、もしも少しでも食べて歩くこ

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出かける

出かける

私の家は居心地が良い。

人はどうか知らないが、私のいる空間は私にとって心地の良い空間を作っているから居心地が良いのである。

整ったところも散らかったところも全てが心地よい。何もかも私のなすがまま、裸の王様で良しとして夏の盛り以外は、まるで皮膚の如く褞袍を纏って、亀のように潜り込んで暮らしている。

仕事も食える限りで良い、食えなくなったら野垂れ死だ、そんな大口を叩きながら実は密かに野垂れ死を恐

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中年愚日記

中年愚日記

小学校に入学した時、自分が卒業するなんて想像できなかった。この新品のツルツルのランドセルが使い込まれる日がくるなんて。

小学六年生は大人だと思っていたし、その上に君臨する先生はその延長にない別次元の大人、校長に至っては最早バーチャルだった。そのうち、私も六年生になった。一体自分は本当に小学校を卒業して良いものかと、自分の名前の書かれた上履きを見ながら、ふと不安になった。私が一年生の時に見た六年生

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金縛りと、にゃあにゃあにゃあ

金縛りと、にゃあにゃあにゃあ

17歳の頃に始まった金縛りは未だに続いている。

当時は思春期病のようなものかと思っていたが、加齢しても収まらないので不思議に思い調べれば、レム睡眠の筋肉弛緩中に意識だけが目覚める睡眠麻痺によるもので、金縛り中に起きている出来事は夢だと判明しているらしい。思春期病どころか、睡眠の取り方に問題のある生活習慣病に近いのであった。

青春をほどほどに運動に捧げ、根が体育会系になってしまったのか、不意に根

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乗り物と私①

乗り物と私①

以前、映像で見たチベットの鳥葬場は、摺り鉢状の格好をしていた。解体した遺体を置くと集まってきた鳥が群がって食べ、残った骨がガラガラとすり鉢の中心部分に自然に集まっていくという為の形だったと思う。

鳥はヒッチコック の映画のように黒いシルエットとなり、葬儀場の周りをグルリと囲んでいた。(映像を見たのは昔なので私が勝手に追加してイメージしたのかもしれない。)

効率の良い形式ができているということは

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悦にいる

悦にいる

帰宅したら、庭の門が壊れていた。開き切ったまま閉じない。

仕方がないので身体中の空気を抜くと、案外簡単にペラペラに薄くなった。

ペラペラの身体を壁に沿わせて横向きになると、門と壁のわずかな隙間を通り抜けることができた。嬉しくなって薄い足をパタパタと動かしてペランペランと歩きながら我が家に侵入すれば遠くで知らない犬が吠えている。そう、あれは私宛の鳴き声ではない。全世界が自分宛と錯覚するとろくなこ

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ゆるめる

ゆるめる

遠くで誰かが笛を吹いている。

その鳥の鳴き声はいつも、低い山の方から聞こえてくる。低い山から途切れ途切れの風に乗って、少し離れた家の中迄、心細気に、切実に、漸くと言った様子で、こちらに届く。

鳴き声は、するりと耳の穴に入ると頭の中で響きわたる。

今夜はひどく耳障りに感じる。

私は一人、灯りもつけず、佇んでいる。

三月の寒波の再来は頭痛の再来だった。

痛みは感覚を過敏にする。蛍光灯は目が

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線を引く

線を引く

年季が入れば医療費がかさむ。

病院に行くにつれ、医学的(生物学的)に私に性別がついていることは、治療の話に道筋が出来て便利だと思う。暮らしの中で、性別の方に私がついている時は厄介が多いがそれも便利のうちなのかもしれない。

示す前に程よく分類されないと(分類されていないという分類を含めて)周りは飲み込みにくく、正体らしきものがハッキリするまでは、遠くまで行き渡らないようである。そうではない何かが

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覆面頭痛座談会

覆面頭痛座談会

馬力と無理の効かない持病は厄介である。

例えば片頭痛、完治はないのに生活の質は著しく下がる。痛みが増長していくときはひどく絶望的である。その後、頼りの偏頭痛用頓服薬も効かず、とうとう痛みがピークに達したとき絶望を通り越してこう思う。ああ、昨日は痛くなかったのだ。大体の事は起こってから初めて気づく、それが起きていなかったことに。

片頭痛は9歳頃からの付き合いなので対処の手はいくつかもっている。言

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米を炊く

米を炊く

朝起きるといつもと違う。

額から上は雲に覆われていて、肩には小さな悪魔が乗っている。背中は始終風が通り抜けている。

人に言えば、毎日夜更かししてるからでしょうと言われ、思い当たる節があるので、確かに、などと口ごもり平素のように暮らしていた。

平素のように装いながらも、あまりに動作が緩慢なので、おかしいと思い、薄暗いうちに米を炊いて寝てしまうことにした。

何かが普段と違う時、必ず米を炊く。

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わたし的そうじぜん

わたし的そうじぜん

庭掃除をする。 

何も考えず、行えば行った様になる。
あらゆる出来事が遠ざかって、正確に一人きりになっていく。

手入れの行き届かない庭なので、その度に大層になる。硬い竹箒で外側から履くと、驚く程の量の枯葉が集まる。夢中で葉を集めていると真っ赤な南天の実が突然目の前で揺れる。どうしても引き抜けない草の根を掘り起こすと、まるで水に映った世界がそのまま奥にあるように、地上と変わらず根が伸び続けている

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見知らぬ身体

見知らぬ身体

好ましく思う人は、衒いなく人に親切にできる人である。

困っている人がいれば迷いなく声をかける。

例えば身体に触れる必要があっても、決して相手を緊張させない。

触れる瞬間も離れる瞬間も自然である。

相手にありがとうと感謝されれば、笑顔で返す。

様になっており姿が良い。

私は少し離れたところで、その様子を羨ましく眺めている。

何かに気づき、動きだすの前の一瞬の躊躇は、一連の流れをチグハグ

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