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覆面頭痛座談会

馬力と無理の効かない持病は厄介である。

例えば片頭痛、完治はないのに生活の質は著しく下がる。痛みが増長していくときはひどく絶望的である。その後、頼りの偏頭痛用頓服薬も効かず、とうとう痛みがピークに達したとき絶望を通り越してこう思う。ああ、昨日は痛くなかったのだ。大体の事は起こってから初めて気づく、それが起きていなかったことに。

片頭痛は9歳頃からの付き合いなので対処の手はいくつかもっている。言うなれば頭痛キャリア組であるのだが、時々どうしても我慢できない痛みが出現し、私のキャリアなどいとも簡単になぎ倒してしまう。

尋常じゃないその痛み、なんというか孫悟空の輪がめり込んで頭が瓢箪型になるほどに締め付けられた上、鉢巻蝋燭の白装束の例のあの人が現れて、鬼の形相で頭内から後頭部から目にかけて丹念に五寸釘を打ちこみ続けられているようである。音にも匂いにも異常に鋭敏に成り、得た感覚全てが頭の痛みへと集約され、際限なく増長されていく。唐突に涙がポロポロと出てなんだってこんな目に、とみっともなく寝床中で泣いてしまうならばまだ良い方で、大体は無表情で暗闇でじっとしている。痛みのあまりじっともしていられないときは、真っ暗な廊下を行ったり来たりする。

華やかな頭痛キャリア組から、「元」頭痛キャリア組と成り下がった私は、ゾンビ状態で家の廊下を徘徊し、夜が開けるのを待っている。

元頭痛キャリアゾンビは徘徊しながら、昨日までの自分を恨んでいる。なぜ、寝不足を押して仕事をしてしまったのか、眼精疲労を無視して目を使ってしまったのか、さらには気圧の変動、急な寒気などの自然から、果ては無関係な過去の些末な人間関係まで…(こいつ…と思いながらも、この野郎この野郎と原っぱで殴り合えなかった事への悔恨等)ゾンビが恨みの鬼と化した末に行き着くところは、根っこのない唐突な目覚めである。それはカードゲームの革命のように突然ひっくり返る。私は幸せなのだと。

とにかく薄気味悪い革命なのだが、思考の流れはこうである。

今痛みはピークであろう。しかし事は起きるまでいつもそれに気づかない。それが今まで起きていなかったということを知るのは起きた時だけである。悪い事がそうであるように良いことも良くも悪くもないことも同じように起こって初めて起きていなかったことに気づく。今というのは比較の対象がない。ならばいつだって今は恵まれているのである。(もっと良い感じで説明してくれている古の偉人がいる気がする。)

本当は何も目覚めていない。単に痛みが辛すぎて、感覚から思考に意識を逸らしているだけである。

私は恵まれていると唱えながらとゾンビ姿で彷徨う私は、さぞかし薄気味悪いだろう。こんなの自分じゃない。

そう思いながら痛みに疲れ果て、ウトウトと眠りにつか事ができれば良い方である、眠れず、または寝て起きても激痛ならば自分に合う新しい片頭痛対処薬を求め再び通院、運良く薬が効けば治り、その後はケロッとしている。

ああ治ってよかった、それだけである。

痛みのわりに成長もない。治ってよかったで終えるにしてはあまりに痛すぎると思うと、片頭痛は私の生涯に一体何を与えているのだろうと思ってしまう。

先日久しぶりに風邪をひいた。三日ほど発熱して寝込んだ。四十度近い発熱ではあったが一晩の片頭痛の何倍も楽だった。いつの間にか、少年漫画の主人公が重りをつけて修行していた時みたいになっていた。私には主人公のように格好良く人前で重りを外すタイミングは特にない。そのあと目にも留まらぬスピードで動きまわれることもないし、魔球が投げれるわけでもない。

私の願いは出来るだけ痛みが少なく、一瞬たりともゾンビにならずに淡々と生きていたいという事である。でも残念ながら選べないのだ。それでも事はまだ起きていない。ならば幸せなのであろう、と正気の時にこそ思い、今度こそゾンビになっても恨みの鬼にだけはならないようにしたいと思っている。まだ事は起きていないのに。


※経験からの頭痛豆知識

①対処法

片頭痛→冷やす、安静
肩こり頭痛→温める、運動、マッサージ

②必須

情報。それを選別する知識と勘
効果のある治療を提案してくれる病院
頭痛原因の特定
痛みで精神をやられないようする考え方

③気をつける事

投薬の効果と副作用への理解、民間療法を見極める

痛みなんてないに越したことはないですが、その都度自分を痛みの被害者と思うのはなんだか癪だなぁと思います。肉体は乗り物のような気がします。工夫次第で乗り物をどう操縦するかが試されているのかなと思います。


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