見出し画像

米を炊く

朝起きるといつもと違う。

額から上は雲に覆われていて、肩には小さな悪魔が乗っている。背中は始終風が通り抜けている。

人に言えば、毎日夜更かししてるからでしょうと言われ、思い当たる節があるので、確かに、などと口ごもり平素のように暮らしていた。

平素のように装いながらも、あまりに動作が緩慢なので、おかしいと思い、薄暗いうちに米を炊いて寝てしまうことにした。

何かが普段と違う時、必ず米を炊く。

嵐が来そうな夏の夜も、雪の降りそうな時も。教わった記憶はないのだが、誰かがそうするのを見ていたのかもしれない。米さえ炊いておけばとりあえず明日の私がどうであっても、今日が続いていくような気がする。そうして寝てしまえばいい。災害用非常袋を常に寝床を置いていることよりも、明日の米が台所で炊き上がっていることの方が私の安心のようである。

床に入り、仰向けになるが、楽にはならない。小さな悪魔は肩先から額の上へ移動し、厚く重たい雲はいつまでも顔の上にある。

早く熱が出ればいい。寒気も震えも熱を上げるための筋肉の動きなのである。分かっているのに私の身体は頑迷なのか、なされるがままになっていかない。いつも何かにこだわり、必要のない我慢をし続けているのである。外側から温めるしかないのだ。寝床を温め、布団をたっぷりと掛け、薄い意識の中で思っている。熱いと思って薄く目覚め、首元に触れるが汗は出ていない。

小さな悪魔は体のあちらこちらに移動して、未だだ、未だだと、呼びかけているようであった。

私は分厚い雲を頭に乗せて、むっくりと起き上がり熱を測る。発熱は私を安堵させる。ああ、漸く身体が反応してくれていると思うのである。

ようやく頓服を飲み、楽になったところで再び寝入り、また熱で目覚めて、と、薄い眠りを延々と続けていた。

昨日までは幸せだったなぁなどと、いとも簡単に弱気になるのである。仕事の進み具合を懸念したり、身の回りの心配をしてみたり、気に入らない事に腹を立てたり、割と下らない方に位置する日常さえも幸せだったのだなぁなどと、分かりやすくしおらしくなっていく。喜びも悲しみも高尚なことも下らないことも身体があってこそである。

そのうちに小さな悪魔は私の身体と共存しだし、全身は分厚い雲のなかに包まれていた。

ああ重たくて痛い、熱くて寒い。

何時かは分からない。

台所には炊き上がった米があり、私はその前に佇んでいる。

粥を作る体力もない。飯碗に小さくよそい梅干しを乗せ、沸かした湯をかける。台所の貧弱な灯りさえも酷く眩しい。灯りに背を向け碗をテーブルに置き、米が湯に馴染むまでぼんやりとしていた。米は湯に浸かりながら形を歪ませふっくらとしていく。発熱時、食欲がなければ無理に食べなくて良い、水分を取り治癒に専念すれば良いのである。私は、米をといた白湯をすすり、再び頓服を飲み、床に戻った。 

布団は抜け殻のようになっていた。

虚しい形の中に収まり、目を閉じる。眠ったのかどうかわからない。首元はうっすらと汗ばんでいる。

もう何も考えなかった。











文章を書くことに役立てます。